第2話 凌雲閣

 トントントンとその人影が戸を叩いてくる。


「はーい」


 真琴が戸を開けると大工姿の大柄の男性が立っていた。


「よう、真琴ちゃん。まだ早いかい?」

「あ、辰吉たつきちさん。今日はお早いんですね」

 

 辰吉は北星の桜春堂治療院によくやってくる常連である。

 真琴の言葉に、辰吉は頭をかいた。


「そうなんだよ。凌雲閣りょううんかくを早く仕上げろー! って棟梁とうりょうに追い立てられててね」

「辰吉さん、凌雲閣の建築のお仕事してるんですね。追い立てられるのは大変ですけど、僕も完成が楽しみです!」

 

 真琴は大きな瞳を輝かせた。

 

 凌雲閣は昨年末の十二月三十日から浅草で工事が始まった高層建築物である。

 明治二十二年には、大阪北野の遊園地『有楽園』に凌雲閣が出来て、イギリスのノーベル賞作家ラドヤード・キップリングも訪れていた。


 『大阪のエッフェル塔』とキプリングが表現した凌雲閣が、東京浅草にも出来るということで、東京市民は心待ちにしており、新聞にも凌雲閣の記事がたびたび載っていた。

  

「新聞には三月三十一日には開業するみたいに書いてありました」

「ええ!? 本当かい。いやぁ、四ヶ月じゃ出来ないよ。工事関係の人間は、みんな偕行社だ、帝国ホテルだと大きな仕事が多くて忙しくて、工事請負の人間がそんな簡単に集まらない状況なのさ」

 

 明治二十年代の東京は建設続きで、昨年の明治二十二年には大日本帝国憲法発布もあり、あちこちでそのための準備の依頼があり、今年に入っても新建築企画続きで、工事関係の人間は忙しく走り回っている状態なのだ。


「いやぁ、参ったなぁ。新聞だとそんな三月開業とか言ってるのか。そりゃあ棟梁が早くしろとせっつくわけだなぁ」

「それで辰吉さんは朝が早いのですね」

「おお、そうだそうだ。もうやってるかい?」


 辰吉に問われて、真琴は茶の間のほうの北星を気にした。


「あ、今まだ、先生は朝食中でして……」

「いいよ、真琴。入ってもらいなさい」


 辰吉と真琴のやりとりが聞こえたのか、茶の間から北星が声をかける。


「それでは、辰吉さん、どうぞ」

「おう、ありがとな、真琴ちゃん」


 真琴は微笑みを浮かべ、辰吉を中に案内しようとして、ひっと引きつった声を上げた。

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