【対話的考察】虚栄心

「君は、虚栄心を満たすことを動機に動くことを、悪いことだと思うかい?」


「原因に善し悪しはないよ。判断基準はいつだって、結果」


「原因? いや目的だよ。『素晴らしいものを作りたい』という目的と、『虚栄心を満たしたい』という目的じゃ、全然違う。『素晴らしいものを作って結果的に評価されること』と『評価されたいから素晴らしいものを作った』じゃ、内容も結果も異なる」


「ふぅむ。でも結局は、それがどれだけ優れているかじゃないの? 優れてるなら、虚栄心を満たすために作っていたとしても、許されると思う」


「納得しがたいな」


「多分君が納得できない理由は『虚栄心を原動力にすると、それが満たされたタイミングでやめてしまうかもしれない』ということなんじゃないかな? つまり……中途半端な場所で満足してしまうから、本当に価値のあるものは生み出せない、と」


「かもしれない。でもかといって『素晴らしいものを作りたい』という欲求で動いたとしても……」


「そもそもそんな欲求ってはっきり分け隔てられるものじゃないと思うけど。いつだって複合でしょ」


「でも、どっちが主軸というのは常に意識しているし、そうじゃないとうまく動けない気がするんだ」


「そうかなぁ。勘違いじゃない? それも」


「あと、虚栄心を満たし続けると、それがどんどん膨れ上がるんじゃないかという恐れもある」


「逆だと思うけどね、私は。そういうのがうまく満たされていないと、どんどん大きくなって、凶暴化される。すでにそこにあるものを『いらない』なんていうのは、基本ナンセンスだよ。もし『いらない』っていうなら、殺さないといけない。殺せないなら、そこに存在することを認めてあげないといけない」


「でも……」


「でもって何? 君はなぜそこまで虚栄心に対して嫌悪感を持っているの?」


「僕はかつて何度もこの虚栄心のせいで、多くの人とのかかわりに問題を起こしてきたからだ。ただでさえ私……僕は目立つのに、さらに目立とうとすれば、当然打たれる。僕はいつだって出る杭だった。すでに出ているのだから、これ以上出ようとするのは、危険だと思うんだ」


「結局はその臆病な気持ちが、君の虚栄心を抑えているんだね」


「そうなんだろうね、実際は。本当のところ、僕はもっと評価されていたいし、愛されていたい。もっと高いところにいると思われていたい」


「なら、それにふさわしい自分になるか、それにふさわしい成果を残さないと。解放された虚栄はいつか自負心になって綺麗な歌を歌うから」


「難しいんだ。人に認められていたいのに、僕はすでに人を見下している。彼らに評価されるためにしなければならないことを、本能的に僕は嫌がっているんだ」


「なら、それは避ければいい。いくつか、そういう嫌悪感のないやり方があるはずだから」


「論文でも書くか」


「そんなの大学入ってからでいいでしょ。それに高校生が書いた論文なんて、誰も評価しない」


「そうとも限らないと思うけど、まぁ、いい案とは言えないだろうね。実際いろいろと素晴らしい偶然が重ならない限り、論文で評価を受けるのは難しそうだ」


「他の案で」


「音楽……私、僕は、それに関してあんまり自信がない。あんまりどころか、全然ない。できる気がしない。いや、できることにはできるんだが、はっきりいって、低水準のものしかできない気がする」


「君がそう思うなら、そうなんだろうね。なんで小説じゃダメなの?」


「なんだか、小説は……いや、小説は今書いてて……それの他にも書いてもいいけど、何というかその」


「ちょっと追求してみてよ。今、あの中編の他に作りたいと思っていない理由を」


「注意力散漫になってしまうから?」


「それならなおさら、他の趣味はもっとダメでしょ」


「確かにそうだ」


「私思うんだけど、君はそもそも小説を書くのがあんまり好きじゃないんじゃないかな? 小説を書くよりも、自己省察をするのが好きなんじゃないかな? 今みたいに」


「だとしても、自己省察は虚栄心を満たしてくれない。これを評価する人はどこにもいない。これは私以外の誰の役にも立たない」


「もう無理に『僕』っていうのやめたんだね」


「私はずっと、自分が比較的男性的というか、中性的な女性だと思ってたけど……実際は分かんないね。話を戻そう。私は確かに、あなたの指摘通り、自己省察が好き。自己省察をしているときは、穏やかでいられるし、何のプレッシャーもなく精神が自由であると感じる。楽しいし、成長している実感がある」


「でもそれを、評価する人はいない。そこに美しさはないから。泥臭さといってもいいよね、こういうの」


「厳しいな。だから、一番近い小説を書いてた。実際私の書く小説は、あまりにも自己省察のシーンが多い。私は結局、『自分』というものが好きなんだ。それが『私』である必要はないんだけど」


「どうしてそこまで『自分』に固執するの? なぜ『自分』から見える『自分』を追求しようとするの?」


「分からないけど、昔からそうだった気がする。私はことあるごとに『自分ならどうだろう?』『自分とは何だろう?』ということを考えてきた。それが楽しかったし、嬉しかったから」


「今も?」


「今も。私は『私』のことは別にそれほど好きじゃないけど『自分』のことは大好き。だから、同じように自己省察する人が好き。私はモンテーニュが好きだし、パスカルも好き。デカルトにも好意を抱くし……」


「で、これからどうするの? そのあなたが好きな『自己省察』を、どう発展させるの?」


「たとえばそれをもとに絵を描けば、きっと素敵な自画像が描けると思う。でもさ、私はあまり視覚的な情報を整理するのが得意じゃない。絵が、あんまりうまくないんだ」


「音楽は?」


「難しい。絵と大して変わんない」


「で、結局文章、と。で、文章で需要のあるジャンルは、小説等。でも世間一般の人たちは、自己省察する人があまり好きじゃない。どうやって虚栄心を満たすの?」


「多分ね、私は人生相談とか受けるのは得意だと思う。実際友達から相談事持ち込まれることは多いし、それで喜んでもらえることも多い。私は相手の言葉に注意深く耳を傾けて、その態度や仕草もちゃんと分析して、相手が何を欲しがっているか、相手にとって何が役に立つことなのかをしっかり把握する能力がある。だから、そういうのは確かに自分の虚栄心を満たすのに役立つし、適正もあると思う。でも自分のやりたい事かと言われたら、多分違う。そこに自己省察はなくて、ただ、どうでもいいことで悩んでる人のお馬鹿さ加減に同情しているだけだから」


「でも、他の人から見たら今のあなただってそうだと思うよ? 自己省察なんて、大半の人間からしたら『どうでもいいこと』だからね」


「でも私は、それが好きなんだ」




「どうして私は自己省察が好きなんだろう? いや、理由なんてないんだろうね。ただ、それが楽しいから。サッカーが好きな人に、サッカーが好きな理由を聞いたって意味ないのと同じ。私は、自己省察が好き」


「じゃあさ、その自己省察の結果、君は自己省察以外に自分に何が向いているか分かった?」


「うん。さっき言ったように、一対一のコミュニケーションは、とても適正があると思う。私は一対一で話して、相手から尊敬か嫉妬の念を得なかったことは一度もない気がする。それくらい私は……でも、そんな自分を軽蔑している自分もいるんだ。そんなことをしても何の意味もないし、空しいだけだって。男の子にモテるのと一緒。付き合うわけでもないのにモテてどうすんの? なんでそんなくだらないことで喜んでるの? ってね」


「そもそも本当に君はモテてるの? モテてるということにしておきたいじゃないの? それで……実際はモテていない自分を正当化するために『モテても仕方がない』と自分に言い聞かせているんじゃないの?」


「そうかもしれない。実際……経験は確かにあるけど、その、実感みたいなものも感じたことあるけど、それが勘違いじゃないとは言い切れない部分はある。告白されたのだって、本当にその人が私を好きだったかと言われると、微妙なところがある。なんだかノリというか勢いというか。男の人が考えていることって、分かりやすいけど分かりにくいというか。いや、本当は私、何も分かってないのかもしれない。分からなくて不安で、その不安を隠そうとしているから、矛盾するのかもしれない」


「だとしたら実際にモッテモテになってみればいいんじゃないの?」


「やだ。めんどくさい。想像してゾっとした。モッテモテって何? 色んな男の子から好意持たれて、告白されるたびに、喜びながら断るの? 気持ち悪い。そんなの。私は、私が好きだと思う人から愛されていたい。それだけでいいし……それ以外はいらない」


「それが本音なんだね?」


「きっと」


「で、好きな人はいるの?」


「……分からない。思い当たる人がいないでもないけど、でも私はその人と結ばれたいと思ってないし、そんな未来はないと思う。そうであるべきでもないし……性欲も感じないし。熱い情念のようなものもないし。ただ何となく、あの人と恋に落ちて結婚する人は幸せだろうなぁってぼんやり思うだけ。私はそこまで幸せになりたいって思ってないし」


「本当にそうなの?」


「私は幸せよりも、強さとか、気高さとか、そういうのが欲しい」


「わっかんないなぁ。そういう『強さなるもの』とか『気高さなるもの』って何で決まるの? 人にそう思われていたら、そういうことになるの?」


「ううん。もっとちゃんと実在しているというか、ひとつの性質というか。『歌が上手い』とか『絵がうまい』に近いかな。『強い人』『気高い人』たとえそう思われていなくても、実際にそうである人でありたい」


「自己実現欲求てやつかな」


「かもしれない。でも私は同時に、目に見える形で何かを残したいとも思ってる。目的意識というか……自分のこういう、自我みたいなものの認知を超えたことを成し遂げたいと思ってる。『自分でもどうやってやり遂げたのか分からない』ことをやり遂げたい」


「だとしたら今書いている小説は、ダメなんじゃない?」


「ダメかもしれない。あれはもうほとんど……いや? いやでも、最初に決めていたプロットより、意図せずいい展開になっているのは事実だと思うんだ」


「たまたまっていうんだよ、そういうのは」


「そうかな。でもまだ分かんないから、とりあえずあれはあれでやり遂げようと思う。それは、君が何といおうと、もう決めたことだから」


「まぁそのことはいいよ。そうだね。じゃあ私からひとつアドバイスしていい?」


「何かな」


「君は、自己省察を続けるといい。やることがないとか、やる気が出ないとかいうなら、自己省察を極めればいい。誰よりも、深く、広く、自分自身を探し続ければいい。それが君の本性に即しているのだから」


「分かった。なんか釈然としない部分はあるけど、今はそれに従ってみるよ」


「それで虚栄心が満たされるという保証はないけどね」


「保証どころか、それは満たされない虚栄心を増幅させそうだけどね」


「それなら、その虚栄心は、あの作品を作るのに役立ってもらおうよ」


「むしろ邪魔にならないか心配なんだけど」


「平気だよ。きっと」


「今は信じるしかないんだよね」


「うん」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る