第7話 児戯


 人形の過去の記憶から意識が戻った陸吾は、十尺以上ある巨大な神獣の姿からしゅるしゅると小さくなり、元の人間の姿に戻った。


「────……やはり、お前が本体だったのか」


 人間の姿に戻った陸吾が、全身から黒く禍々まがまがしい“おん”の気を放出している、目の前の小さなこどもに向かって言った。


「……その後ろにくっついている娘も、消えた姉たちもみな、人形だな?」


 陸吾が続けて、ちごにそういた。

 陸吾の言葉に、与次郎はちごの顔を見た。


 ちごは、黒いもやに包まれながら、陸吾の目を黙って見つめていた。


「……何を仰っているのか、よくわかりませぬ」


 ちごの背中にいる天子あまこが、陸吾に向かって言った。


 洞窟内がしん、と静まり返り、不気味な空気が漂った。


 洞窟内の一部の蝋燭ろうそくの火が、じじっ、と音を立て、ゆらり、と揺れた。

 ろうの長さは、洞窟内に入った最初の時と比べて、三分の一以下に減っていた。


「……早く私達を捕まえないと、蝋燭の火が全て消えてしまいますわ」


 天子が沈黙を破り、妖艶に言った。


 すると、陸吾が発した閃光ではじき飛ばされた折り鶴たちが、息を吹き返したかのようにむくりむくりと起き上がり、ふわふわと再び浮き上がった。

 そのまま、折り鶴たちは陸吾の周りをまたしても取り囲み始めた。

 陸吾は、折り鶴のことはまるで目に入っていない様子で、ちごの顔を見つめ続けていた。


 折り鶴たちが再度、陸吾に向かって同時に、勢いよく飛びかかっていった。

 その瞬間、陸吾が素早く動いた。

 襲い来る折り鶴たちをするりと下にかわすと、陸吾はそのまま宙から下の地面に急下降し、勢いよく、


“────どうっ!!”

と降り立った。

 その衝撃が洞窟内をぐらんぐらんと揺らし、地面に立っていた与次郎を一瞬だけよろめかせた。

 そのまま陸吾はぐんっ、と上を見上げ、曲げていた膝をさらに曲げ、腰をぐうっ、と、下に落とした。

 そこから全身の筋肉に力を入れると、陸吾はちごと天子に向かって、下から一直線に、


“────ばうんっ……!”

と飛び上がった。


 下から宙に飛び上がった陸吾は、一瞬にして、天子の真後ろに回り込んだ。

 陸吾が天子の身体に手を伸ばした瞬間、陸吾の目の前に、先程と同じ巨大な和紙が、壁のように再び“ぶわりっ!“と現れた。

 その巨大な和紙を、陸吾は力強い眼力でぐっ、と睨みつけた。

 次の瞬間、陸吾は宙で腰をふっ、と落とし、下腹部に力を入れ、腰を大きくひねって、一瞬で右腕を背中の方までぐっ、と引いた。

 そのまま、陸吾は目の前の巨大な和紙に向かって、引いていたその右手の拳を思い切りその和紙の中心部分、ど真ん中に、鋭く打ち込んだ。


“────……ばあんっ!!”


 和紙がはじける音が、洞窟内に大きく響き渡った。


 巨大で分厚い和紙は、陸吾の強烈な一撃で中心が打ち破られ、大きな穴が空いた。

 陸吾はさらに、自分の拳で開けたその穴に太い右腕を突き入れたまま、その奥にいた天子の細い首根っこを、その大きな手で思い切り、


“────ぐばんっ!”

と掴んだ。


 陸吾が掴んだその細い首は、思わず手を離したくなる程、雪のようにひやりと冷たかった。


 すると、和紙に開いた穴と右腕の僅かな隙間から、後ろを振り返ろうとする天子の横顔が、陸吾の目に見えた。

 天子の横顔が、にたりとわらった。


 その時、何枚もの巨大な和紙といくつもの巨大な折り鶴が、陸吾の身体にまたしても、


“────びたっ、びたりっ”

とくっつき始めた。


 陸吾の身体が再び、折り鶴に覆い尽くされそうになった。


 陸吾は、先程からいちいち纒わり付く和紙や折り鶴に、いらついた。


「────……あ゛ぁ! うっとうしい……!!

 この俺様が、同じ手を何度もくうかっ!!」


 陸吾はそう叫ぶと、


“────……ばつんっ!ばりばりばりっ!!”


と、ひじ両拳りょうこぶしを使って、巨大な折り鶴を激しく打擲ちょうちゃくした。

 そして、膝や足先に最大限の力を入れ、自分の脚に引っ付いていた分厚い和紙を、


“────……べりべりべりべりっ……!!”


と、思い切り蹴り上げながら、引き裂いた。

 和紙や折り鶴は、陸吾の強烈な力によって、次々に引き裂かれ、形を崩した。

 りに引き裂かれた和紙と折り鶴の群れは、力を失ったかのようにほろほろと下に落ちてゆき、地面の上で段々と薄くなってゆくと、そのまますぅっ、と、空気に溶けるように、その場から跡形もなく、あっという間に消えってしまった。


 陸吾が、いくつもの和紙と折り鶴から解放され、一息ついたと思った、次の瞬間。


 洞窟内の何千体もの人形が、


“…………ざわ……ざわ……ざわり……”


と少しずつ動き出し、壁一面から、



“ぱき……ぱきぱき……”


と、一体ずつ、離れ始めた。


 その無数の人形が、瞬きする間もなく、一瞬の内に、


“────……どどどどどう!!”


と、洞窟内の四方八方から雪崩なだれのように、陸吾に向かって、一斉に押し寄せてきた。


「!!────……むう!」


 陸吾がうなった直後、陸吾の身体はあっという間に大量の人形に埋め尽くされ、姿が見えなくなった。


「────陸吾様!!」


 与次郎が、激しく寄り集まっていく人形のかたまりに圧倒されながら、目を見開いて叫んだ。

 やがて陸吾の身体を覆い尽くした人形たちの激しい動きが徐々に治まり、陸吾を覆い尽くしていたその場所から、人形たちがゆっくりと、離れ始めた。


 人形の塊はやがて全てかれ、無数の人形たちは一体ずつ、それぞれりにふわふわと宙に浮いていたが、解かれた人形の塊の中にいたはずの陸吾の姿は、そこには無かった。



“────かんっ、────……からんっ”


 人形の塊がかれた直後、地面に、何かが落ちた。

 与次郎は、地面に落ちたものを見、顔をゾッと、青くさせた。


 それは、陸吾と書かれた、人の形をした木板きいたであった。


「……陸吾様……」

 与次郎が、小さく呟いた。


 無数の人形の中に紛れて静観し、宙に浮いていた天子は、陸吾のその木板を見届けると、微笑びしょうを浮かべたまま、音もなく次第に透明になってゆき、やがてすぅー……っ、と、その場から消え去っていった。


 陸吾と天子が消えた洞窟内で、何千体もの人形が、与次郎の眼前でりに宙に浮き、その一体一体が、黒いおんの波動を、その身から小さく放っている。


“────……どくんっ!!”


 与次郎の心臓が、かつてないほど、大きくねた。



「……あと、

ひとり」


  禍々まがまがしいおんの気を放ちながら、宙に浮くちごが、与次郎を見据えて、そう言った。

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