攻撃的な人を許せる理由


 人と喧嘩するのが好きな人。ことあるごとに、他人が気にしていることを指摘して、相手が怒って自滅するのを楽しむ人。

 そういう人は、どこにでもいる。隠していても、そういう本性を持つ人は、十人以上人が集まる場所なら、必ずひとりはいる。


 根が攻撃的なのだろう。もし法律が許すならば、こういう人はきっと刃物を持って人を傷つけることに抵抗はないはずだ。


 中学二年生のころまで私は、こういう人の気持ちが一切理解できなかったし、何か恐ろしい化物なのだと思ってきた。家族にも親戚にもそういうタイプの人はまずいなかったから。


 中学二年の一学期。クラスメイトの名前と顔がほとんど一致し始めていた時期だった。

「ねぇムっちゃん。あの子のこと、どう思う?」

「あの子って、メグちゃんのこと?」

 メグと呼ばれている同級生は、頭もよかったし、運動もよくできて、男子によくモテた。しかし、とても攻撃的だった。何もされていなくても、自分が不機嫌であるという理由で、面と向かって悪口を言った。「○○は背が低くてゴブリンみたいだ」とか「○○は胸が小さいから一生彼氏ができない」とか、そういうほんとの意味のない罵倒だ。

 そこには本当に何の意味もなく、それで相手が泣き出した場合、さらに怒りだしてとどめを刺すようなことを言う。先生が止めに入ると、メグは平気で嘘をつく。先に悪口を言い出したのは相手だ、と。

 もちろん後から入ってきた先生はどちらを嘘をついているかなど分からないし、証言者になろうとする子もほとんどいなかったから、そういう時は結局痛み分けで落ち着いてしまう。


 一度メグに復讐しようと団結してイジメ紛いの嫌がらせをしようとした子たちもいたが、いつの間にかその対象が別の子に変わっていた。メグは、いつの間にかそのイジメグループの主格になっていた。


「私、怖いから関わりたくない」

 友人の、メグについての質問に対しては、素直にそう答えた。

「でも、あの子ムっちゃんに興味持ってるみたいだよ?」

「え、なんで?」

「別の子から聞いた話なんだけど、ムツキさんと友達になりたいって言ってたらしい」

 そういう好意的な噂はどこから来るのかはよく分からないが、デマであることはあまり多くない。せいぜい体感だと2、3割と言ったところだ。

「へー」

「ムっちゃん、どうするの?」

「うーん。状況次第かなぁ」

「もう。そうやって誤魔化す」

 それ以外にどう答えていいか分からなかったし、実際私はこの時できるだけ巻き込まれないようにすることだけを考えていた。


 それから数日経った後、メグは一人で帰ろうとする私に後ろから声をかけた。

「ねぇムツキさん。いつもひとりで帰るの?」

「帰宅部だしね」

「一緒に帰らない? 私今日、部活サボるから」

 断る理由はなかった。悪意も感じなかったし、少しくらいはいいかと思った。

「いいよ」

 いつもの、作り笑い。人を安心させるような、人のいい笑み。習慣の賜物。メグも、それにつられて笑った。



「ムツキさんって、家で普段何やってんの?」

「本読んだり、日記書いたりしてるかな。漫画とかアニメも時々見る。動画とかも」

「どういう系が好きなの?」

「ちょっと難しい感じの」

 趣味の話が合わないのは知っていた。というか今まで、同世代の人で私の好きなものを理解できた人はひとりもいなかったから、この話はしても仕方がないと思った。

「宮本さんは?」

「私はねぇ。少女漫画とか結構好きだし、少年漫画も結構好き。ワンピースとか、ブリーチとか」

「なるほどー」

 会話は止まる。どう考えても、私たちは気が合わないだろうなぁと思った。

「ムツキさんって、群れないよね。女子なのに」

「うーん。ひとりでいることに慣れてるだけだと思うよ」

「でも普通そういう子って、友達少ないじゃん。ムツキさんって、ひとりでいること多いのに、友達が多い。頭がよくて、男の子からも人気なのに、誰もムツキさんの悪口を言わない。そういうのって、変じゃない?」

 私はむしろ、そういうことを変だと思う人の方が変だと思った。性格と容姿がよければ同性から好かれるのも、男子から人気が出るのも同じように当然だと思った。

「誉め言葉……ではないんだよね、それ」

「うん。だって事実じゃん。ムツキさんが人気者で、孤高って感じなの」

「うーん」

 見ている世界が違うから、という言葉を思いついたが言う理由はなかった。そんなのは傲慢だと思われるだけだ。慎重に、言葉を選んで。

「多分、私自身が絶対に悪口言わないようにしているからだと思う」

「そういう子は他にもいるよ。自分が悪口言われたくないから、悪口言わないようにしてる臆病な子はいる。でもムツキさんはそういうタイプじゃないじゃん」

 メグはほとんど怒鳴るような大声でそう指摘した。興奮しているのであって、怒っているわけではないのが分かった。

「人から悪く言われるのは、結構慣れてるしね」

「どうして! 悪口言われたらムカつくじゃん! なんで何も感じないの? 不感症なの?」

 不感症。あぁ私が普段、周りの人間に対して思っている言葉だ。皆、ものごとを感じることができない。悪い空気を感じることも、人の優しさを察することも、皆下手くそだ。皆、不感症だ。私は、人より感じやすい性格なのだ。

「ムカつくよりも、私は悲しいかな。悲しいけど、悲しさって、綺麗だから」

 私は小さくて低い声で微笑みながら目を合わせると、メグはポカンとしていた。唇を震わせ、何かを言おうとしたが、声が出ないようだった。

「なにそれ」

 かろうじて出た言葉は、先ほどの怒鳴り声とは反してほとんど力のないぼやきだった。

「ポエムじゃん、そんなの」

「私、詩とか結構好きなんだ」

「キモ」

 私はその言葉に傷つきはしなかった。なぜかといえば、メグの方が傷ついていたのを私は知っていたからだ。私の手は震えていなかった。私の心は落ち着いていた。

 メグの方はというと、震える手をポケットに隠し、視線は下に落ち、私と目を合わせるのを拒もうとしていた。顔を真っ赤にして、今にも消えてしまいそうな力のない歩き方だった。

 思ったより、弱い子だなと思った。

「ムツキさん、私のこと、どう思う?」

 私は首を振って、答えなかった。



 メグはしばらくの間一切私と目を合わせなかった。しかし友達が言うには、メグは随分仲間内で私のことを何度も悪く言ったらしい。

 調子乗りとか、自分に酔ってるとか、嘘つきとか、何考えてるのか分からないとか、男好きだとか、うぬ惚れ屋だとか、聞いてもいないのにその友達は私に教えてくれた。楽し気だったから、多分この子も私のことをそう思っている部分があるのだろうなぁと察した。

 悪意がなかったから、私はそれを伝えられても全然傷つかなかった。

 

 メグが陰口を言ったことも、私は意に返さなかった。そもそも、先に彼女を傷つけたのは私なのだ。どういう理屈であるかは重要じゃない。あの時、苦しんでいたのは私ではなくメグの方だった。

 そしておそらく、彼女は、彼女自身を傷つけ続けている。


 しばらく経ってから、また同じような状況になった。ひとりで帰ろうとする私の後ろから、メグが歩いてきた。

「ムツキさん、待って」

 懇願するような声だった。

「なに? 宮本さん」

「メグでいいよ」

「メグちゃん、どうしたの?」

「一緒に帰りたい」

「いいよ。帰ろう」

 私たちは前と同じように並んで歩いた。今回は、メグの方が歩幅を合わせてくれたから、歩きやすかった。


「ねぇ、ムツキさん。ムツキさんって、自分を責めることってある?」

「しょっちゅうだよ。私って、すぐ調子乗るし、実はそんなに頭よくないし、結構乙女なところあるし、気を付けてないと、ずいぶんイタい子になっちゃう。ううん。気を付けても、私はイタい子」

 私が自虐をすると、メグは愉快そうに笑った。心底楽しそうだったから、私も楽しかった。

「確かにそうだ。ムツキさんって、イタいよね。でもさ、私みたいなのよりかはずっとマシだよ」

「メグちゃんみたい、ね。つまり、誰かに攻撃せずにいられないってこと?」

 メグは、立ち止まって、驚いたように目を見開いていた。私はおかしくて笑った。彼女の気持ちが手に取るように分かる。こんな直接的に言われるとは思っていなかったのだろう。

「うん。誰かの悪口を言ったりするのが癖になってるよりかは」

「癖になってるんじゃなくて、そういう性格なんだと思うな、私は。我慢することはできても、そういう欲求がなくなりはしないんじゃない?」

「なんで分かるの? そんなに、私のことを」

 『なんで分かるの』か。私は逆に『なんで分からないの』と尋ねたい。あるいは『なんで分かってくれないの』と。

 ただ私は黙って首を振る。それでは伝わらないのは分かってる。伝えるべきじゃないことは、伝えない。彼女が分からない理由は、分かるべきでないからだ。それを伝えても、何の意味もないからだ。

 私が黙っていると、メグは深いため息をついて、歩き出した。

「私、一人きりでいると、自分の悪口ばっかり繰り返すんだ。性格悪くて、ブスで、勉強だって、努力しても一番になれない」

 『そんなことないよ』と反射的に言いそうになるが、口をつぐんだ。そんな答えは求められていない。

「でも、誰かの悪口を言ったり、誰かに嫉妬してるときは、自分の惨めさが忘れられる。私ってほんとはそんなに性格悪くない。ただ弱いだけで、ほんとはもっと優しくなりたい」

 そうではないのだ。私は知っている。それは、嘘なのだ。優しくなりたいのではなく、優しい人間だと思われたいだけなのだ、彼女は。

 私は黙っている。ただ黙って、彼女の嘆きに耳を傾け、自分の心を傷つける。

「私、イジメられてる人とかいたら可哀そうだと思うし、助けたいと思う。泣いている子がいたら、真っ先に『大丈夫?』って声かけに行くし、友達が悩んでたら、話を聞いてあげようって思う。それなのに、性格悪いって思われるの、おかしいじゃん。ちょっと悪口言っちゃうくらいで、なんで私のこと避けようとするの? おかしいじゃん……」

 おかしくはないのだ。それが世の道理なのだ。きっと彼女は、それをよく理解している。理解しているのに、誤魔化している。自分を騙そうとしている。自分の性格の悪さから逃げ出して、全てを正当化しようとしている。

 胃から、小さな意地悪がこみあげてきて、口から飛び出そうとしていた。私は、笑った。試してみよう、とそう思った。

「メグちゃんは、自分のこと好き?」

「ううん。大っ嫌い」

「メグちゃんの友達は、メグちゃんのこと、好きだと思う?」

「多分、怖がってるだけでほんとはそんなに好きじゃないと思う」

 メグは嬉しそうにしている。泣きながら、ずっと言えなかったことを言っているみたいに見える。あぁ、可愛らしい! 傷つけたい……

「メグちゃんが思ってるほど、みんな難しく考えてないよ」

「どういうこと?」

「皆、メグちゃんのことを気にしてないってこと」

「気にしてないってどういうこと」

「取るに足らないってこと」

 また、あの顔だった。目を見開いて、顔を真っ赤にして。あぁなんて分かりやすいんだろう。私は微笑む。

「メグちゃんがどれだけ誰かの悪口を言ったって、言われた側は『誰かに言われた』としか思わないよ。だから、好きなだけ言えばいい。悪口っていうのは、言えば言うほど軽くなるからね。響かなくなるんだよ。傷つかなくなるんだよ。あの子は、あぁいう子だからって、みんな気づくから」

 本当のこと。人を傷つけるのは、罵倒でも悪意でもなく、真実なのだ。真実が、人の胸を刺し貫く。

 言われた瞬間は、何を言われたのか分からない。でも時間が経つと、内側から心臓を腐らせる。

『私は取るに足らない存在だ』

『私が悪口を言えば言うほど、私は惨めな奴だと思われる』

『私は惨めだ!』

 私は想像して、喜んだ。

「じゃあね、メグちゃん。楽しかったよ」



 私は家に帰って風呂に入っている間、自分がやってしまったことについて考えていた。私らしくないと思った。あんな風に、自分のしたいと思ったことをほとんど精査もせずに実行するなんて。それに、危険だ。恨まれて、復讐されるかもしれない。

 ううん。彼女はすぐに私の言ったことを忘れるだろう。私に恨みを持てるほど、彼女の頭はよくない。

 私にあの時悪意があって、彼女を傷つけようとしたことなど、彼女は気づきようがないだろう。



 次の日、メグは学校を休んだ。その翌日も休んで、結局次の月曜日にやっと学校に来た。明らかにやつれていて、体調が悪そうだった。

 不思議なことに、私は一切罪悪感を感じなかった。喜びもほとんどなく、ただただどうでもいいと思うことができた。これは私にとって快挙だった。

 つまらない失言で後悔し、泣いている友達を上手に慰められなかったことで何週間も悩むような私が、この時は一切傷つかなかったのだ。


 メグは、また私の悪口を言うようになった。

『ハゲた臭いおっさんと二人でホテルに入るところを見た』

『学校の先生と肉体関係を持っているらしい』

『家族が某宗教団体に属しているらしい』

 等々、もはや何の根拠もなく誰も真面目に聞く気が起きないような噂話まで私の耳に入ってきたが、私はそのどれも一切気にならなかった。


 なぜかといえば、私はその気になればメグを殺すことができるからだ。言葉で、メグの思考を奪って狂わせることができるからだ。

 弱い人間。とても弱くて小さい人間。かわいらしくて、イジメたくなってしまうような弱い人間。

 私の中にも、そういう嗜虐心があることに気づいた。新しい自分を知れて、私は嬉しかった。


「ねぇムツキさん。いっぱい悪口を言って、ごめんね。私、ムツキさんに甘えてるんだ。ムツキさんなら、どんな酷いこと言っても、笑って流してくれるから」

 私はきっと、彼女を殺すことはないだろう。そんなことをする理由はないし、きっとさすがにそこまですれば私の良心も黙ってはいない。

 でもいつか……私は私の意志で、誰かの魂を奪い取ることができるかもしれない。

 そう思うと、私は嬉しくなって微笑んだ。そのまま、メグの言葉を肯定した。

「そうだね」

 

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