ショー


『ショー』





 芸術には目がなかった。特に、複数の人物が、夢中で何かを演じているような絵、音楽、小説が好きだった。


 シェイクスピアを愛していた。大げさな身振りで破滅していく人間が好きだった。


 私は予備校講師の仕事の傍ら、自分が好きなものを全力で褒め、嫌いなものを全力で貶した。それを文章にして編集の仕事をしている友人に送り続けていたら、いつの間にか評論家として一目置かれるようになった。


「先生の歯にモノ着せぬ物言いが大好きです」


「自分の感性をしっかり持っていらっしゃる。現代ではなかなか珍しい」


 私は、そんな下手な褒め言葉を聞いても、嬉しいとは思わなかった。中身のない言葉には、興味がなかった。




 学生時代から交友関係のある友人の娘さんは、今、花の女子高生だ。彼女は創作全般に大きな興味を抱いており、創作物の好みも私と近かった。私自身、あまり女性と真剣な恋愛をしてこなかった手前、少々……いや、この話はやめておこう。


 なにはともあれ、この子と私は年の離れたよき友人である。休日に、二人きりで舞台や映画を見に行くこともある。終わった後に激論を交わすのも、楽しい。


 人間の賢さというものに、年齢も性別も関係ないのだと、この子と出会ってから確信を深めた。偏見ほど、邪悪なものはない。





 とある日、娘さんの方から誘いがあった。


「○○さん。この舞台、見に行きませんか?」


 彼女は、スッキリとした言葉遣いが特徴だった。余計なことは言わず、要件をストレートに伝えてくる。


「うん。誘ってくれてありがとう。行くよ」


 心が躍った。次の日曜日が、心底楽しみになった。下心なんて少しもない。ただ素敵な女性と、趣味を共有して一日を過ごせるということが、素直に嬉しかったのだ。


「あぁ、楽しみだ」





 舞台が始まった。





 赤いマスクをかぶった女が、喚く。


「あなたが思っているより皆は愚かじゃありませんよ。あなたは自分のことを賢くて優秀だと思い込んでいるみたいですけど、人の揚げ足を取って喜ぶような人は、誰も尊敬しませんよ!」


 黒いピエロのマスクをかぶった男は、嘲笑う。


「俺は自分を賢いだなんて思ってねぇよ。俺はどうしようもないほど愚かだ。だが、お前はもっと愚かだ。昔の賢者も言ってる。自らが愚かであることに気づいていない人間こそが、もっとも愚かであるのだ、と。ぎゃはは。まんまお前のことだ!」


 女は、大げさな深呼吸をしてから、言い返す。


「そうやって人を愚弄して、何の意味があるんですか! ふぅ。あなたがどうしようもない下品な道化であることは、これを見ている観客の皆さまには一目瞭然でしょう。そうやって、あなたはずっと恥を晒していればいいんです」


「恥さらしはお前の方さ、ババァ!」







 場面が切り替わる。


 私もその子も、ふっと息をつく。俳優の演技が素晴らしくて、見入っていたのだ。内容は……最後まで見てから判断しよう。今は、舞台に集中すべきだ。そうするのが、脚本家と俳優に対する当然持つべき敬意である。







 控え目で黒い髪の素朴な少女が登場した。


「あの、こんにちは。ここにいる皆さまは、ダンスと演技を見る目が優れているという噂を聞いてきたのですが……」


 緑色のマスクをつけた男が、返事をする。


「もちろんですとも! しかし、厳しい意見はご覚悟なされよ。ここの人たちは、少々気性が荒い」


「えぇ。もちろん。それも噂に聞いております。身内の者や友人は、私の踊りを褒めるばかりで、私の踊りがどうすればよくなるかについては、何ひとつ教えてくれませんでした。厳しい意見は、望むところです」







 娘は踊り始めた。奇妙な踊りだった。どのジャンルにも当てはまらないが、色々なジャンルの主要素が組み合わされていて、見事だった。しかし途中で何度か躓きかける場面があって、まだ未熟な部分も残っていることがうかがわれた。


 踊りが終わると、客席と舞台上に拍手が沸いた。







 緑の仮面の男が「ブラボー!」と手を叩いた。


「荒削りではあるが、素晴らしい! また機会があれば鑑賞させていただきたいものだ!」


 赤い女と言い合いをしていた黒いピエロの男は、黙って手を叩いていた。


 仮面を被った男や女が、次々と評価をしていく。時に、僻みともとれる厳しい意見を言う者もいた。


 少女は、丁寧な態度を崩さなかった。侮辱だとはっきり分かるような発言にも、頭を深く下げて「ご意見、ありがとうございます」と感謝の意を示した。


 


 赤い仮面の女が出てきた。




「あなたの踊りは、あなたが思っているほど優れてはいないわ。別に、あなたが嫌いだからそう言っているのではないの。ただ、ここの連中には悪意があって、未熟なダンサーを褒めそやして、思い上がらせて、破滅させるのが狙いなの。だから、あなたは私の意見をちゃんと聞きなさい」




 そうして、赤い仮面の女は娘の踊りの悪い部分を、ひとつひとつ事細かに指摘していった。躓いたことへの指摘や、手が伸びているべきところで伸びていなかった、等の正しいアドバイスもいくつかはあった。しかし、ほとんどは言いがかりであり、人格否定まで含まれていた。その女の性格や趣味によほど合致しなかったのだろう。




「結局あなたのダンスは、自意識過剰な夢遊病者のダンス、って感じね。もっと基本のステップから勉強しなおして、出直してきなさい。こんなんじゃ、誰からも笑われるわよ」




 そう締めくくった。少女は心底傷ついたように首を垂れ「ありがとう……ございました」と小さく返事をした。


 赤い仮面の女性は自信満々といった表情で、舞台の一番目立つところでくるくると回った後、客席にお辞儀をした。


 踊り始めるのかと思いきや、照明が落ち、場面が切り替わった。その女は踊らなかった。







 その後も、他の仮面の者たちが少女に感想を伝えてきた。




「粗い部分はある。だが、動きはスムーズで、致命的なミスもなかった。重心移動やステップの基礎もできていたように見えたし、統一感もあった。何を目指しているのかという部分も、ちゃんと伝わってきた。このまま精進してほしい。努力、練習を怠らない事。応援しているよ」




「俺の好みではなかったな。どこかはっきりしない部分があって、好きじゃなかった。動き自体は、悪くなかったと思う。ひとつひとつの動きが丁寧だったし、細かいミスはあったが、それは俺自身の課題でもあるから、強くは言えないな」




 そうしたまっとうな意見のおかげで、少女は次第に明るさと自信を取り戻した。


「ありがとうございました! もっと練習して、また見てもらいに来ますね!」


 元気よく走り出していった。黒いピエロの男は、最後まで何も言わなかった。







「おい赤。お前は基本のステップができるのか? お前は人から笑われない踊りができるのか? お前が前に踊ったときのこと覚えてるぞ。酷い踊りだったよな。皆、苦笑して、まともな意見を言わなかったよな」




 黒いピエロの男は、笑っている。


 赤い女は、叫ぶ。


「あなたのような見る目のない人にはそう見えるんでしょうね。でも観客の皆さまは、分かってらっしゃる。ここにいる連中のほとんどは、見る目がない。人を侮辱して、嘲笑い、間違った判断をする未熟者ばかりです!」




「もちろん。その通り。ここにいるのは、プロになれなかった負け犬のダンサーばかり。そしてそれは、お前も同じ」




「人をそうやってすぐ決めつけて偏見に囚われるのは、愚かな人間の特徴ですね。少なくとも私はあなたよりは上手に踊れます。あなたが最後に踊ったときのこと、私は覚えてますわ。何度も転んで、もう見てられませんでした」




「あれ? 人を見下して愚弄するのは、下品な人間のすることじゃなかったっけ? あんたがさっきそう言ったんだろう?」




「いつ私が人を見下して愚弄しましたか? まったく、私はただ善意であなたに真実をお教えしてあげただけなのに」




「ふぅん。じゃあお前が馬鹿な負け犬で、皆から笑われてるのも真実ってわけで、俺も善意でお前に教えてあげてるわけだ」




「あなたは、悪意で優れたものを劣ったものだと決めつけて、嘲笑しているじゃないですか。何が同じなんですか?」




「悪意? 俺は道化だ。ただ俺は、お前をからかってやるのが楽しいだけさ」




「笑われてるのはあなただけです。あなたがひとりで恥をかいているだけです」




「どうだか。俺は俺が恥を晒しているのを十分承知しているが、お前は、自分が恥を晒していることに気づかない」




 女は黙った。舞台が少しだけ明るくなった。その時、ハッと気づいた。


 激しい口論に夢中で気づかなかったが、彼らは、デュエットを踊っていたのだ。


 軽やかで、見事で、息の合ったデュエット。


 愚者の男と、思い上がりの女が、息をぴったり合わせて踊っていたのだ。




 他の観客たちも、私と同じタイミングで息を吞んだのが分かった。言葉というのは不思議だ。消えた瞬間に、全てが明らかになった。


 あの品のない言い合いさえ、必要な序奏だったのだ。




「お前の言葉は最低だ」




「あなたの侮辱は聞き飽きたわ」




 その言葉を最後に、二人は黙って、踊り続ける。激しく、軽やかに、美しく。





 そして、音もなく踊りを終えた。




 二人は丁寧に客席に頭を下げた。そのまま、幕が下りた。何も言わず、静かに、舞台が終わった。




 拍手をするのも野暮なくらい、美しい沈黙だった。しかし、群衆はそれを理解しない。割れんばかりの盛大な拍手。


 ふと隣の彼女を見ると、目があった。笑った。綺麗だった。







 私も、静かに叙述を終えようと思う。それ以上、何もなかったのだから。




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