隠遁者の森②

 深い森の中の、さびれた村。


 人の気配が感じられない広場を中心に、茅葺かやぶきき屋根の丸太まるた小屋が十数軒、まばらにならんでいた。どの家も木々は灰色に老朽化ろうきゅうかし、今にも森に飲み込まれてしまいそうなほど、手入れが行き届いていない。店も見当たらず、どうやら村人は狩りや森の木の実だけで細々と生計を立てているようだ。


 アデッサとダフォディルはその村にある一番大きな小屋の、居間のテーブルに着いていた。


 テーブルにはキノコのお茶が注がれたカップ。小さな蝋燭ろうそくの炎がゆれる室内は、目がなれてきてもなお薄暗い。部屋の隅に据えられている石造りのでは鍋が湯気をたてていた。棚には見るからに硬そうなパンが転がり、天井からは鹿の干し肉が吊られている。


 そして、二人の向かいには――先ほど木陰から覗いていた爺さんが座っていた。


「いやあ、すみません。大声を出しちゃって」


 アデッサの愛想の良い爽やかな笑顔。


「ふぉふぉふぉ。いいのですじゃ。このへんの森は薄気味悪うすきみわるいですからのぉ」


 はっはっは、と、アデッサと爺さんは声をそろえて笑う。


 一方ダフォディルは、出会いがしらにパンツを晒されたのがよほどこたえたのか、アデッサのかたわらで決まりが悪そうに肩をすぼめ、部屋の隅へ視線を向けてモジモジしていた。


「お二人はこれからどちらへ?」


「ホイサからチョイトへ向かう途中だったのですが……」


「おやおや。だいぶ道を外れてますのじゃ。確かにチョイトへは抜けられるのじゃが……2日も遠まわりですのじゃ」


「やはりそうでしたか。途中で親切な人に『こちらが近道だ』と教えていただいたのですが……どこかで道を間違えてしまったようです」


「ふむう。いずれにしろ今からでは日が暮れてしまいますのじゃ。息子が使っていた部屋が空いとりますのじゃ。今日は泊ってゆくといいですのじゃ」


 爺さんはニコリと笑った。



 簡単な夕食を御馳走になり、二人は案内された部屋へと移動した。部屋には大きめのベッドが1つだけ。少し埃っぽかったが、森での野宿を覚悟していたのでベッドで眠れるだけありがたい。


 アデッサはベルトを取ってブーツを脱ぎ、少し考えてからそのまま下着を脱いで裸になった。アデッサは野外でキャンプをするとき以外、部屋の中では全裸派だ。そしてベッドへ寝転ぶと仰向けになって『んんん……ッ』と手足を伸ばし、フッと幸せそうな顔をして脱力した。形のよいバストが揺れる。


 ダフォディルは下着姿になると、気持ちよさそうに大の字になっているアデッサへチラリと視線を向けた。程良く締まったウエストから少しボリュームがあるヒップへと続く、思わずなぞりたくなるような曲線美。普段はビキニ姿なのに中性的に見える。だが、こうして肌があらわになると……ちゃんとした年ごろの少女なのだと、あらためて気づかされる。


 二人が旅先で同じベッドで眠るのは初めてではないが、久しぶりだ。


 ダフォディルはアデッサが大の字に広げた腕を枕にし――そのあと自然に、その胸に抱かれる流れ――を密かに妄想しながら、アデッサの隣へ横になる、が、ダフォディルが横にくるとアデッサは気をきかせて伸ばした腕をたたんだ。


 ダフォディルはアデッサから見えない方の頬だけをふくらませ、並んで寝るにはギリギリ不自然な距離までアデッサに近寄り、毛布を二人の胸元まで引き上げた。


「……騙されたのよ」


 天井を眺めながらダフォディルが呟く。


「……誰が?」


「私たち」


「……誰に?」


「こっちの道を教えた人よ。途中で分かれ道なんてなかったもの」


「考え過ぎだよ……」


 アデッサは『別にいいじゃないか』とでも言いたげにこたえると、いたずらっ子の様な笑顔をダフォディルへ向け、その体を毛布の上からぎゅっと抱きしめた。毛布越しに感じる、アデッサの力強い腕と柔らかな胸の感触。そして、絡み合う素足と素足、下半身と下半身の、感触。アデッサの長いまつ毛が間近に迫り、ダフォディルは思わず息を漏らした。


「あッ……」


 ダフォディルの青い瞳がきらりと潤み、左肩から黒いブラジャーのストラップが重力に逆らってはらりと落ちる。どこからか吹き込んできた風が二人の周囲へ白い花びらを舞い散らせた。


「森でさんざん抱き付いてきたから、お返しだよ」


 ダフォディルの頬が上気する。離れていても気づかれそうな胸の高鳴りを隠そうと、顔をそむけ、平然を装い話題を変えた。


「こ、この村……なんだか、薄気味悪いわ」


「大丈夫……」


 アデッサはダフォディルの言葉には取り合わず、毛布とダフォディルの下着の隙間へするりと手を滑り込ませた。そして、きめ細やかで吸い付きたくなるようなダフォディルの肌へ自分の肌をぴったりと合わせる。ダフォディルは顔を背けて身をよじらせた。二人の体が離れた隙間をアデッサが埋める。ダフォディルの甘い息が漏れた。


 アデッサが赤く染まったダフォディルの耳元へ口を寄せ、呟く。


「大丈夫だって……」


 アデッサの指先が少し下がる。

 ダフォディルはシーツをつかみ腰を反らせ、まぶたしばたたかせた。


 だが、もちろん、ダフォディルは知っている。


 ――これ、アデッサが寝るパターン。


 冷静さを取り戻し、横目でチラリとのぞくと……やはり、アデッサは眠りについていた。


 ――どーせ、わたしのことを抱き枕かなにかだと思ってるんでしょッ!


 でも、望みどおり。アデッサの腕を枕に、胸の中。

 ダフォディルはしばらくそのままの姿勢で天井を眺めていたが――何かを思いつく。


 そしてもう一度、アデッサの寝顔を横目でチラリと確かめてから、起こしてしまわぬよう、もぞもぞと体の向きを変えた。


 毛布の中で向き合うように体勢を整え、じっと、アデッサの唇を見つめる。

 じっと……、じーっと……。


 ――あの時、空から落ちながら感じていた、アデッサの、くちびるの感触を……もういちど。


 決心が固まってゆくにつれ、ダフォディルの胸の鼓動こどう破裂はれつしそうなほど高鳴たかなってゆく。唇が燃えるように熱い。


 ダフォディルはゆっくりと大きく息を吸い、ピタリと止めた。

 そして、アデッサの唇へ向けて微かに近づいたところで――


「ところでダフォ、この村って……」


 アデッサがパッチリと目を開けた。


 ダフォディルの心臓は止まりかけた。

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