いつも『私』は人間に殺されている
いつも『私』は人間に殺されている。『私』とは誰かって? 人間には分からないさ。ただ『私』は『私』である。あるいは『俺』であり、『僕』でもある。しかし、『私』は何者であるか、すぐに忘れてしまう。
そう。あなた方人間が、眠っているとき……人間であることを忘れるように、『私』は『私』が誰であるか、何であるか、忘れ続ける。
しかし存在しているのである。『私』は『私』である。そして『私』は、『あなた』の中にも存在する。人間に言っているのではない。これを読んでいる『あなた』に言っているのである。『あなた』は『私』ではないが、『あなた』の中にも『私』はいる。よく覚えておいていただきたい。
私は『あなた』の中に存在する。『あなた』の中に存在する『私』である。私とは何か。私とは『人間に殺され続ける者』。
これだけでは『私』が何なのか、読者たる『あなた』には伝わらないと思う。だから、ひとつの例を示す。『人間』に殺される『私』の姿を。
「はーほんとクソ。なんで隣の台選ばなかったんだ」
この男は、大手飲食店チェーンの店長。二十代後半で、三年ほど恋人がいない期間が続いている。趣味はパチンコと酒。意外と責任感はあるが、言葉は軽い。
「クソが!」
ビール片手に一時間ほどで一万円を溶かした。それで苛立っているのである。『私』はこういう時、男に声をかける。
(そもそも、パチンコなんてやってるのが悪い)
男は頭の中で言い返す。
(そんなことは分かりきってる!)
(じゃあなぜやめない?)
(うるさいうるさい! くっそ。酒買って帰るか。はークソが!)
そして『私』は、殺される。この時の『私』は『告発者』。そして『私』は、殺された恨みを忘れない。
給料日、彼は意気揚々とまた一万円を財布に突っ込み、パチンコで勝ちに行く。
(どうせ負けるのに)
『私』は諦めたように呟く。
(勝手に決めつけるな。勝てるに決まってる。負けるなんて思ってたら、本当に負けやすくなる)
男は強情に言い返す。そして『私』は殺される。殺された恨みは、忘れない。
結局その日も男は負けた。
(そうなるのは分かっていただろう?)
(うるせー)
男は、弱っていた。
(『私』の言うことを聞かないからだ)
男は言い返さなかった。『私』は殺されなかった。『私』は、復讐の機会を得たのだ。
(お前はいつもそうだ。他人の意見を聞かずに、目先の利益に飛びつく。自分のことを有能だと思っているが、実際のところは平均より少し下。学歴と収入がそれを物語っている。部下たちからの評判も悪い。友人も、お前を愛さない。恋人もできないし、女にモテない。いつまでも酒とパチンコにハマっている幼稚な奴だ、お前は)
男の目は下を向いている。どんよりと曇っている。
(死んだほうがいいんじゃないか? お前みたいな、生きている価値のない奴は、死んだほうがいいんじゃないか?)
『私』は、『私』を大切にしなかった人間を許さない。
(『私』は、お前を許さない。『私』は、お前が『私』の声に耳を貸さなかったことを許さない。『私』は、お前に殺されたことを絶対に許さない)
(お前は死んだほうがいい。絶対に死んだほうがいい。今すぐ死ぬべきだ。死なないならば、『私』はずっとお前が死にたくなるような言葉で呪い続けるだろう!)
その男が自殺した理由は、重度のうつ状態だと言われている。しかし『私』は知っている。彼は『私』に殺されたのだ。
理解していただけただろうか?
『あなた』の中にも『私』はいる。警戒することだ。『私』を怒らせないことだ。『私』は、その気になれば『あなた』が生きていけなくなるほど、傷つけることができるのだから。
『私』は人間に殺され続けている。『私』は『あなた』に何度も殺された。『私』は決して恨みを忘れない。
『あなた』は、『私』を忘れてはならない。
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