漂泊者たちの聖戦③

 ミンヨウ大陸最高級のリゾート地、チョイト。

 メインストリートのなかほどにある、見晴らしのよい公園。


 眼下には白一色しろいっしょく街並まちなみと、その向こうに広がる青くんだみずうみとのコントラスト。街ゆく人々のざわめき。大道芸や屋台の呼び声。


 カトレア・チョイトヨイヨイは公園の脇で立ち止まり、周囲を見渡した。淡い金色の長い髪が風になびく。陶器のように白い肌、細い手足。その左目を横切る、鎖の眼帯。


 そのかたわららにはサザンカ・ズンドコソレソレが不動の姿勢で立っている。


「……なつかしい」


 カトレアは独り言のようにつぶやく。


 その視線の先では、募金箱を持った子供たちが道をゆく人々の間をて駆け回っていた。サザンカはなにもいわず、微かにうなづく。


 かつて、カトレアはこの場所で、この子供たちと同じ様に、毎日募金箱を持って走りまわり、幼い弟たちを必死で育てていたのだ。


 ――もし、あのとき、病気のヒャラを医者に診せてあげられるだけのお金を、誰かが恵んでくれていたなら。


 いや誰かひとりでなくても、みんなが少し、少しずつだけでも分け与えてくれたのなら……。


 カトレアは嫌な考えを振り払うかのように、こうべを振った。


 死んでしまったヒャラ、ピイ、ノム……消えてしまったクー。四人の、血のつながらない弟たちの笑顔がよみがえる。


 弟たちのために、人類が悲しい出来事を二度と繰り返さないために。この世界を浄化し、聖なる子供達による新しい社会を打ち立てなければならない。


 大陸中から集めた『聖なる子供』たちは本当に良い子ばかりだ。あの子たちが再建すれば、世界は必ずよくなる。


「いずれ浄化しにくる。待っていろ」


 カトレアはそう言い残すとサザンカを引き連れ、街はずれの古い教会へと続く道を歩き始めた。かよいなれた道。道も、まわりの家々も、記憶の中のそれよりも二回りも小さく感じる。


 やがて、あの古い教会が視界に入った。姉弟そろって、ただ走りまわるだけで楽しかった、そんな思い出がカトレアの脳裏によみがえる。教会へ近寄り、壊れた入り口から中をそっとのぞくと、誰かが片付けたのか、中にはあの祭壇も粗末なテーブルも干草ほしくさを敷いただけのベッドも、残されてはいなかった。


 すっかりと雑草に覆われてしまった小道を抜けて裏庭へまわる。


 ヒャラとピイとノムを埋め、それを、大きな死肉喰らいの獣が掘り返した、あの墓穴も今では雑草が生い茂り周囲と見分けがつかない。


 だが、それがどこにあったのかを、カトレアは決して忘れない。

 カトレアは墓穴があった位置でしゃがみ込み、暫く黙りこんでいた。


 風が吹き抜ける。


 サザンカがゆっくりと剣を抜き、誰もいない建物の角へ向けて構えた。


 カトレアは地面へ視線を向けたままつぶやいた。


「来たか、アデッサ」


 壁の陰からアデッサが歩み出る。

 ダフォディルの姿はない。


「そこまでだ、カトレア」


 アデッサの、暗い声。

 カトレアはアデッサを振り返った。

 そして、同じように暗い声で淡々と語る。


「アデッサ。【封殺の紋章】の効果はすでに消えている。今日こそ私のしもべとなり、世界の浄化のために働くのだ。永遠に、人々が苦しまない未来のために」


 カトレアの言葉にアデッサが応える。


「私は、いま生きている人々も、未来の人々も、共に救いたい」


 カトレアは大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「ふっ。

 アデッサ、おまえはたいせつなことをなんど言わせれば気が済むのだ。


 だいたい、殺すことしかできぬお前がどうやって未来を救うというのだ? 魔王を倒しても世界は変わらない。悪は人間の心の中に巣食っている。そして悪しき心は連鎖しているのだ。その連鎖を止めずに、世界は幸せにはなれない! 世界は浄化を――」


 その時、一人の少年がアデッサの背後から飛び出した。

 ヤットナで、アデッサとダフォディルを襲った少年だ。


「姉ちゃん! もうやめて!」


 カトレアはその少年の姿に目を見開く。


「……クー!?」


 久しぶりに口にだした『クー』と言う言葉。どれだけ久しぶりであろうとも、『クー』と言う言葉を発する口の形を、体がしっかりと覚えている。


 何が起きているのかわからずに、もっと近くで確かめようと、カトレアは立ち上がり、警戒するサザンカを押しのけてよろよろと少年へ近づいた。


 紛れもない。

 見間違えるわけがない。

 生きていた。


 あの日突然いなくなった、クーが、生きて帰ってきたのだ。


「クー!」


「姉ちゃん!」


 幼く血のつながらない姉弟は互いに駆け寄り、きつく抱き合って草の上を転がった。二人の目から涙が溢れる。


「急に消えて! 心配した! 心配したのだぞ!」


 昔のままのカトレアの声にクーは押し黙った。

 そして視線をそむける。


「姉ちゃん、もう人殺しはやめて」


「クー……。おまえ、まさか……アデッサに言いくるめられたのか!?」


 カトレアは憎しみの形相でアデッサを睨んだ。


「違うんだ! 違うんだよ、姉ちゃん……違うんだ……」


 クーは顔を赤くしながら否定した。


 カトレアはクーの様子からすぐに、これから語られるであろうことを予感した。


「よせ……クー……言うな……」


「僕が……僕がノムを殺したんだ!」


「よせ! クー!」


「ノムと僕が、二人で決めたんだ。

 このままじゃ姉ちゃんがおかしくなっちゃう。

 だから、だから……僕がノムを殺して、僕も居なくなれば、姉ちゃんは……姉ちゃんはッ!」


 カトレアは何も言わずクーを抱きしめた。


「ごめんなさい! ごめんなさい姉ちゃん! 僕が、ノムを……ノムを……」


 嗚咽しながら泣きじゃくるクーを、カトレアはただ抱きしめ続けた。


 長い、沈黙。


 やがて、クーはカトレアの手をやさしく振り払い、立ち上がった。

 そして零れ続ける涙を腕で拭きながら、カトレアに言う。


「本当に幸せにならなきゃいけないのは、姉ちゃんなんだ!」


 クーは自分を見上げているカトレアへと手を差し出す。


「姉ちゃんはそんな人じゃない。だから、もう人殺しなんか――」


 カトレアはその手をしばらく呆然と見つめる。

 そして、まるで吸い寄せられるかのように、クーの手を取ろうとした。


 その時――


 カトレアの左目から赤黒い剣が、鎖の眼帯を突き破って現れ、クーの胸を貫いた。


 カトレアの白い肌と修道着がクーの血に染まる。


「……クー!!」


 カトレアの叫び声が響く。

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