【対話的考察】価値観


少年は、少女に話しかける。彼は同性の友人たちとは話が合わなくて、それはきっと年をとっても変わらないのではないかと考えている。それゆえ、「普通」のふりをしなければ、生きていけないのではないかと不安を語る。




少女「どれだけはみ出したところで、人に避けられたところで、私たちはこの社会に適合して生きていくんじゃないかな? わざわざ普通になろうとしなくていい。程度を下げなくてもいい」


少年「楽観主義的すぎないかい?」


少女「そうかもね。でも、ここで楽観主義をとるか悲観主義をとるかで多分、結果は変わってくるよ。考えてごらん? 結局その場で生きるか、それとも逃げるか決めるかは自分自身だよ? 選択肢がなくなるくらい状況に追い詰められるなんて、相当運が悪い少数のケースだけだよ」


少年「少数のケース……でも僕たちはすでに少数派だ。すでに、半分運が悪い状態だ。何を言っても『難しくてよくわからない』『賢いんだね』とだけ言われて、放っておかれる」


少女「違うよ。私たちは他の人たちよりどんなに控えめにいったって、優れている。多くのことを理解して、色々な価値観を許容して、どんな人とも対等に言葉を交わせる。簡単なシミュレートなんだけどさ。この世界の他の人たちが私たちと同じくらい賢ければ、どうなるかな? きっと世界はもう少しよくなる。だとしたら私たちはやっぱりすぐれている。賢さなんて人それぞれ、なんて馬鹿みたいなこと言わないでね? 賢さの指標は曖昧だけれど、その共通の程度は確かに存在しているんだから」


少年「そう、だね。僕も何度か考えたことがある。全て僕だったらどうだろう? と。確かに争いも問題もずっと減るだろうと思う。でもそれはそれでつまらないような気もするんだ? おかしいかな……僕はさ、僕が優れていることを疑っている。テストでいい点数を取るのも、大人に頭を下げさせるのも、優れていることの証明にはならないように思うし……そのシミュレーションだって、きっと頭の悪い子供だってそう『思い込む』ことは簡単にできる。だから僕は、そう思い込んでいるだけなんじゃないか、って」


少女「ふっ。もしそうならね、その思い込みから逃れることができないんだよ、人間は。それを現実の形として教えてくれる人がいれば違うかもしれないけれど、どれだけ疑ってもそれが真か否か不明のところから出られない問題は、放棄するしかないんだ。だから私たちは、周りの人間と私たち自身がそうなんじゃないかと思うことをとりあえず仮定しようよ。そうじゃないと進めない」


少年「……わかった。とりあえず、心から納得したわけじゃないけど、頭では納得した。君といる時は、そう仮定しておくことにする。それで、ちょっと整理をさせてほしい」


少女「えっと……この社会に溶け込めるかどうか、って話。私の主張は、私もあなたも相当運が悪くない限りはこの社会の中でうまく生きていけるだろうっていうこと」


少年「そう、だね。僕たち自身が僕たち自身の問題によって躓かない限りは、社会によって排除されることは少ないかもね。そうだね……だとしたら、もし自分の運が悪いと感じていないのに落伍した場合、他の皆と同じように僕たちも僕たち自身の欠落、あるいは不適合によって社会から脱落したのだと自覚しておいた方がいいのかも」


少女「たしかに、そういえるね。私たちは、もし脱線したなら高い能力が故に社会に適応できないのではなく、他の部分によってうまくいかなかったと考えなくちゃいけない。私と君との共通点は賢さという点だけど、他の部分ではずいぶん違っているし、私と君の進む道が違うことはかなり当然の結果になるんだろうね。賢さというだけで人の運命が決定づけられるわけじゃないし」


少年「ただ……その賢さとやらが出した結論、つまり価値観は概ね共通するよね。その価値観が社会全体と大きくずれていることが問題になるんじゃないか、と不安なんだ。少なくとも組織に属する以上は、その組織が所有する価値観に自分を合わせないと不都合が生じるし……」


少女「そうね。でも賢さというのは自分の頭で変えることのできない能力そのもので、価値観というのはある程度の頭での変更が効くものだよね。それぞれの相関関係はともかく、分離して考えたほうがいいと思う。少なくとも責任を取り扱うときに、両方を混同しちゃいけない。その問題が改善可能かどうかに関わってくる」


少年「確かに。でも社会で生きていくには、誤った価値観というものを信じることを強いられるけれど、君はその賢さを保ったままそれに耐えられるかい。それを耐えようと思えるほど、社会の中で生きていくことに価値を見出せるかい? 僕には、どうにもそれができそうにないんだ」


少女「忍耐の問題……じゃないね、これは。なるほど。この問題については私より君の方が前もってよく考えていたみたい。確かに私も君と同じように、差別や偏見といった間違った価値観を強要されたとき、それに耐えることより避けることを選ぶと思う。言い換えれば、逃走すると思う。それは社会からの落伍を直接的に意味してはいないと思うけれど、周りの人間からはそう見えるかもしれない。客観的事実と最大多数の見方っていうのを混同している人たちからすると、確かに私たちは……」


少年「もちろん、必ずしもそうなるとは限らない。間違った価値観といっしょくたにしても、耐えられる場合と耐えられない場合がある。ほんの少しでも間違っていたら許せないというほど狭量じゃないし……でも人として決定的に歪んでしまうとなると、やっぱり譲れないと思う」


少女「人として決定的に歪んでしまう……人を人と思わない考え方とか? いや……もしかしてさ。君はこういうことを考えている? そもそも人たる個人に対して組織の価値観を強要して、それに適合させるということそのものが。確かにそもそもこの社会には個人たる人間しか存在しないはずなのに、その人としての権利を持っていない組織が価値観を押し付けるなんて、人として歪んだ価値観という以前に、個人が持ちうる価値観ではない。ということ?」


少年「さすがにそんな極論を言うつもりはないけれど……だってそれだと国家や法そのものを否定することになるから。あのね。僕はこう思うんだ。個人として正しい価値観と、組織として正しい価値観は違うと思う。そしてその両者は本質的に矛盾しないと思うんだ。国家としての正しさと個人としての正しさは一致しないし、一致してはならないけれど、むしろそれは両者を補強し合う関係だと思う。だから、そもそも押し付けるものじゃない。そこにすでに存在しているものとしてあるのが正常だと思う。というかそうじゃないと歪んで、ぐらついて、壊れる。早いか遅いかに問わず」


少女「うん。ちょっと待ってね……考えをまとめるから」




少女「確かに日本の法律全てを個人が所有することはできないし、個人にはその執行の権利もない。でも国家にはあるから、その権利の所有者として正しい価値観が必要、ということね。そしてその下に個人が、個人としてできることの範囲の中に正しい別の価値観がある、という。確かに持っているものがそもそも個人と組織では全然違うし……でもそれをいうなら、個人と個人は常に対等で平等であることが理想だからその価値観はひとつの正しさに収束するのかもしれないけれど、組織と組織の間には必ず権利に差があるし、組織と言ってもその多様さの数だけ違った正しさがあるんじゃない?」


少年「うん……それについてはじっくり考えたことがなかった。そうか。そうだね。それぞれの組織にそれぞれの正しさが存在する。それはその組織が『正しい』と規定したことじゃなくて、その規模や権利に応じた実際的な正しい価値観が存在するということ。正しさを判定するのは難しいけれど、誤りに気付くことはたやすい。僕たちは、自己の正しさや誤りについてはかなり考えてきたし、気づき次第ある程度治そうとできる。でも組織は、一度できてしまったらそれを個人が努力によって変えることは非常に難しいし、それは個人といってもそれぞれの立場によってできることが違う。たとえ経営者でも、その内部の人員を自分の思うように入れ替えることができない以上、誤りをある程度見逃して、少しでも正しくするような亀の歩みで進めなくちゃいけない……やっぱり僕には、組織で生きることができなそうだ」


少女「私は、まだわからないかな。君は多分大きな組織について考えているけれど、私はもっと小さい、人が影響できる範囲の組織を考えているし、とりあえず現代ではまだまだそういう小さい組織はなくなっていない。確かに今の議論でわかったことは、私や君はきっと大企業に入ることはできても、その中でうまく生きていくことはできないということだね。まぁ大企業というより、企業として体を保っている範囲だね。中小企業でも、それが企業として個人の名前が見えない限りは、多分無理だろうね。うん。そうだね。そういう指針が見えただけ実りがあったと考えようか。まぁでも間違いだったらしゃれにならいし、あとで一人でもっと考えてみる。本当に私は企業という大きな機械の中でうまく生きるのに適していないのか、ということについて」


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