第36話 chemistry for fears

しかし、フェルディナンドの思惑とは別に

原子力発電所は、未開の地を中心に

増え続けていく事になった。



それは当然で、ケミカルの影響が少ない

未開の地の人は


その、化学的な作用が起こる事は

あまり無いからである。



文化的先進国では、それは十分に作用したため

東西陣営の対立も緩和し

軍備も縮小した。



それは良い事だが、副作用として

先進国では出生率が低下、人口に占める

高齢者の比率が高まっていった。


当然だが、性は攻撃である。

攻撃性が弱まれば性の欲求も減るのだ。



対して、未開の地では出生率が比較的に高くなる。


ケミカルの影響が低いから、である。



そういう地域が、侵略を企て


他国の領土を侵犯したり、武力を誇示する為に

核武装を意図する、等という意味から

原子力発電所を建設するという傾向も起こった。








手詰まり感。


わたしたちは、そう感じていた。



どうすればいい、の?と


思う。


未開の地は、やがて

文化的に成熟する。

その頃になれば、適度に

人口も抑制され

他国の領土を侵略しなくても

技術や、産業で

他国に進出すれば良くなる。


そうして、世界規模で

産業の国際化が進めば

どこまでが領土か、などと言う議論は無意味になり

戦争もなくなる。

危険な原子力発電所の側に

進出したい企業は減るので

自然に抑制されるはずだと

楽観的な予測では、そうなる。




それまでに、事故が起こらなければ、の話であるのだが。



その前に対策しなければ。

効果は今のところ不完全だった。


もし、上手く行っていたならば

現在のわたしと、未来にいるFerdinandは、もう関わりを持つ必然が無くなる。

対策のために、彼が通信を試みた結果、今の状況があるからで

過去において問題が無くなれば、未来の彼が問題意識を持つはずもない。


ひょっとすると、わたしか彼の存在自体が無くなるかもしれないのだ。


そこまでして、何故?と

時々自分でも思う。でも、放射能に汚染されて、わたし自身も、いつか死ぬかもしれないし

生まれてくる未来の子が、放射能のせいで死ぬかもしれない。

そんなの嫌!


もし、わたしにできる事があるなら、どうせいつかは死ぬんだし。


ひょっとして生きて、平和に暮らせるかもしれないなら

戦ってやる。世界中を相手にしたって。


誰かのためにじゃない、わたし自身のために。



くじけそうになると、わたしは

そんな、独り言を言って

気力を保った。






そんな時。

気力だけで戦っていたわたし。

その気力すら危うくなってきた。


起きていると、目眩。  

堪らずに横たわると

起き上がる気力もなくなってくる。



医師に診断を仰ぐと

おそらくは被爆の影響、と。

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