魔法の杖 2



 中学二年の終業式の日だった。


 奈美恵の転校が決まり、春休みになるとすぐに引っ越しの支度が始まる。五人が揃って会える機会は残り少なかった。そのころ一年の間に五人が交代で書いていたノートは、十冊を超えた。


 初めは、普通の交換日記だった。それが次第に魔法少女のイラストや四コマ漫画などを描き始めると熱中し、同時に何冊ものノートを回覧しながら夢中で描き続けた。でも、それも、もうすぐ終わる。


 五人はそのノートを全てクッキーの空き缶に入れて、校庭の桜の木の下へ埋めることにした。


 十年たったらまたみんなで集まって掘り出そう。そう言って涙を流しながら深い穴を掘った。あれほど熱中した大切な時間を閉じ込めたカプセルのことを、今まですっかり忘れていた。



 缶は錆びないように油を塗った新聞紙で幾重にも包んでビニール袋に入れたはずだ。


 空き缶の表面は塗装も剥げ落ちひどく錆びた跡が残っていたが、きれいに拭われてそれ程の古さを感じさせない。


 蓋を開けると店内にカビ臭い匂いが立ち込めたが、意外と中はしっかりしていた。


 美紀が内部の袋を破り十冊の大学ノートを恭しく取り出す。懐かしい表紙を開いて黄ばんだページを追うと、当時の拙い文字と妙にゆがんだ絵にみんなで大笑いする。


 あのころどれだけ真剣にこれを描いていたのかを思い出すと、奈美恵は恥ずかしさに顔が赤くなる。他の四人も同じ気持ちなのだろうかとそっと周囲を見る。


 皆少女に戻ったようなキラキラ輝く眼を見開いて、皺の増えた笑顔が紅潮している。


「昨日のうちに、麗子と二人で掘り出しておいたんだ」


 美紀が満足そうに微笑む。奈美恵はその妖艶な色香を見て背筋に冷たい物が走る。こういうものを見せられると、自分が男でなくて良かったと思わざるを得ない。


「すっかり忘れてたよ。よく見つけたね」感心したようにすずが言う。


「ああ、穴掘るのはすごく大変だったんだから。すずの馬鹿力があれば、と思ったよ」麗子は屈託なく笑う。


 それから一同は夢中になって昔の落書きのようなノートを広げては指差して大笑いして、誰が書いたものが一番面白いかの議論を繰り返した。



「さて、ではこれも覚えているかな」


 奈美恵は頃合いを見て美紀に目配せをしてからそう言って、背後から数十センチの細長い紙包みを取り出した。


 わざわざ東京から大切に持ってきて、この店に預けておいたものだった。


 他の三人も顔を見合わせる。麗子にはすぐに分かったようだが、他の二人は今度も同じように首を傾げて包みを見つめている。


 奈美恵は構わずにバリバリと紙の包みを破り始め、一同は息を呑んでその大胆な行為を見守った。やがて、鈍い輝きと共にそれが姿を現した。麗子は緊張した顔で、ごくりと唾を飲み込む。


 全ての包み紙を取り去ると、直径三センチ、長さは五十センチほどの金属製の棒が全ての姿をさらけ出した。


 真鍮色に鈍く輝く棒の一端はテニスラケットと野球のバットを合わせたようなグリップ状の形になっていて、明らかに人が握って使うもののようである。


 グリップの反対側にはラケットのように直径十五センチほどの円盤状の飾りがあって、その中心に暗い赤色の石がはめ込まれている。


 よく見ると、その赤い石を中心にダイヤモンド形の溝があり、その四つの頂点にはそれぞれ色の違う小さな石がはめられている。


 古代エジプトやギリシアの神官が使用していた遺物であると言われたらすぐに信じてしまいそうな、神秘的な雰囲気がある。


 しかしその昔、中学生の小遣いで買えた安物であり、どこかの劇場かB級映画で使われた小道具の類であろうと皆は思っていた。


 金属の表面には全体に細かな模様が彫られていて、なかなか凝った造りになっている。


 麗子はそのグリップを握ると立ち上がり、昔懐かしい魔法少女の杖のように前へかざしてポースを取った。自然と他の四人も立ち上がり、麗子の手に腕を伸ばして杖を一緒に握る。


 全員の手が合わさり、揃って杖を握ると、杖は狭い店内にまばゆい光を放った。



 思いは再び中学二年の時に戻る。


 五人は魔法少女のテレビアニメに取りつかれたようにのめり込み、年末年始に劇場版の映画が公開された時には揃って名古屋まで見に行った。


 名古屋ではキャラクターショップを巡りたくさんのグッズを買い込んで大いに楽しんだのだった。正月休みが終わり三学期が始まると、翌年の高校受験も見えて来る。それまでの気楽な暮らしにやや重い影が差し始めていた。


 それを見つけたのは、麗子だった。三月初旬、五人で岐阜の梅まつりに行った時のことだ。賑わう市内を歩いていると、様々な屋台が並ぶ古本市の会場の片隅に、骨董品を売る怪しげな店が出ていた。


 歴史好きの麗子が足を止めて、店頭に並ぶ雑多な品々を眺めていた。そこで、鈍い金属の光沢を放つ物体に目が吸い寄せられた。


 それはアニメの主人公が持っているような魔法の杖であった。


 玩具メーカーが作ったプラスティック製のおもちゃかと手に取ると、冷たい金属の手触りでずしりと重い。


 金属の表面には精密な彫刻が施されていて、まるで本物の骨董品のようだ。


 両手に取り目を近づけると、細かい傷や変色なども見えて、実際に長い間使用されていた工芸品のような雰囲気である。



 興奮した麗子に呼ばれて集まった五人は一目でそれを気に入り、ぜひ買いたいと思ったが、値段が高い。とても一人で買える金額ではない。


 店の主人と長い長い交渉の結果、どうにか五人の財布を合わせて買える値段にまで下がった。五人は喜んでその杖を購入して、その日は一番の高額を負担した麗子が代表して家に持ち帰った。


 それから数日後、公園に全員が集まりその杖を明るい場所で詳細に観察した。見れば見るほど、アニメの杖に似ている。


 綾が自宅から玩具の杖を持って来たので比べてみると、材質と色合いは全く別物なのだが、全体の形状は非常に良く似ているのだった。



 一人ずつ杖をそっと手に持ちポーズをとってアニメの主人公の真似などをしていたのだが、ふとしたきっかけで杖を五人で同時に握り太陽にかざした途端に杖の先から光が差して、五人は目も眩むような輝きに包まれた。


 光が消えると、五人の目の前に奇妙な生き物が浮いているのが見えた。


 それは、猫ほどの大きさだが、頭が変に大きい。色は全体に白く、耳の長いネズミのような感じだった。



 その生き物は空中に浮いたまま、五人に話しかけた。


 その内容は、まるでマンガの魔法少女のようだった。

 彼の暮らす世界に危機が訪れている。それを救えるのは特別な力を持つ人間だけだ。

 その選ばれし人物こそ、君たち五人なのである。

 五人揃って彼の世界へ来て、力を貸してほしい。

 襲い来る魔王を倒してくれ、と頭を下げる。


 もっと詳しく長い説明があったが、それについてはもうほとんど覚えていない。


 それに、あまりに突然の話に驚くばかりで、とても実際的な話として受け止めることは難しい。


 五人がいくら真剣に話を聞いてみても、そんな唐突な話を信じることは不可能だった。五人が杖から手を放し呆然としていると、その生き物はいつの間にか消えていた。


 当時は皆不思議に思う気持ちはあったが、それ以上五人揃って積極的に関わる時間も余裕もなく、よくできたおもちゃだったということにして、そこから逃げる事しかできなかった。


 結局間もなく奈美恵の転校により五人はバラバラとなり、その後全員が集まる機会もなかった。


 転校のどさくさに紛れて餞別として杖は奈美恵に贈られて、今日までずっとそのまま保管していた。他の四人は杖のことなどすっかり忘れて、記憶の奥深くに沈めたままになっていた。



 今では杖の存在も忘れていた四人だが、振り返ればその時の出来事は忘れようがない。


 しかしあまりにもとんでもない事件だったので、時が経つに連れて本当に起きたことなのか、幼い空想の産物であったのか、自分でも自信が持てないまま時間だけが過ぎていた。


 しかし、その直後のことを思い返してみれば、非常に興奮して何度も五人で詳細を話し合っていたので、自分一人だけが見た夢や幻の類ではない事は確かだった。しかも、その幻が再び目の前で再現されている。


 あの時と同じ、目の眩む白い光が次第に薄くなると、杖をかざした先の店の奥に、白い生き物が浮いていた。


 眼前に現れた生き物はネズミに似た四角い大きな顔で、どことなくカピバラを連想させる。冬になるとよくテレビで見かける、温泉に入って目を閉じている南米原産の巨大鼠だ。長い耳は途中で折れて顔の両側に垂れている。


「やあみんな、久しぶりだね」


 ネズミは顔に似合わぬ爽やかな声で言った。






  

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