鈍色の自由⑥
貧民街にある、廃
手を繋ぎ指を絡めて並び立つ、二人の少女。
周囲には二人にのされた【賢者の麻薬】の売人たちが十数名、道に転がっている。
ダンッ!
アデッサは廃礼拝堂の大きなドアを盛大に蹴破り、大股で堂々と侵入した。
ソイヤの死後、若い警備隊員はアデッサに質問されるがままに【賢者の麻薬】の仕入れ先とアジトを自白したのだ。
アデッサが中へ入ると燃料油の臭いが鼻を突いた。朽ちかけた部屋の一角にはホイサ特産の燃料油の樽が大量に詰まれている。そして、もともとはベンチが並べられていたであろうエリアにひしめく瓦礫。その上に不規則に並べられた無数の
揺れる灯りに照らされる、何者も
そこに立つ、白い修道着の女。
「あなたは……!」
アデッサは息をのんだ。
祭壇に立つ修道着の女は、昼の市場で見たダンチョネ教の教徒だ。何かの見間違えか、それとも脅されて無理やり【賢者の麻薬】を作らされているのか。アデッサは周囲をみわたしたが、礼拝堂には修道着の女しかいない。
修道着の女はアデッサの乱入に眉一つ動かさず、無表情で唱えかけの呪文を続けた。修道着の女の手のひらが輝きを放つ。続いて、指の隙間から輝く砂のようなものが流れ出て、テーブルに置かれた器へと注がれてゆく。高位聖職者のみが生成できる【賢者の麻薬】だ。
大量に用意されている燃料油は、粉末の【賢者の麻薬】を売りさばき易いよう加熱して丸薬へまとめる際に使うのであろう。油の量から、この街にはどれだけの中毒者がいるのかを想像し、アデッサとダフォディルは小さく呻いた。
「あなたのように、立派な方が……なぜ」
アデッサは問いかけたが、修道着の女はこたえずに黙々と呪文を唱え続ける。
アデッサは
「我が名は瞬殺姫、アデッサ・ヤーレンコリャコリャ! ダンチョネ教の教徒よ、その呪文を止めよ!」
修道着の女はようやくその手を止め、アデッサへ視線を向けた。
その顔はアデッサの鋭い眼差しへ怯むこともなくいまだに無表情だ。
「ダンチョネ教、リンドウ・ババンバノンノン」
修道着の女、リンドウは涼やかな声で名乗った。
ダフォディルは不意打ちにそなえ、アデッサの手をしっかりと握りなおし、【鉄壁の紋章】を発動させた。青い古代文字の帯が二人を取り囲む。
「リンドウ! あなたが作る【賢者の麻薬】が人々を苦しめている! 昼間の、市場での演説は嘘だったのですか!」
アデッサの噛みつくような問いかけに、リンドウは笑顔でこたえた。
「嘘? なんと浅はかな……」
「……!?」
「この汚れた世界はいちど浄化されなければなりません。汚れた大地の上に撒かれた種は、汚れた花を咲かせ、汚れた実を結んでしまう。いまこそ、その負の連鎖を断つときなのです」
アデッサはリンドウが口にした『浄化』という言葉に、昼に聞いたときとは異なる、得体の知れない不気味さを感じた。
「それと、麻薬と何の関係がッ!」
「アデッサ。あなたには目の前の正義しか見えていないのです。遥か永遠の未来をみすえ、未来の人々の幸せのためにその身を捧げなくては、世界に幸せは訪れないのです」
ダフォディルはアデッサの耳元でささやいた。
(……アデッサ、何だかおかしいわ)
アデッサはリンドウから視線をそらさずに頷く。
ダフォディルが違和感を覚えるのも無理はない。ひとたび剣を構えたアデッサの気迫をまえに、たじろがない敵などいなかった。隣に立つダフォディルでさえ、その迫力に鳥肌が立つことさえある。
だが、リンドウは薄笑いさえうかべているのだ。それに演説めいた言葉はどこか上の空だ。二人はリンドウには現実が見えていない、催眠術にかかっていような状態にあると直感した。
「――ですが、ここまでのようです」
アデッサはリンドウの言葉を
ダフォディルは逆に緊張を高め、アデッサをかばうかのように半歩前に出る。
「その青い紋章は人間が産み出した神の盾。
その赤い紋章は神が産み出した最強の鉾。
アデッサ……あなたは強い。残念ながら、私にはあなたたちを浄化することはできそうにありません。ならば、私は――」
リンドウはそう言うと自らの修道着の首元に手をかけ、一気に引き裂きいた。引き裂かれた修道着がするりと床へ落ちる。あらわとなった白く
そして、二人は同時に気づく。
リンドウの左の乳房に刻まれている【炎の紋章】。
「――せめて私は、汚れたこの身を浄化して、世界をあの方の理想へ一歩だけ近付けましょう」
リンドウが言い終えると共に、その胸の紋章が赤くまばゆい輝きを発する。
二人には、リンドウがその輝きのなかで恍惚の微笑みをうかべているように見えた。
次の瞬間【炎の紋章】が発動し礼拝堂が炎に包み込まれる。
同時に、室内に積まれていた燃料油の樽が大爆発をおこした。
強烈な爆音と火柱とともに、礼拝堂は完全な瓦礫と化した。
◆
昼の食堂。
アデッサはぼんやりとした表情で頬杖をつき、黙り込んでいた。ソイヤの死をいつまでも悲しむには、近しい人間の死に慣れ過ぎている。涙はすでに乾き、後悔さえ通り過ぎ、いつものように胸にぽっかりと開いた穴だけが残されている。
友の死に自然に涙していた頃の記憶の中の自分が、悲しみに強くなった自分を責める。
――強くならなければ、ならない。でも、強くなるということは本当に、目的へむかって前進することなのだろうか。自然な涙を失うということは……世界の幸せを求める自分にとっては逆に、あってはならないことなのではないだろうか……ときどき、わからなくなる。
「アデッサのせいではないわ」
ダフォディルの一言で、アデッサの心がふわりと軽くなった。溜め息をひとつつくと、重たい気持ちが体から抜けてゆく。自分を信じて良いのだと思う気持ちが戻ってくる。アデッサは視線を伏せたまま小さく頷いた。
ダフォディルは立ち上がると自分の椅子をアデッサの椅子のとなりへピタリと寄せる。そしてアデッサの肩に手をまわし、ブロンドの髪を胸に抱いた。
「ダフォ……」
アデッサがダフォディルの胸に甘える。
「なあに」
ダフォディルはアデッサのブロンドへそっと頬を寄せた。
「あの領主、ほんとムカつく……」
「よしよし」
ダフォディルはアデッサの頭を撫でた。
昨夜の騒動のあと、アデッサとダフォディルはことの
確かに領土を治めるためにはそういった配慮も必要なのだろう。だが、ソイヤやリンドウの言葉に少なからず考えさせられたあと、大人の事情を丸出しにして保身に走る領主を目前にし、アデッサはまた違ったやるせなさを感じずには居られなかった。
「あいつ、絶対にマゾよ」
「そうね」
「……愚痴ったらちょっと回復した」
アデッサはスイッチが入ったようにむくりと姿勢を正し、テーブルに並べられた料理を片付け始めた。
その切り替えの早さに、今度はダフォディルは少し救われた気持ちになる。
だが、ダフォディルは気付いていた。
――本当は心配させないよう気丈に振る舞ってるんでしょ……でも、そこは気付かないふりをしておいてあげる。
「それにしても……」
パンをつまみながらアデッサはポツリとつぶやいた。
「……リンドウのことね」
「ああ。証拠は燃えてしまったけど……最後の『あの方』って言葉が気にならないか? 領主は『単独犯だ』と言い張ってたけど……」
「これ以上事を荒らげたくないのが見え見えね。『一人の狂った聖職者の暴走』で済ませたいんでしょ。でも……組織的に【賢者の麻薬】の密売をしているとなると……ダンチョネ教が?」
「うん。さすがにそれは……ないか、、、ああッ!!」
ぼんやりと店内の一角に視線を向けて考え事をしていたアデッサが急に立ち上がった。
ダフォディルがなにごとかと視線の先を追うと……食堂の入り口で、例の
「お食事のひと!」
アデッサが入国審査官を指さす。彼にはアデッサの一言が『お前を喰ってやる』と言う意味に聞こえたようだ。サッと青ざめ、くるりと振り返ると『ひぃぃッ!』と悲鳴をあげ、ダッシュで逃げて行った。
「あ、また逃げたッ!」
ダフォディルは
――もしかして、あの警備隊長が言っていた『男は殺せない』って噂のタネって……『
◆
ミンヨウ大陸の某国のとある教会、その一室。
赤いベルベットのカウチソファーに横たわる少女。
高位聖職者であることを示す金色のラインが入った超ミニの白いローブをふわりと
居眠りをしているのか、両の
「カトレア様!」
開け放たれたドアからフードを目深にかぶった一人の聖職者が足早に入り込み、横たわる少女へ声をかけた。少女と同じデザインの白いローブを
僧兵の呼びかけにカトレア様――カトレア・チョイトヨイヨイは目を閉じたまま、むくりと体を起こした。依然、両目は閉じたままだ。
「むふあぁぁ。サザンカ……どしたの?」
カトレアは大きなあくびを隠そうともせず、寝ぼけた声でこたえた。目は閉じたまま、眠気に抗う様子もなく、まだ半分夢の中にありそうな頭を気持ちよさそうにふらふらとゆしている。小さな手でぽりぽりと首元を
「ホイサの【賢者の麻薬】ルートが壊滅しました」
サザンカ――サザンカ・ズンドコソレソレは息を整えながらそう告げる。そして目深にかぶっていたフードを引き上げた。ローブの下から現れたのは、赤毛のウルフカット。鋭い眼光。キリリとした顔立ちの女性。年の頃は二十代か。
「えー、そんなのいちいち報告しないでいいよぉ。壊滅したならまた作ればいいじゃない。じゃあ、あとは任せたよ。おさしみやさい……」
カトレアは再びソファーへ横になり、サザンカへくるりと背中を向けるとぽりぽりとお尻を
「それが、ホイサのルートを壊滅させたのはアデッサ、瞬殺姫、アデッサだという情報が」
「アデッサ!! それを先に言えッ!!」
カトレアは握った両手をバンと振り上げながらバッと飛び起きた。
ようやく開かれた瞼。
エメラルドのように美しい右の瞳。
そして、左の瞳があるべき場所に刻まれた【
「あぁ! アデッサ……早く! 早く逢いたい!」
カトレアは祈るように手を合わせ宙を
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