La Pioggia nera 3
青い空を背景に、森林を圧するように真黒なキノコ雲が沸き上がっている。
左からの太陽に照らされて、くっきりとそこに浮かんでいた。
モノクロ写真では何度か見たような気がする光景だが、青い空をバックに黒い雲が生き物のように身をよじりながら広がっているのが不気味だった。
巨大な雲の禍々しい動きが細部まで見えて、凄まじいまでの臨場感だ。
湧き上がる雲はこちらへ向かって急速に覆い被さってくるような恐怖に襲われる。
足元の草藪からは無数の羽虫が沸き、顔の周りを藪蚊や虻が飛び回る。これではまるで真夏だ。
やはり今夜は少し呑み過ぎたようだ、と誰かが呟くのが聞こえた。
熱気と困惑で頭がぐらぐらとする。
呆然と立ちすくむ俺たちは孝太郎さんに促されて、元の廃屋に戻った。
古い蔵の入口のような重い木戸をくぐり屋内に入ると、薄暗さと涼しさにホッとする。
そして無言でまた暗い階段を下りて地下室へ戻ると、扉を開け放ったままの薄暗い入口近くに立ち止まった。そこでやっと、孝太郎さんは困ったような顔で俺たちに向き直った。
「妙な話なのだが、ここは一九四五年の広島らしい。さっきのきのこ雲を見ただろ。あれを見て、俺も信じざるを得ない。今は八月六日の朝、原爆投下直後のたぶん8時半頃だろう。原爆のピカもドンも通り過ぎて、上空にきのこ雲が広がっているところだと思う。そしてここは、たぶん広島の中心から北へ少し離れた山の中なのだろう」
そんな無茶苦茶な事を言ってから、孝太郎さんは自分の携帯電話を見る。
俺たちもそれぞれがポケットから出した電話の画面を見る。俺たち三人の携帯は当然圏外で、時刻は午前四時半くらいだったと思う。
だが、孝太郎さんの携帯の時刻は、夜の8時前だった。
何故時刻がずれているのか。
「実は、これが二度目なんだ」
孝太郎さんが苦しそうに語る。
孝太郎さんは、トイレに行こうとして、誤ってこの部屋に入ってしまった。そしてひとりでここへやって来た。
その時は訳が分からず、しばらくこの建物の中で様子を見ていた。
その時は酔っていたので地下室で何時間か寝て、たぶんここの時間で午後になったころに、喉が渇いたので我慢できずに外へ出た。
このあたりは数件の廃屋が残る町の外れで、五分ほど道を下ると小さな集落に出た。
既にその時には大勢の怪我人が路上に集まっていて、炊き出しも行われていた。
孝太郎さんもその中に紛れて飲み物と食べ物を分けてもらい、それとなく人の話を聞くうちに、その人たちが広島市の中心部に朝方落ちた新型爆弾の壊滅的な被害から逃れて来たことを知った。
周囲の人々の様子から、どう考えても原爆投下直後の様子に見えたが、にわかに信じられず、確信はなかった。
それからそっと一人でこの家に戻り、地下室に隠れていた。
夜中になって試しに扉を開けてみると、廊下に俺たちの姿を見つけてほっとしたということだ。
その後再び俺たちに部屋へ押し込まれて、また二度目の八月六日の朝に戻ってしまったのは実に申し訳なかった。
そして確信のなかった孝太郎さんも、二度目の朝のこの時間に、あの忌まわしき原爆雲を見て、その考えが正しかったことを悟った。
孝太郎さんがトイレに行ってから再びこの地下室で出会うまで、たぶん俺たちの感覚では一五分くらいの時間が過ぎただけだと思う。
その間に孝太郎さんは一日を過ごしていたのだという。確かに、酔いもすっかり覚めていて、顔色も良い。
ということは、今夜までこの地下室で我慢すれば元の店に戻れるということになる。孝太郎さんには悪かったが、少し安心すると激しい疲労感に襲われた。
とりあえず俺たち三人は部屋の奥へ進んで、床に座り込んだ。孝太郎さんはドアの横に立ったまま俺たちの姿を見下ろして、ため息をついた。
「君たちは、間違っても二度と外へ出たらだめだぞ。これから先、被害に合った人々が市内から上がって来ることになる。君たちのその姿で人前に出たら、ただじゃ済まないだろう」
確かに、その時の俺たちの姿、というのがまずかった。
三人とも髪を金色に染めて、服装は安い米軍放出の軍用品を中心に着ている。
どう見ても、当時の敵国兵の恰好である。丸腰で、相当だらしのない兵士ではあったが。
しかし、こんな姿を外で見られたら、命に係わる。
その時はまだ半信半疑だったのだが、酔いと疲れで反論する力もなく、俺たちは脱いだ上着を枕に、その場で横になった。
荒れた床の石が多少痛かったが、冷たくて気持ちが良かった。
孝太郎さんも入口近くの壁に寄りかかって腰を下ろし、腕を組んで何やら考えているようだった。
俺たちも、いくら酔っていても今見たばかりのきのこ雲の衝撃は大きく、興奮が続いてすぐに眠ることもできない。
異常な喉の渇きを覚えて孝太郎さんに聞いてみるが、この建物の近くに水はないそうだ。
そんな話をしていると孝太郎さんは再び立ち上がり、じゃあちょっと探して来るよ、と気楽な口調で言った。
俺たちも半身を起こしたが、酔いが回ってどうにもならない。
結局のところ、気を付けて、だの、よろしくお願いします、だのと気の利かない言葉しかかけられなかった。孝太郎さんはもう一度念を押して、絶対にこの地下から動かないようにと言い残して部屋を出て行った。
結局俺たちはその場で眠ってしまった。
目覚めると孝太郎さんが戻っていて、床には一升瓶に入った水と、竹の皮に包んだ小さな握り飯や蒸かした芋が用意されていた。
途中で雨に降られてひどい目に合った、と孝太郎さんは言っていたが、後から考えるとそれが大問題だったのではないかと思う。
あの日、俺たちの見上げた朝の空はきれいに晴れ渡り、雨が降りそうな様子は全くなかった。
あの場所が本当に原爆投下直後の広島であったのならば、孝太郎さんが当たった雨はその後にあの巨大なきのこ雲が運んだ放射能にまみれた黒い雨であった可能性が高い。
その事を後日尋ねたが、孝太郎さんは笑って否定していた。
しかしあの時孝太郎さんの全身にまとわりついていた油臭い嫌な臭いは、きっと原子爆弾に由来する危険な雨のせいだと考えて間違いないだろう。
だから、孝太郎さんが癌で亡くなったと聞いて、それは俺たちのせいだと思っている。本当に申し訳ない。
その後、孝太郎さんも疲れ果てて眠ってしまった。
俺たちは夜半まで地下室で過ごし、頃合いを見て扉を閉じて再び開けると、あの夜の東京へ無事帰ることができた。
あの異様な体験を共有してから、俺たちは時々この店で会うようになった。
俺たちは周囲を見回して寄り道することを止めて、まっすぐ自分たちの音楽だけを見て進もうと決めた。
でも、既に色々なしがらみの中で生きる俺たちには、それはなかなか難しかった。
だから時々道筋が怪しくなった時にはここで孝太郎さんと会って、自分たちの進む道を確かめる必要があったんだ。孝太郎さんはいつだって目をキラキラさせて俺たちの話を聞いてくれたよ。
その後俺たちの音楽活動は徐々に世間に認められるようになり、今ではあのころの貧乏が嘘のように好きなことをして生きることができるようになった。
それも全てあの日、孝太郎さんが俺たちを助けてくれたからだ。
何も知らずにあの廃屋へ飛ばされた俺たちが、あの朝へらへらと町へ下っていたら、住民たちに袋叩きにされて殺されるか、軍に引き渡されて帰れなかっただろう。
実際、俺たちがあの建物から外へ出たのはほんの数分だけのことで、後の時間は黴臭い地下室に隠れて過ごした。
だから正直、本当にあそこが昭和二十年の広島だったのか確信は持てない。しかしあの日、孝太郎さんは誰よりも本気だった。
あの日以来、俺たちのスタイルから金髪と軍服は消えた。
孝太郎さんの助言通りに体が資本だからと肉体を鍛え直したころから、俺たちの音楽も変わってきた気がする。多分、俺達にはそれが合っていたんだろうな。
孝太郎さんに教わったのは、それだけじゃない。狭かった俺たちの視野を広く世界へ向けてくれたのも、孝太郎さんだった。
間近で目撃した核兵器の話に始まって、俺たちの周囲で起きている様々な出来事について教えてくれた孝太郎さんの目がなければ、俺たちはきっと今でも世間知らずの若造のまま無為な日々を送っていたに違いない。
俺たちが出会った時のこの店の名前、「La Pioggia nera」は、イタリア語で黒い雨という意味だそうだ。
ここのオーナーはあの部屋のことを知っていて、鍵を掛けていたのは間違いない。
そしてなぜあの夜、あの扉の鍵が開いていたのか、それはオーナーにも確認したが全く理由が分からない。
今ではあの扉は外から南京錠をかけて、間違っても開かないようになっている。見てみるかい?
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