漂泊者たちの聖戦

漂泊者たちの聖戦①

「おのれダンチョネ教、カトレア!」


 エッサ国王は雷のような剣幕で拳を振り上げ、机に向けて振り下ろした。だが、その拳は机に叩き付けられる直前に、ピタリと止まる。


 ――この机は国民の血税でまかなわれたもの。王たる者が感情にまかせて叩くなど、あってはならぬこと。


 エッサ国王の脳裏に父王ふおうの言葉がよみがえる。まだ幼い頃、些細な出来事に感情を抑えきれず、城の柱を蹴り飛ばしたことがある。そのときの父王の戒めはいまだにエッサ国王の心に深く刻まれている。だが――


 エッサ国王は冷静さを取り戻そうと深呼吸をするが、いきどおりはおさまらず『うおおっ!』と、獣のような、怒りと悲しみの織り交ざった叫びをあげた。傍らで待機している二人の側近がその気迫に思わずたじろぐ。


 彼の心の内を騒がせているのは――世界を救い、なおも人々のために命をも投げ出そうとしている若き英雄を、自分の領土でみすみす危険にさらしてしまった悔しさ。提言を得ながらダンチョネ教をあなどってしまった、自分の見る目のなさへの怒り。


 ダンチョネ教エッサ支部は復讐に燃える近衛兵団の手により、瞬く間に粛清された。

 だが、エッサが出来るのはそこまでだ。


 ダンチョネ教はすでに辺境の多くの町を支配している。


 魔王討伐後、戦争の気運が高まるなかで、ダンチョネ教弾圧の名目とはいえ、大国エッサがそれらの国へ兵を向ければ、それが引き金となりミンヨウ大陸全体が戦火に包まれるのは明白――それこそ、カトレアの思うつぼだ。


 ならば、国籍を捨ててカトレア暗殺に出る、と、申し出た者もいたが、エッサ国王はそれを却下していた。万が一、暗殺者とエッサとのつながりが明らかとなれば、結果は同じなのだ。


 かと言って、このまま手をこまねいていたのでは、状況は更に悪化してゆく。


 おそらく、エッサとヤーレン、それに幾つかの強国に対して、カトレアは支配の手を広げようとはしない。


 大国は弱者が『憎しみをぶつけるための相手』として温存しておくのだ。その憎しみを餌に辺境から支配を拡大し、いつかその戦力が上回ったときに――。


「ええい、くそう!」


 エッサ国王はもう一度、吠えた。


 今にも切れてしまいそうな細い綱の上で、世界はバランスを崩そうとしている。だが大国は、その力が強大であるが故に身動きが取れない。


 世界はもう一度、あの英雄に望みをたくすしかないのだ。

 国を追われ、それでも、世界の幸せを望む、あの漂泊者に。



 魔王なき時代に『悪』などという都合のよいものは存在しない。

 立場が変われば正義も変わる。


 そして――

『何が正義か?』という問いへの、

『何が正義か』いう強者きょうしゃの答えに、

『ナニが正義か!』と弱者があえぐ。


 そう。


 いくら正義の意味が変わろうと、強弱の関係がゆらぐことは決してない。結局、強者が奪い、血を見るのは弱者の役目なのだ。


「そんなイヤな世の中ならば、浄化リセットしちゃえばいいじゃない!」


 カトレア・チョイトヨイヨイはステージの上で平らな胸を張った。


 とある街の広場。整然とならぶ白い修道着の男女、その数ざっと二千人。白き群衆へ向けて発せられたカトレアの声は魔法で拡声され、街中へひびきわたる。


「殺せ! 殺せるだけ殺せ! 殺して殺して殺して、殺し尽くしたら自分も死ね! けがれたものを排除すれば、世界はそれだけ清くなる! それこそが、我らダンチョネ教の使命! これぞ【人類半殺し計画】!」


 熱弁をふるうカトレアの背後に並んでいるのは、選ばれし『聖なる子供』たち。


 いわく、【人類半殺し計画】という名の大虐殺だいぎゃくさつののち、清く正しく心優しい『聖なる子供』たちが世界を再建すれば、永遠に平和で幸せな世界が実現するというのだ。『破壊と再生』を信条とする古き宗教であるダンチョネ教教義の拡大解釈と……言えなくも、ない。


「世界はいちど死に、そしてよみがえらなければならないのだッ!!」


 自分も死ねなどと言う幼女教皇に誰がついてゆくものか。

 そう考えるのが普通、と、思われるのだが――


 広場は大歓声に包まれる。


 その一部は【絶望の紋章】により心を支配されたカトレアの傀儡かいらいだ。だが、残りの大半は、現在の世界に何かしら恨みを持つ者たち――そう、弱者たちの群れだ。


 たとえ命と引き換えとなろうとも、正義の名のもとに時代の強者たちへ復讐の刃を突き立てたい。そんな想いを持つ弱者たちが、日々数え切れぬほどカトレアのもとへと集い始めていた。


 カトレアは歓声にこたえるように、拳を天へ突きあげた。そして――


「たいせつなことなのでもう一度いいます! そんな嫌な世の中ならば――」


 広場が微妙な空気に包まれた。



 黒煙をあげ、炎に包まれてゆく小さな村。逃げまどう村人たち。燃えさかる炎の音の狭間に聞こえてくる悲鳴と、怒声。ただの火事ではなさそうだ。


 煙がただよう道端で、ダンチョネ教の白い修道着をまとった男が剣を振り下ろす。斬り伏せられた男が断末魔をあげた。


 その惨劇を背に、二人の幼子の手を引きながら必死に走る、若き母親。子供は走りながら母親へたずねる。


「おかあさん、お父さんは?」


「だいじょうぶ、お父さんはきっと大丈夫だから!」


 子供の声に母親は涙ながらにこたえた。


 しかし、物陰からあらわれた修道着の男が母子の前へ立ちはだかり、行く手を阻む。続いて数名の男たちが現れ、親子を取り囲んだ。母親はあわてて周囲を見回すが、逃げ道はない。男たちが薄笑いを浮かべながら親子へと近寄ってくる。母親の顔が絶望に染まってゆく。


「おかあさん、こわい!」


 母親の動揺を察して怯える子供たち。母親はしゃがみこみ二人の子供を抱きしめるが、その手は震え、目からは涙があふれていた。


「どうか、どうかこの子たちの命だけは!」


「はぁ? けがれの分際で、命乞いかよ」


「この村は『完全浄化』の指示が出てるんだ、生かしておく訳にはいかねぇが……へへへ、その前にちょっとだけいい思いをさせてやるぜ」


 白い修道着の男たちが母親へとにじりよる。


 カトレアのもとへと集まったのは自分なりに正義を目指す者、だけではない。奪い殺すことが好きなだけ。末端はそんなやからの吹きだまりとなっている。この手の輩がカトレアに求めるのは己の残虐行為を正当化する後ろだてだ。『世界を浄化するために、最後は自分も死ぬ』つもりなど毛頭もない。


 男たちは暴行を働きやすいようにと、白い修道着を脱ぎ捨てた。いままで何度繰り返してきたのか、そんな動作すら手慣れている。だが――


「そこまでだ、ダンチョネ教!」


 男たちは背後からの声に動きを止め、声の方へと振り返る。


 そこに立っていたのは、二人の少女。


 ブロンドの少女が差し出した左手に黒髪の少女が右手を合わせ、二人は深く指を絡ませる。黒髪の少女はスカートをたなびかせ、くるりと一回転してブロンドの少女の胸の中へとおさまった――まるで、恋人同士が踊るダンスのように。


 ブロンドの少女が長剣の切っ先を男たちへと向けると、右腕に刻まれた赤い紋章がキラリと輝きを放つ。


 黒髪の少女はブロンドの少女の胸の中で目を細めると、つぎの瞬間、その左腕に刻まれた紋章から青く光る古代文字の帯が噴き出し、二人の体を包みこんだ。


「我が名は瞬殺姫、アデッサ・ヤーレンコリャコリャ! 正義をかたり世に害を為すダンチョネ教! 女神の名のもとに、我が紋章に裁かれよ!」


 二人の登場に男たちは顔を見合わせた。


 そして一人の男が首から下げた呼び笛を取り出し、特定のリズムで吹きならす。まるでするかのように、いまだ燃え盛っている村のあちこちから同じリズムの笛の音が返ってきた。


「出やがったな、瞬殺姫!」


「てめぇの賞金だけで国が買えるぜ!」


 笛の音に応じ、村に潜んでいた何人もの白い修道着を着た男たちが駆けつけ、アデッサとダフォディルを取り囲んだ。その数、ざっと百人。なかには笛の音を聞いて逃げ出した者も数名見かけられた。


 母子が混乱に乗じて逃げ出してゆくのを見届けながら、アデッサはいった。


「ほぉ、こんなに居たのか。探す手間が省けたよ」


 軽口をたたきながらも、その眼差しは冷たい殺気に満ちている。


「へへへ、覚悟しろ瞬殺姫。お前の弱点は知ってんだ!」


 リーダー格の男がそう言うと、二人を取り囲んだ白い修道着の男たちが一斉に武器を抜いた。手にしているのは短剣に長剣、槍や弓など、そのどれもが黒いオーラを放っている。


「野郎ども、やっちまえ!」


 男たちが一斉に襲い掛かった。



 ――瞬殺。



 昇った黒煙が空にとけるよりも速く、わずか数瞬のあいだに男たちの白い修道着が血に染まり、その場へと倒れる。


「ひ、ひぃぃ」


 アデッサは唯一生かしておいたダンチョネ教の男の喉元へ【王家の剣】の切っ先を突き付け、冷たく言い放った。


「カトレアへ伝えろ。『瞬殺姫が会いにゆく』、とな」



 そして、もう一人。


 その様子を木陰こかげからのぞいていた少年。みすぼらしい服装。背中に背負った二本の刀。鋭い眼差しと結んだくちもと。その顔には冷たい決意が溢れていた。


「アデッサ……絶対に、やらせない!」


 少年はそう呟くと森の中へと姿をくらませていった。

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