第7話 黎明
「
わたくしが飛脚として他のものより優れていた部分があったために、情報のやり取りが早いのを恐れて、通り道であるこの村の藩の藩主、
「……わたくしは人の姿になる前、
ある日義宣様が久保田藩の藩主となり、わたくしの棲んでいた森を切り開いて、人の住む土地に変えてしまったのです。
棲む場所を追われてしまったわたくしは、そこで人の姿になり、義宣様の元へ行きました。
そして飛脚として仕える代わりに、住む場所を与えてくださるよう頼みました。
義宣様はお優しく、快く受け入れてくださいました。
飛脚としての働きぶりが認められ、土地を与えていただき、良くしてくださいました」
与次郎は、話の途中で改めて姿勢を正し、蒼頡に向き直った。
「わたくしは、もう義宣様の御側でお仕えすることができなくなってしまいました。
────しかし、蒼頡様。
あやうくこの身が、『
────あの雷獣と同じ運命に成り下がるところを……。
わたくしは、蒼頡様に救うていただきました。
誠に、感謝してもしきれませぬ。
義宣様に尽くしてきた忠義をそのままに────。
わたくしはこれから、蒼頡様にお仕え致します。
蒼頡様のあのお言葉を……────。
わたくしは、信じます」
与次郎は、固い決意の火をを灯した力強い目を蒼頡に向けて、真剣な表情で、そう言った。
蒼頡は、与次郎に優しく微笑んで言った。
「……与次郎、有難う。
しかし、わたくしはそなたが『怨』に呑まれぬよう、少し手助けをしたまでです。
闇に呑まれる寸前、わたくしの一声で、一瞬『怨』の気が散りました。
あれはそなたの力です。
闇に打ち勝つ、強い志があったからこそです。
『怨』に呑まれるのも打ち勝つのも、最後は、自分の心持ち次第なのですよ。
そなたの純粋で強い忠義の心が、あの禍々しき黒い波動を蹴散らしたのです。
見事でございました。
……よく、耐えましたな」
蒼頡のその言葉を聞いた瞬間、与次郎は、すぅっ……と周りの空気が澄んでいくような、まるで浄化されたような心地がした。
同時に、気分が落ち着き、体が軽くなったように感じた。
与次郎は、
「……蒼頡さまの発するお言葉は……何か、不思議な御力を持っているように感じます……」
と、ぽつりと言った。
それを聞くと、蒼頡はふふっ、と笑った。
「では、ここで一晩休みましたら、夜明けと共に
蒼頡は、笑顔で言った。
◆◆◆
与次郎は人間の姿から、あの美しい
「こちらの姿の方が、ずっと早く着きます」
三つに分かれた尾を優雅に靡かせて、与次郎は言った。
蒼頡は、白狐の背に跨った。
与次郎の言う通り、昼になる前に、蒼頡と与次郎はあっという間に目的地の久保田藩へ到着した。
蒼頡は、すぐさま義宣の元へゆき、荷を届けた。
義宣は驚いた。
与次郎が届けるはずの荷を、白い狩衣を纏った見知らぬ陰陽師が、届けに来たからであった。
与次郎が襲われ命を落としたことを、蒼頡は義宣に告げた。
義宣はさらに驚いたが、やがてじわじわとその事実を実感すると、与次郎の死を、心の底から悲しんだ。
「……ほんに……。
惜しい男を、亡くしてしまった」
義宣は肩を落とし、ぽつりと一言、そう呟いた。
◆◆◆
夜。
義宣が城の家来達に命じ、蒼頡をもてなした。
蒼頡は、久保田藩でとれた米や魚、地酒を
蒼頡の横には、与次郎が座している。
義宣には、与次郎の姿は見えていない。
蒼頡は、与次郎がすぐ側にいることや、実は妖狐であったこと、自分の式となったことを、義宣に一切、言わなかった。
宴が終わる頃、蒼頡が義宣に言った。
「義宣様。
わたくしから一つ、提案がござります」
義宣は顔を紅くし、ほろ酔いになりながら、しかし少し寂しそうな表情で、蒼頡に、
「なんじゃ」
と聞いた。
「この地にも宮を建て、与次郎を神として、祀っていただきたいのです。
もし義宣様が、与次郎のことを想い寂しうなるようなことがございましたら、その時はその宮に参られるとよろしいでしょう。
神として与次郎を奉りましたら、きっと与次郎が、この地をも守ってくださいます。
義宣様の御心持ちも、晴れることでしょう」
義宣はそれを聞くと、少ししてから一瞬だけ目をきらりと光らせて、
「……よし。わかった!
そなたの言う通りにいたそう」
と言った。
与次郎は、宴の席で義宣や蒼頡の姿を愉しそうに、少し寂しそうに眺めていたが、その言葉を聞くや、
直後、与次郎はその胸に嬉しさがじわりじわりと込み上げてゆき、なんと言ってよいかわからないまま、目から一雫だけ、涙をほろりと、
◆◆◆
朝。
義宣が、蒼頡を見送りに城門まで出てきた。
「……馬も何も
義宣が聞くと、蒼頡は、
「ええ。何も
御心遣い、感謝いたします」
と、にこやかに言った。
蒼頡の隣に、与次郎が立っていた。
与次郎は、義宣をじぃ……っ、と見ていた。
義宣には、与次郎の姿は見えていない。
義宣が言った。
「与次郎の代わりに、ほんに御苦労であった。
礼を言う。
江戸までの長い道中、どうかお気をつけくだされ」
「ありがとうござります」
蒼頡が言った。
蒼頡は、ふ、と隣の与次郎を見た。
与次郎が、義宣を見たまま、少し震えていた。
足が地面に張り付いたように、その場から微動だにせず、動かない。
「……義宣様」
蒼頡が言った。
「なんじゃ」
義宣が聞いた。
「与次郎は、義宣様のことを
最後まで、義宣様に忠義を尽くしておりました」
「うむ」
義宣が頷いた。
「……もし与次郎に最後、一言お声掛けができていたとしたら、義宣様は最後になんと、お声掛けなさっておりましたでしょうか」
蒼頡が聞いた。
義宣は、蒼頡の突然の問いに少し驚いたが、しばらく考えたあと、
「……そうじゃな……。
与次郎……。
忠義を尽くし、今までほんによう、頑張ってくれた。
有難う。
ゆっくり、休んでくれ。
……と、言うであろうかな」
と言った。
蒼頡が、にっこりと笑った。
「……そのお言葉、きっと与次郎の耳に届いておりますれば、
与次郎は、蒼頡の隣でぶるぶると震えていた。
「では。
短い間でしたが、世話になりました」
蒼頡は、ゆっくりとその場を離れた。
与次郎は、その場を離れてゆく蒼頡の足音を背中で聞きながら、ぐっ、と口を真一文字に結んだ。
そして義宣に向かって、深々と頭を下げた。
顔を上げ、最後に、
「……どうか、……お元気で」
と一言、絞り出すような声で言った
木の根のように地面に張り付いていたその強靱な脚をすっ……と動かし、与次郎は、蒼頡の
義宣は、蒼頡の背中が見えなくなるまで、その場を動かなかった────────。
────────白狐の背に乗った蒼頡が、突然、
「あ」
と、声を上げた。
そして、
「与次郎。そういえば、江戸に着いたら買わねばならないものがありました」
と、思い出したように言った。
「なんでしょう」
与次郎は白狐の姿で、道を飛ぶように駆けながら聞いた。
「牛の生の肝臓と、伊勢の五十鈴川の清流の水と……」
与次郎は、少し驚きながら、
「江戸で売っているのですか?」
と聞いた。
「ええ、売っておりますよ。」
蒼頡が、笑顔で言った。
「あと、稲荷鮨を四つ」
「えっ」
与次郎が、目を見開いた。
「好物でしょう」
蒼頡が言った。
「……まぁ、は、はい……」
与次郎は、少し複雑な心持ちがした。
ところがこの直後、与次郎は急に、稲荷鮨が無性に食べたくなってきた。
肉体は無くなっても、不思議と好物は変わらないものなのだと、与次郎は思った。
「……与次郎。
これからよろしく、たのみますよ」
蒼頡が言った。
蒼頡の言葉に、与次郎は心臓がばくんと跳ねた。
これから始まる、蒼頡との江戸での暮らし。
この、蒼頡という新たな主人の側に仕えること。
与次郎は、少しの寂しさと、ほんの少しの不安と、
────そして、胸いっぱいの希望が頭の天辺から足の爪先まで全身に沸々と沸き立っているのを、
その心の奥底に、深く深く、感じ取っていたのであった────────。
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