【類型】無職


 二千二十一年になった。今年は丑年だ。




 僕は幼少期のころから今まで、二十二歳まで、ずっと年賀状というものをあまり好きになれなかったのだが、今年リビングの机に散らばっている年賀状を暇つぶしにぱらぱらと見ていると、「なるほど」という気持ちになった。


 大体全部で二百枚弱あって、十枚に一枚は写真が貼ってあった。元気そうな学生時代の知り合いの顔も時々見つかり、嬉しい気持ちになった。みんな元気でやってる。僕も元気でやってる。(顔写真がある人は美男美女であることが多いのも、僕の気分がよくなった一因かもしれない。特にかつての同級生がかなりの美女になっているのを知るのは、非常に気分がいい)




 大学に受かったとか、卒業したとか、いい成績だったとか、司法試験に合格したとかそういう吉報が目に入るのも、嬉しい。僕は他人の幸せにふれるのが好きで、それは朝の曇りない太陽を浴びたときのような気分だ。


 しかし、彼らの笑顔をじっと見ていると、なんだか悲しい気持ちになった。そう。僕は、物心ついたときから年賀状を出していない。


 両親が「年賀状を出せているというのは、何とかやっていけているという証拠なんだよね」と何気なく話したとき、僕の胸は痛んだ。僕のこの十年間、年賀状を出すような余裕がある年は、一度もなかった。僕はこれまでの人生で、あまりに多くの「普通の幸せ」を失ってきたんだと思った。安心感も喜びも、成功も愛情も、手に入るはずだった全てを、僕は自らの無能力と非情な運命によって失ってきた。


 深い悲しみがやってきて、いてもたってもいられなかった。何かを呪いたい気持ちになったけれど、呪うようなものは何もなかったし、呪いたくもなかった。ただ両親に「僕は幸せな人を見るのが好きだけど、同級生の楽しそうな笑顔を見ていると、自分が失ってしまったもののことを思い出してしまう」と、しみじみ語った。


 母は「そんなことないと思うけど」と言った。そして「別にこの先敗者復活戦があるじゃん」などとめんどくさそうに言った。僕は思わず「僕は別に敗者なんかじゃない。勝手なことを言わないでくれ」と言い返した。母は興味なさそうに「はいはい」と流した。僕は悲しくなった。悲しくなって、この気持ちを文章にしようと思った。




 敗者。僕は一体何に負けたというのだろう? そもそも戦えてすらいないのに。僕がこのようになった原因は、社会に押しつぶされたからだ。社会に対して敗北したというのならば、その通りだ。そしてその場合、敗者復活などない。なぜか? 僕の勝利のためには社会の崩壊が必要だからだ。でも僕は、そんなもの望んでいない。


 僕は一生懸命生きてきた。人が手に入れられないものを手に入れてきた。ただ悲しいのは、失ってしまったこと。幸福も、安心も、愛も、きっと僕は二度と手に入らないであろうということ。社会的地位も名誉もレールに沿った道も、その先にある成功も、人から認められることも、賞賛されることも、たくさんの友達も。たった一人の親友も。僕はそういう、誰もが手に入れられる可能性があるものを、努力によって勝ち取れると約束されたものを手に入れる権利を、もうすでに失ってしまった。失ってしまったのだ。


 それを手に入れるには、あまりにも傷つきすぎた。この傷を抱えたまま、もう一度彼らと同じ道を歩むことは、僕の魂が許さない。僕が望めば社会はきっと、僕という存在を喜んで受け入れることだろう。しかし僕は、それを望まないし、望めない。


 それは僕の運命じゃなかった。


 消えてしまった喜びよ。消えてしまった幸福よ。消えてしまった平凡な生活よ。




 僕は知っている。平凡な中に完全な幸福があると。皆と同じように、この先も自分の望む未来が続いていくのだと確信し、余計なことをする必要も、肩肘張って生きる必要もない。ただ目の前にある仕事に全力をかけて取り組むだけ。自分の出しうる力を求められるがままに出しきり、その成果を受け取り続ける。


 それが、人間が感じ得る最も大きく長い幸せであると、僕はそう思う。そして僕は、その幸せをくだらないものとして取り扱おうと努力した。自分の失ってしまった、手に入らなくなった幸せを、無価値なものとして貶めようとした。でもそれは、僕の本性が許さなかった。僕は他人の笑顔や安心を、意味のないものとして感じることができない。僕はどうしたって、他人の笑顔や安心、幸福を肌で感じ、喜んでしまう。これは宿命なのだ。


 そして僕自身が、そうなれないこともまた、宿命なのだ。




 優しい人はこういうだろう。


「そんな道理はない。あなたが望むならば、あなたはいつでも幸せになれる。それだけの能力がある」と。


 僕は首を振る。


「もう、遅いんだ。全て、遅かったんだ。僕はもう二度と……僕はもう、自分の幸福のために必死になれない。必死になりたくない。僕はわがままなんだ。僕自身が、心の底から、そう思っているんだ。僕は平凡な幸せを捨てた。否定した。そして僕は、もっと高いところにある、綺麗で淀みない幸福の水を飲んでいる。僕は僕の道を歩む。わかるだろう? 僕の人生は、僕が望まなかった稀有な道を歩んでいる。運命は、僕に『稀有であれ!』と命じている。僕は、僕に『優れた者であれ! 平凡であることなかれ!』と命じている。僕は不幸になる権利を持っている。不幸になる権利を行使している」




 咳が出る。誰も心配してくれないし、僕自身も心配などしない。心配と幸福は近い場所にあり、僕はその両方から大きく隔たれた場所を歩いている。




 この深い悲しみを、僕は背負いきる覚悟でいる。この悲しみに相応しい価値を、残そうとしている。刻もうとしている。


 そう。この悲しみを笑い飛ばせるだけの、大きな喜びを、僕は求めている! それは、平凡な成功じゃどうしたって足りない。空しくなってしまうのだ。


 そう。僕は傲慢だ。思い上がった阿呆だ。でも思い上がった阿呆にしかできないことがある。ならば僕は、誰よりも思い上がった阿呆でいよう。だってそうでなくては、生きられないのだから。




 あぁなんて悲しき、喜ばしき人生かな! 僕はそれでも前を向いて生きていくぞ!


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