隠遁者の森

隠遁者の森①

 城郭都市ホイサ。よく晴れた日の昼下がり。大小色とりどりの店舗が両側にずらりと並ぶ街のメインストリートは、大陸の各地から訪れている旅人や商人でごった返していた。この街は交通の要所だけあり、道をゆく人々の目的も人種もさまざまだ。


 その中ほどにある、洒落た食堂。


 店先に敷かれたウッドデッキにはパラソル付きの丸テーブルが並べられている。相場の倍近い料金を取る高級店だけあり、通りの喧騒けんそうを横目にここだけは時間がゆったりと流れているようだ。


 そのパラソルの下、南国調のカップに注がれた香り高いお茶を優雅にたのしむダフォディル。


 そして、カップから立ち昇る湯気の向こうでは……アデッサが頬杖をつき、通りをぼんやりと眺めていた。


 二人がホイサを訪れてから十日。ひと頃はちまたにぎわせていた『謎の大爆発事件』の噂も、すでに忘れられようとしている。だが、アデッサの心はまだ、あの夜にとらわれているようだ。


 ダフォディルはうれいに染まる凛々しい横顔に一瞬心を奪われるが、その心中を察し、悟られぬように小さな溜め息をお茶に吹きかける。


「すまない、ダフォディル」


 アデッサはダフォディルの視線に気づいていた。その視線にふくまれている自分への思いやりと、最近自分が黙りがちであることにも……。くよくよしている自分は好きではないし、誰かに見せたくもない。けど、考えずにはいられず、考えれば考えるほど、自分が何をすべきかが、わからなくなる。


 ダフォディルはアデッサの言葉に、優しい微笑みをうかべて静かに首を横にふってこたえた。


 そして、ポーチから1枚の紙を取り出すとアデッサの前へそっと差し出す。


「ねぇ、そろそろ旅が恋しくなってきたんじゃない? 悩んでいるより行動した方がアデッサにはいいと思うわ」


 ダフォディルが差し出した紙へアデッサが目を向ける。

 それはミンヨウ大陸最高級のリゾート地『チョイト』のリーフレットだった。端にはチョイトの宿屋の特別割引チケットがついている。


「わたし、いちど行ってみたかったのよぉ、チョイトのチョイ湖に。ねぇ、次はチョイトに行ってみない?」


 ダフォディルはキラキラと輝く笑顔でアデッサをさそった。



 二日後。


 ホイサを旅立ったアデッサとダフォディルは高級リゾート地『チョイト』を目指し――なぜか、昼なお暗い鬱蒼うっそうとした森の中を歩いていた。


 この森、ただ暗いだけでない。まるで夜の墓地のような、まるで呪われた地のような、気味悪い気配が濃厚に漂っている。


 そんな森の中を歩く二人は相変わらず仲良く――いや、いくら仲が良くてもこれはちょっとくっつき過ぎなのでは……。


「……ダフォ、歩きづらい」


 ダフォディルは周囲の怪しい気配におびえ、ビクビクと体を縮こめてアデッサの腕にピタリとしがみついていた。


「しょ、しょうがないでしょ!」


 バサバサバサ


「き、キャー! キャー!」


 ダフォディルは鳥の羽音はおとにビビり、悲鳴をあげながらアデッサにガッシリと抱きついた。この森に入ってからというもの、ずっとこんな調子だ。


 そう。なにを隠そうこのダフォディル、怖いもの、というか、オバケアンデッドが大の苦手なのだ。


「ははは! ただの鳥だよ」


 アデッサは笑いながらダフォディルの黒髪をなでた。


「そんなに怖がりでよく退魔師たいましなんかつとまるなぁ」


「わ、わたしは悪魔払い専門よ! 悪魔とアンデッドは別でしょッ!」


「え、そうか? 悪魔とアンデッドの区別なんて付かないけどな……」


「アデッサは相手を確かめる前に瞬殺しちゃうからよッ!」


「いやいや……それに、ダフォには【鉄壁の紋章】があるじゃないか。それがあればリッチやバンパイアに攻撃されたってビクともしないぞ?」


「そーゆー問題じゃないでしょ!? 防御力なんかいくら高くたって怖いものは怖いわよ!」


 ダフォディルはプンと頬をふくらませプイッ横を見るが、アデッサの腕はしっかりとつかんだまま、離そうとしない。


「ねえアデッサ、引き返しましょうよ。わたしたち絶対に道を間違えているわ。半日歩いても誰ともすれ違わないし、こんな道がチョイトにつながってるわけないじゃない」


 ダフォディルの言葉にアデッサも『そういえば確かに……』と、首をひねる。


「でも、途中に分かれ道なんてなかったし、今から引き返したんじゃ夜になってしまうよ……ウッ!」


 急に立ち止まったダフォディルに腕を引かれ、アデッサは思わずつんのめった。


「もう……今度はどうしたの?」


 流石のアデッサも少し不機嫌そうに視線を向けると、ダフォディルは前方の一点を凝視したままワナワナと震えていた。そして、ひと呼吸おいて――


「ぎ、ぎやああああああぁ!」


 と、悲鳴を上げ、アデッサの背中へリュックサックのように『ガシッ!』としがみつく。


「大げさだなぁ。今度は何が……うわぁッ!」


 アデッサはダフォディルの視線を追って森の奥へと目をらした。

 そして、おどろきの声をあげて半歩後ずさる。


 誰も居ないと思っていた藪の木陰から、みすぼらしい姿の爺さんが暗い表情でこちらをぼうっと見つめていたのだ。


 アデッサは反射的に腰に差した【王家の剣】を抜こうとする。だが――しがみつくダフォディルの下着がひっかかり、抜けない。


 焦る二人へ、木陰からヌッと歩み出てきた爺さんが近寄る。


「く、くそっ! エイッ!」


 アデッサが力を込めると、布が『ビリッ』と裂ける音とともにさやから放たれた【王家の剣】が木漏れ日にきらめいた。


 その刀身には、引き裂かれたダフォディルの黒いパンツがひっかかっていた。


「い、いやあぁぁぁぁぁッ!」

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