第12話 兄弟
グリフォンの翼が風を切り裂く音、〝特別な皮〟を裏布にしたローブをはためかせ、第八王子エイスはグリフィンの背で草原を見下ろしている。
忌々しいほどの快晴にエイスは舌打ちを漏らす。そう忌々しく、鬱陶しい。
(アンリはどこだ? 無理もないが……死にやがったか)
心の中の焦燥を押さえつけるようにして、エイスはアンリを探す。
長大な防壁に囲まれた都市ハーフェンより西方。この草原は獣人・亜人氏族、自治領との緩衝地帯であり、膨大な数の魔物が自然と国境線を成していると言える。
治めるに難く、放置するに易し土地……と皆は言う。
ここで軍勢を進行させようとしても、雪の山脈を越えるより被害が出るだろう。住まうのは狂人か、魔物か、どちらにしても人未満の生き物のみ。
派閥闘争に揺れる王宮は身動きしづらい。エイスが所属する第一王妃派閥も諸侯の囲い込みや策謀で多忙を極めており、
勝手なことだ。無遠慮に追放して放ったらかしとは。
エイスは憤慨した。最後まで面倒を見るべきなのだと。
「おいおい、あれは……?」
グリフォンの手綱を強く引いて中空で静止し、眼下に見える人影を凝視する。茶色の狼と一緒にいる灰色髪の男は、エイスにとっては馴染み深い人物だった。
「アンリ、じゃねえか」
エイスは喜色を浮かべつつアンリを指差し、グリフォンは滑空して、大地を抉りながら地に降り立つ。
「エイス……」
アンリが驚愕に満ちた顔で言葉を漏らした。
「いよう。元気してたか? 死んだかと思ってたぜ」
「なんとか生きていますよ。 ……兄上は何用でここへ? 俺に関わると王宮での立場が危うくなります。賢明とは思えませんが」
「おいおいおいっ! つまんねえ事言うなって! 俺が助けに来たんだぜ。こんな草原に居たら死んじまうぞ。王宮を出てから二十日くらいか。よーく、生きてたなあ」
「二十日……? 時間の流れが──いや、まだ結論を決めるのは早いか」
相変わらず辛気臭い顔をしている。灰色髪と三白眼がさらに陰気さを助長していた。エイスが思わずでの日々を思い出してしまうほどに。
「外に出た感想はあるかよ?」
「…………ガブリール──少し──」
アンリが小声で何かを呟くと、狼は不安げに唸ってから後ろに下がる。
「無視するってのか?」
「お願いします。帰って下さい。もう俺は……関係ないでしょう」
「あぁンッ⁉ てめえ、俺に……頼める立場だと……思ってんのかあッ⁉」
丁寧な口調に泰然自若とした態度が、どうしようもなくエイスを苛つかせる。そうだ、この男は何時だって感情を押し殺したような顔をする。
「感想を、言え」
「──っう…………」
一歩歩み寄り、握り拳をわざとらしく見せる。それだけでアンリの顔面は蒼白になり、呼気が早くなる。
何年も躾けてやったのだ。尊厳をへし折り、痛みを躰に覚えさせ、自覚させた。
お前は薄汚い娼婦の子なのだと。ベッドで父王に跨る売女の子だと。
「グゥルルッ!」
汚い狼が牙を見せて唸るが、大した強さとは思えない。スケルトンを五体も召喚すればそれだけで討てる。
「
アンリが深く深呼吸して──こちらを三白眼で睨みつける。最初の言葉は調教して覚えさせたのだろうか、あまりの滑稽さにエイスは歪んだ笑みを浮かべた。
「おいおい! 汚え狼がお友達かよ。お似合いだぜえ」
「彼女を侮辱するな。エイス」
「かのじょを侮辱するな~、ってか! く、クハハっ! 傑作だな、おい! 追放者が獣相手によお……ハハ! 夜は狼と交わってんだろ? さっすが売女の子! お盛んだねえ──‼」
「……お前の周りには誰も居ない。死者と腐肉だけ……そのグリフォンもアンデッド。生命を否定するからだ。輪廻を軽んじる死霊術師が……太陽の下を、歩くな!」
「ああっ!?テメエ……何言ってやがるッ‼」
「よくも俺の狼を侮辱し、母上を蔑んだな。穢れしボースハイトが。殺してやる」
アンリが片手剣を抜き払い、鞘を捨てる。
「テメエもボースハイトだろうがッ‼ ぶっ殺してやるッ‼」
エイスは杖を地面に突き立て、スケルトンを召喚する。
黒い影が周囲の地面に散り、魔力で編まれた白磁の骨が地面から這い出てきた。命令を待つ忠実なアンデッドは粗末な武器を手に、術者の命を待っている。
「スケルトン! その灰色野郎を捕まえろ! まだ殺すな! 手と足を千切り、耳を裂き、皮を剥いでローブの裏布にしてやるんだッ!」
了承の言葉を返す代わりに、スケルトンは小走りにアンリに駆け寄っていく。
魔力を練ってスケルトンとの接続を強化しつつ、エイスは杖でアンリを指し示す。
十五歩の距離──数秒で片がつく。
手足を切り落とした後のことをエイスは考える。拷問も良いが、アンデッドに変えてアンリの母の生家を襲わせるのも良案だ。年老いた老爺には堪えるだろう。
「骨ごときで俺が殺せるものか!」
アンリが吠えつつ剣を横に構えた。最後の遠吠えだろうか──スケルトンの一群が圧殺するように群がり、エイスが勝利が確信した瞬間──世界が一瞬、止まる。
透明な線が宙を走ったように見えた。
それだけでスケルトンの殆どが両断されている。まさかとは思うが、剣閃を放ったのだろうか。
バラバラになった骨が草原に散らばり、その中心に立つアンリは怒気を漲らせていた。エイスは数年ぶりに恐ろしさを感じた。生死の境目に自分が立っていると。
「ありえねえ……なんで、お前が……」
確かにアンリは王宮で兄達と同じ剣術を習っていた。血筋だろうか、多少の才はあったが、ここまで人外じみた剣技の持ち主では無かったのだ。
長兄が流れる水のような剣捌きならば、目の前のそれは天から落ちる稲妻のよう。音よりも速く、落ちたと思えば人が死ぬような、そういった剣捌きだ。
「俺も短慮だった……」
「何を言って、やがる……?」
「エイス、まだ殺さない。貴様がここに居るのは王宮の意向か。今から貴様の五体を裂き、瞳に鉛を注ぎ込んで吐かせてやる」
「グリフォン! 来い!」
足を上げて跨がろうとしたが、うまく乗れない。まさかと思うが、怯えているのだろうか。出来の悪い弟相手に。
「待て! 逃げるのかっ⁉」
アンリの徒歩が小走りになり、駆け足は全速力となる。
(速い! 何だアレは! 変な薬でもキメたのか?)
残り全ての魔力を使ってアンリにアンデッド化の死霊術をかける。生者に対して効き目は薄くなるが、魂を縛ろうとする嫌悪感と酩酊感は足を留めるに十分であった。
「降りてこいッ! エイス・ルクスド・ボースハイトッ!」
グリフォンの翼がはためき、眼下のアンリは吠えていた。
「ふざけるなッ!」
そうだ。フザケている。王宮に居た頃のアンリに対した力は無かった。能力も素養も、外れの出来損ない。底辺貴族の腹から産まれた、王家の面汚しであった。
これほどまでに侮辱された事があっただろうか。格下と決めていた相手がまさか歯向かってくるとは! 窮鼠が相手でも憎悪が湧いてくる!
「父王はお前を見捨てたっ! 出来損ないの灰色野郎がっ!」
「それがどうしたっ! お前はいつものように父王の尻でも舐めていろっ!」
下唇を噛んで次の一言を絞っていると、アンリが屈み、拳大の石を掴んだ。
「落ちろっ! 羽虫がッ‼」
振りかぶり──アンリが投擲した。
「っああぁああっ! 正気か、テメエぇえええッ‼」
唸りを上げて迫る石。グリフォンの胴体を掠って肉を削った。痛みや感情とは無縁のアンデッドだから良いものの、もしこれが生きたグリフォンならば墜落の可能性すらある。
「全力で離脱しろ!」
グリフォンが勢いよく飛翔し、アンリの姿が豆粒程度になる。
投擲が決して届かない距離となっても──アンリはこちらから目線を外すことなく、一歩も動かなかった。
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