明治東京妖怪奇譚

井上みなと

第1話 桜春堂の朝は早い

「先生、起きてください! もう、また本を読みながら、床で寝てしまって……」


 真琴まことが溜め息をつきながら、師匠を揺り起こす。

 師匠の北星ほくせいはぐらぐらと揺り動かされながら、それでもなかなか起き上がろうとしなかった。


「待ってくれ、真琴。まだ眠いんだ……」

「待ちません。早くしないと、お客さんが来ちゃいますよ」

 

 北星は桜春堂治療院おうしゅんどうちりょういんという治療院の治療師なのだ。

 真琴には開院時間までに、北星を準備させる義務がある。


 容赦のない弟子に、布団の中で北星はあきらめ悪く、もぞもぞする。

 

「……おまえ、学校は?」

「今日は休みです。それに、学校があるのではないかと心配してくださるなら、なおさら早く起きてください」


 真琴が無慈悲に北星の蒲団を剥ぐ。

 あたたかい世界から追い出された北星は、仕方なく、のそのそと着替えを始めた。


 北星が着替えを終え、顔を洗って茶の間に行くと、布団を片付けた真琴が、ご飯をよそって待っていた。


「……朝はきつねうどんがいいんだが」

「駄目です。朝はしっかり食べてください」


 野菜の煮物と魚の干物が並んだ御膳に、真琴が小さな手でご飯と味噌汁を置く。

 その味噌汁を見て、北星は笑みを零した。


「おまえは、いい子だよ」


 真琴が用意した味噌汁には、油揚げが入っていた。

 

「いただきます」

 

 ふたりで向かい合って食事をする。

 野菜の煮物はよく味がしみていて、魚の干物も風味がいい。


「この干物はどこで買ったんだい?」

「漁をされてる方が干しているのを見かけたんです。じっと見ていたら、坊主、欲しいのかいっておっしゃって、格安で売っていただいたんです」


「おまえは愛想のいい子だね。私はどうもぶすっとしているからか、見ていると嫌がられるが……」

「そんなことないです。近所のおばあさんたちは、坊ちゃんのところの先生は色白の美男子でかっこいいねぇと言ってくださいますよ」

「おばあさま方には評判のようなら良かった」


 北星が柔らかな笑みをたたえ、同じく真琴も微笑みを浮かべた。


 食事が終わりかけた頃、玄関先で物音がした。


「お客さんかな?」

「僕、見てきますね」


 真琴が機敏に立ち上がり、小走りで玄関に向かった。


 玄関には大きな人影があった。

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