第7話 ガブリール
とある所に雌の狼がいた。魔物や動物を狩って暮らす赤色狼の一族──その群れで生まれた彼女は不幸なことに〝茶色〟の毛色で生まれた。
母は彼女を疎み、父は彼女を居ないものとして扱う。兄弟姉妹たちは彼女を小突き回し、玩具のように弄んだ。強大な魔物を狩る時は囮役を務めさせるほどだ。
彼女は異物だった。どうしようも無いほどに。
兄弟姉妹に罪を問うのは酷であった。一族の繁栄を願えば異物は排除して然るべきだと、彼女もどこかで理解はしていた。
だから──代わり映えのしないある日の朝、彼女は思い切って群れから逃げ出した。
山脈から草原へ。流れる川の水を飲み、弱い魔物を狩りつつ南へ向かう。楽園はどこだろうかと進む彼女は、時たま漂ってくる〝強大な魔物の臭い〟に大いに恐れた。
数日も経てば茶色の毛はさらに色あせ、命の灯火は弱々しくなっていく。彼女は鼻を上に上げてくんくんと匂いを嗅ぐ。すると魔物とも獣とも違う変わった匂いがした
匂いを追って草原を進む。だが揺らぐ視界のせいだろうか、飢えのせいだろうか、彼女はついうっかり穴に落ちた。
「ギャウッッ‼」
痛い。けど、これ以上大声を上げると魔物が寄ってくる。遠吠えを上げても助けてくれる仲間はいない。
「何だ……狼だと……」
ガチャリと音がしたと思うと、変わった生き物が現れた。灰色の毛が頭だけに生えていて、二足で立っている。見たことがない種族の雄だ。
「元気がないな。怪我をしたのか。それとも腹が減っているのか」
疑問と警戒混じりの声が聞こえてくる。この雄が自分を殺すのだろうかと疑問が湧く。
「狼なら群れや番で行動するものだが……お前は見捨てられたのか?」
言葉は理解できない。だけど瞳を見れば、優しげな声を聞けば、自分を心配してくれているのだと彼女にも分かった。胸の奥が熱くなり、弱々しく唸ってしまう程に。
「噛むなよ。噛めば容赦しない」
手が差し伸べられる。噛み付けば食事にありつけるかもしれない。だけど今は──この雄の群れに入れて欲しいと強く思っている。もう一人で飢えと孤独に怯えるのは嫌だった。
「グルルゥ……」
手を舐める。毛づくろいは親愛の証。彼女は自分が無害であることを示し、群れに入れてほしいと懇願する。
「お前の瞳からは知性を感じる。争い合う事が愚かだって分かってるんだな。王宮で──同族殺しに明け暮れる馬鹿どもより上等だよ」
今までで一番情念の灯った瞳。寂しさが混じった悲しい顔をされる。雄に頭を優しく撫でられ、喉元まで撫でられてしまう。
「俺の名前はアンリという。この地の領主──って狼相手に何言ってんだか」
雄は鉄の尖った棒を──入れ物らしきもう一つの棒に戻した。
アンリと聞こえた。名前という概念は彼女にも分かる。言葉を操る魔物は名前を付けることがあると聞いた。アンリは自分の名前が好きなようである。名乗る時に機嫌が良さそうに感じたからだ。
「
いい匂いのする棒を齧る。滋養が体に染み入るようだった。
「おお! 食べた!」
また喉元を撫でられる。
「名前が欲しいな……」
アンリは服従を求めているのだろうか。ならばと思い、彼女はゴロンと回って腹を見せると、案の定アンリは嬉しそうに腹を撫でてくる。
「ガブリールかな。ガブガブと食べてるし」
ガブリールと何度も呼ばれる。もしかすると名付けをされたのかもしれない。彼女は呼ばれる度にガウと吠え、そうするとアンリは喜んでくれた。
「これからも宜しく頼む。ガブリール」
「ガウっ!」
力の限り肯定を返すが、眠気が襲ってきたガブリールは瞳を閉じてしまう。頭を撫でられる心地よいまどろみの中で意識は薄くなっていき──
──つい、寝てしまった。
「ん、起きたか」
起き上がると嘘のように体が軽い。念の為に部屋の中を走り回って不調が無いかを確かめる。ぴょんと跳ねたり、ごろりと寝転がったりしたが──何も問題はない。
「おいおい。そっちは──」
アンリが静止してくるが、部屋の中央にある物にガブリールは強く惹かれた。白くて硬そうな骨。あれはアンリと同じ生き物の頭蓋骨だ。
野生の本能がずびびと走り、ついガブリールは頭蓋骨を咥えてしまう。
「こらこら。そんなにウィルを噛むと骨が欠けてしまうよ」
優しく怒られてしまう。群れの長に何という無礼をしてしまったのだろうか。ガブリールは頭蓋骨を地面にそっと横たえた。
「……骨以外の話し相手が出来てありがたいな。はあ、眠い、疲れた……」
どこか眠そうなので、ガブリールは自ら枕役を志願すべく、アンリに駆け寄っていった。
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