【類型】告発者
臭いやつや喋り方が不快なやつ。明らかに自己中心的で空気が読めないやつは、私だって苦手だ。苦手だから、近づかないようにする。一緒に喋っているだけで、気を少し抜いたら顔をしかめてしまうからだ。
人を無意味に傷つけることは好きじゃないから、自分とは合わなそうな人間とはそもそも関わらないようにしてきた。だからこそ、自分の嫌いな人間にわざわざ近づいてイジメる人間の気持ちは理解できなかったし、そいつらに関わるのも嫌だった。
「イジメを見て見ぬふりをするのは、加担するのと同じことです」
道徳の授業の時に読まされた新聞記事に、そう書いてあった。普段イジメをやっている連中は目立たないように授業を受け、イジメられている方もまた、大人しく座っていた。私は……その中間にも立たず、傍観者にもならず、誰かに肩入れするでもなく、ただただじっと「ここの空気は悪い」と思った。
どうして私は黙っていなくてはならないのか? この状況を打破できるのは自分だけなのではないか? このように……自分の頭で考えることができる人間こそが、勇気をもって行動し、現状を変える義務を負っているのではないか?
『みんな』で何かをするのではなく『私』が何かをすべきなのではないか。
授業の後半、私は泰然と立ち上がった。
「○○さん。どうしたんですか?」
「先生。私さ。正義感とか一切ないし、私の見えないところで誰がどんだけイジメられようがどうでもいいって思ってるんだけどさ。でも気持ち悪いわ。この教室。言っている意味わかります?」
先生は瞬きをして「え?」と聞き返した。「つまり」と私の言っていることを要約しようとした。
「○○さんは、イジメがあってもいいって思ってるんですか?」
「いいとか悪いとかどうでもいい。ただ私は、この教室の空気が気持ち悪い。私が伝えようとしてること、分かりませんか?」
「分かりません。もっと分かるように言ってください」
教室は、冷ややかな目で私を見ている。私は、笑いだす。おかしいじゃないか。お前らは、なぜそんなに冷たい人間でいられるんだ? 何も考えてないじゃないか。何も信じていないじゃないか! 自分自身すら保たず、ただ何も起こさず、起こすこともできないということだけを確信してる。
「先生は鈍感なんですかね? それとも気づいていないふりをしてるんですかね?」
「何がですか? イジメですか? 誰が誰をイジメているんですか?」
「それくらい自分で考えてくださいよ。気分悪いんで早退します」
私はカバンを取り出して、早歩きで教室をあとにした。中学一年生の秋。私の気分は晴れやかだった。イジメが行われているかどうかなんてどうでもいい。巻き込まれたくはない。でも、その場で黙っていたくもない。私は行動していたい。私らしく行動していたい。
その後、家に連絡があった。緊急の三者面談が設けられた。母親は「○○。何をやったの?」と尋ねてきて、私は「道徳の授業でイジメについてやってて、私がそのクラスでイジメが行われていることをほのめかした。それで、皆冷たかったから、気分が悪くて帰った」と答えた。母親は、一瞬だけめんどくさそうな表情をした後「正しいことをしたんだね」と私の頭を撫でた。
私はその手を振り払った。たとえ家族でも、むやみやたらに触られるのは嫌いだった。
「やめてよ。そうしたかっただけなんだから」
「○○は、優しいからね」
私は自分のことを優しいだなんて思ったことないし、それに優しさなんてクソクラエだ。優しさなんて、何の役に立つだろう? イジメられている人間を助けるためにイジメを告発したならば、イジメている連中を苦しめる羽目になる。イジメられっ子がイジメられる代わりに、大人がイジメっ子をイジメるの図に変わるだけ。時間がたてばイジメの標的が別の人に移ったり、そもそも教室全体の空気が今以上に悪くなったりもする。そう考えたら、行動できなくなるのが当然だ。『善い人』も『優しい人』も実際には行動しないのだ。
『みんな』に優しい人間は、いつだって何もできない。私は私が優しくしたいと思った人間にしか優しくしないし、今回の件は、私が優しい人間だからそうしたんじゃなくて、ただただ不愉快だったからそうしただけなのだ。
なぜわからない?
机が三つ。椅子も三つ。向こう側に一。こちら側に二。だが隣に座っている母親は、こちら側でも中立でもなく、教師の側に心を置いているようだった。
「○○さん。あの時、あぁいう風に言ったのは、どういう意図があったからですか?」
教師は私にそう尋ねてくる。
「意図? ただ不快だっただけですよ。イジメが行われているクラスで、綺麗ごとをみんなで勉強する」
「やっぱりイジメが行われているんですね?」
「本当に気づいてないんですか? 先生、向いてないんじゃないですか?」
私がそうやって馬鹿にすると、母親が私の頭を叩いた。
「失礼でしょ!」
私はいつものように叩き返そうとかと思ったが、愚かな母親を許すことにした。私の方が、この人よりも物事がよく見えているのだから、私の方が譲歩すべきだ。
「すいませんね。もう少し言い方を変えればよかったかもしれません。もっと子供の人間関係を見たほうがいいと思いますよ? それができないなら、転職も考えたほうがいいと思います」
母親はもう一度私を叩こうとするが、教師の方がそれを「まぁまぁ」と諫めた。
「反抗期なんてそんなものですし、私も慣れてますから」
大人の余裕というものを、教師はアピールした。私は滑稽で笑ってしまう。もういいじゃないか。話すことなんて何もない。何もないんだ。
「○○さん。大人には大人の事情があるんです。そんな簡単に仕事をやめることはできませんし、向いてないからといって責任を放棄しちゃいけないんです。子供ならそれが許されるかもしれませんが、大人には許されないんです」
論点をすり替えているという自覚はなく、常に自分が正しいと思い込むのだ、大人というものは。いいじゃないか。人を言い負かすことに、どんな意味があるだろう? こんな会話に、何の意味があるだろう。とっとと本題に入るべきだ、と思った。でも本題って何だろう? 私がここでイジメの全容を語ればいいのだろうか? なんだかそれは悔しい。彼らの思わく通りじゃないか。それをして何になる?
おかしな学級裁判が始まって、イジメっ子たちが皆の前でイジメられっ子に謝って、教室には不気味な怨恨だけが残って、また空気が悪くなる。それで一か月くらいたったらまた別の誰かがイジメられる。
私が黙って考えていると、教師は猫なで声で語り始める。
「○○さんは、強い人です。それに、細かいことにもよく気が付く人です。皆が皆、イジメに気が付くわけじゃありません。私も、本当は○○さんみたいに、すぐに気が付ければいいんですが。でも、それが難しいこともあるんです。だからこそ、気づいた人が、気づいていない人に教えなくちゃいけない。だからね、○○さん。先生に、教えて欲しいんだ」
私はため息をついた。一瞬だけ話してもいいか、と思ってしまった自分にうんざりしたのだ。
「死ねばいいのに」
何が、ということは考えなかった。ただただ、そう思ったのだ。思ったことを、そのまま口に出しただけだ。
今度は誰も何も言わなかった。
「もしかして、○○さんがイジメられているんですか?」
私は思わず吹き出してしまう。んなわけあるか! あはは! 私は愉快で、大笑いした。どれくらいだろうか? 多分一分弱だろうか? 笑いが止まらなくて、おかしくなってしまったんじゃないかと自分を心配するくらいだった。
笑いの発作が終わるころには、なんだか気分は晴れやかで、どうでもよくなっていた。こんなの、コントみたいじゃないか。どうしてこんな状況で、真剣に、自分の役を演じていたのだろう?
こんな面白い状況で。あぁ。何てバカバカしいんだろう。バカバカしい。
すっと心が冷めていくのが分かった。心配そうに私の顔色をうかがう二人の女を見て、一瞬だけまた笑った。
「私がイジメられるわけないじゃないですか。もしイジメてくる人がいたら、骨とか歯とか何十本も折れるまでボコボコにしますよ、私は。もう、二人とも、馬鹿なんだから」
今度は、母親は叩いてこなかった。素振りすら見せなかった。むしろ私の言葉に圧倒されたようで、目が濁っていた。力を失っていた。
「○○君ですよ。イジメられてるの。イジメてる側は、○○、○○、○○、○○、○○。それで、この教室の半分以上の人間は、それに気が付いているけど、興味がないか、時々加担したり、諫めたりする。やり過ぎだと思ったら、みんな止めようとするんですよ? それで、『イジメじゃなくて、じゃれ合ってるだけ』って自分たちに言い聞かせてるんです。本当はただ自分たちの不満のはけ口にしたいだけなのに。ははは! この母親が、私を叩くみたいに。私、普段倍の力で叩き返すんですけどね」
急に饒舌になった私に、二人ともついてこれていないようだった。
「ごめんなさい○○さん。もう一回言ってもらえます。メモ取ります」
笑いが止まらない。あまりの頭の悪さに。もうどうしようもないなと思った。
「○○がイジメられてて、イジメてるのは、○○、○○、○○、○○、○○。忘れないで欲しいのは、彼らは節度を弁えてイジメてる。やり過ぎだと思ったら止めるし、他のみんなも、それをイジメだと思わないようにしてる」
「具体的には、○○君、どんなことされてるんですか?」
「まず陰口。○○は顔がよくないんで『ブサイク』『ドブネズミ』『ヒキガエル』等と数人で囲んで囁いていました。○○は頭を抱えて『やめてくれ』と小声で言いますが、もちろんやめません。他には、○○の服の中に汚れたぞうきんを無理やり押し込んで『病原体』などとからかったりもしてましたね。筆箱をごみばこの中に投げ入れてるのも見ました。あと、菌移し。中学生にもなって、○○菌とか言って、存在しない何かをなすり付け合うんですよ? 『えんがちょ』とか言って。あぁ。口に出すだけで汚らわしい。あっはっは!」
私は、口を閉じて、じっと教師の目を見た。指をさすような目で「それに気づかなかったんですよ、あなたは」と言った。そして私は立ちあがった。
「もういいですよね」
「いや、まだ聞きたいことがあります」
と教師は私に座るよう促した。
「私にはもう言うことありませんけどね」
「○○。座りなさい」
母親が思い出したように私に命令した。私は、もう我慢できなかった。
「大体、失礼なんですよ。あなたは答えてもらう側、私は答えてあげる側。なのに、なんでそんな自分の意見ばかり主張できるんですか? なぜ感謝の言葉も気持ちも何もなく、奴隷と主人のように、自分たちが命令して当然みたいな顔するんですか? 先生。もういいでしょう? あとはあなたの仕事ですよ。甘えないでください」
私は教室を歩いて出ていった。母親が謝る声が聞こえた。私は、私が出ていったあと、彼らがどんな会話をするのか想像してしまう。
『ごめんなさい先生。○○、ほんと生意気で』
『いえいえ。でも、よく勇気をもって教えてくれました。教室であんなことが行われてたなんて』
『やっぱりイジメっ子とかって、先生にバレないようにしますもんね。子供から見たら気づいて当然なのかもしれませんけど』
『相手の立場に立って考えるというのは、まだ難しいみたいですね。でも○○さんは、賢い子ですから、いつか分かってくれると思います』
『そうなればいいんですが』
どんな冗談だろう。もし本当にそんな会話がなされていたならば、それを真剣に想像している私は相手の立場に立って考えているし、逆に彼らは私がそういう想像をしていることを想像できやしない。
あぁ。何が正しいのかといえば、私が正しいのだ。もう、いいじゃないか。
もう、いいじゃないか。
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