結城亭 4
四人はそのまま暫く放心したように座ったまま動けなかった。
そしてかなりの時間が過ぎたころ、姉の携帯電話が鳴る音で四人は我に返った。
立ち上がり、電話に出た姉の顔色が変わる。
「祖父は、まだ奥にいますか?」
姉の問いかけに、お母さんが首を横に振る。もうとうにお帰りになりましたけど。
何度も真偽を確かめるように聞き返している姉の声が力を失い、電話を切った。
「すみません、入院している祖父の様態が急変したそうなので、すぐに帰ります」
唖然とする沙織を残して、姉弟は慌てて店を出た。松田を見ると、妙に納得したような顔をしているのが不思議だった。
「ケンちゃん、今日はありがとうね」
お母さんは松田のことをそう呼んだ。そして、続いて沙織を優しく見る。
「西本さんも、今日はありがとうございました。あなたのことは、竹内香澄さんから聞いて、覚えていますよ。お会いできてよかった」
沙織ははっとしてお母さんの目を覗き込んだ。まさか、香澄がこの店に来ていたなんて。
「香澄のことを、知っているんですか」
沙織の問いに、お母さんは黙って頷く。
「松田さんも、知っていたんですか?」
「ええ。僕も、ここで竹内さんと会ったんですよ」
「知らなかった……」
沙織はそこで何か納得がいかないように思えて、黙り込んでお茶を啜った。
「我々も、帰りましょうか」
松田がゆっくりと席を立つので、沙織も腰を上げる。壁にかけたコートを羽織り時計を見るが、思ったよりもまだ早い。
「今日は本当にありがとうございました」
お父さんとお母さんが並んで見送る中、二人は店を出た。半月に薄い雲がかかっている。
月明かりに照らされる雲の流れる速度は速い。だが地上の風は冷たいが穏やかだった。
近くのバス停で数分待ち、体が冷え切る前に車がやって来た。
乗客の少ない一番後ろの席に並んで座ると、車内の温かさにほっと一息つく。
しかし、沙織はこのまま黙っているつもりはなかった。発車するとすぐに隣の松田の表情を伺い、疑問を口に出そうとする。
それを察したように、松田は自分から話を始めた。
「昨年、あの列車事故の日の深夜、私はあの店で竹内さんと会って、話をしました」
そんなことは、あり得なかった。
「嘘じゃありません。その日、彼女は友達と一緒に炊飯器を買い、遅くまで食事をしていたのだと言いました。就職も内定したし、明日からは真面目に自炊をするのだと。違いますか?」
確かにその通りで、あの日香澄と炊飯器を買ったことは不思議と誰にも話していなかった。
「何故それを黙っていたんですか」
松田は諦めたような表情で、両手を広げる。
「だって、あの事故の後に私が竹内さんと会って話をしたと言ったら、西本さんは信じますか?」
まさか。
「でも、今なら信じられるはずです。今日料理をふるまってくれた結城さんですが、おそらく今日の夕方前に病院で息を引き取っているでしょう」
「そんな馬鹿な」
「でも、電話を受けて二人が血相変えて帰ったでしょ。あれはそういうことだと思います」
「嘘……」
「大体、夏からずっと体調不良で入院してた人が、あんな店で料理をしてるなんて不自然だと思いませんか。料理をしたければ自分の店がある」
「でも、息子さんとは仲が良くなかったような……」
沙織は松田の暴言に反論しようとするが、言葉が出ない。
「一年前も、私はゑびすのお母さんに呼ばれてお店に行ったんです。ちょうど今夜のようにね。そして、列車事故で亡くなった方々と会いました。翌朝、まだ明けきらない空の下で、彼らが連れ立ってゑびすの裏の森へ歩いて行くのを見送ったんです。ゑびすのお父さんとお母さんと三人でね」
「まさか……」
沙織はそんな言葉しか出なかった。
「その人たちは、みんな好きなものを抱えたり、背負ったりしていました。香澄さんは、見たこともない大きな電気釜を抱えて、嬉しそうに歩いていましたよ。香澄さんだけじゃない、みんなが大きな荷物を持ち、満足そうに歩いていました」
「そんな馬鹿な話、信じられません」
「きっと結城翁は、自慢の料理道具を抱えて旅立つんだろうな。あそこは、そういう場所なんだと思います」
沙織の言葉を全く気にすることなく、松田は淡々と話を進めた。
「一度、結城亭の子供たちに聞いてみてください。おそらく結城さんは私たちがあの料理を食べていた時間には、既に亡くなっていたのだと思います。不思議ですが、あの店だけではなく、あの場所が昔からそういう土地だったのではないかと思っています。香澄さんを見送った朝、近所の他の家から出てきた人が他に何人かいました。彼らは合流し、連れ立って森へ歩いて行きました。あの不思議な光景は、忘れられません。もし、結城さんについての私の言葉が当たっていたら、もう一度結城亭で香澄さんの話を聞かせていただけませんか」
全て話し終えた時には、既に松田が降りるはずの停留所を過ぎてバスは駅近くの繁華街に達していた。松田は深く息を吐いて、満足げに腕を組んで天井を見上げた。
沙織は言葉を飲み込んだまま、同じようにバスの天井を見上げる。
揺れ続ける白い照明を遥かに超えた天上のどこかに、香澄が今も笑顔でいられる場所があるのだろうか。
そう思うことで、自分はもっと強く生きていけるような気がする。
やがてバスは駅前のロータリーを回り、止まる。二人は黙ってバスを降りた。
二人は押し黙ったまま、肩を並べて駅へ向かった。そして改札口の前で沙織は立ち止まり、後ろで見送る松田を振り返った。
暫く考えた末に、「わかりました。一度結城亭に行ってみます」とだけ伝えて、思いつめたような表情のまま踵を返し、改札を抜けて駅の構内へ歩み去った。
了
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