第6話 宿業
「……っく!」
蒼頡は、苦虫を噛み潰したような顔で白狐を見た。
白狐が、一瞬動きを止めた。
直後、今度はぐるりと、弓矢の男の方を向いた。
弓矢の男は、どくん……っと心臓が大きく脈打つのを感じた。
「やめろ!……与次郎!!」
蒼頡が叫んだ。
男は、白狐を
すると、男が潜んでいる建物の隙間の前に、白狐は一瞬で移動した。
巨大な白い獣が、男の目の前に、ぬぅっ……と立ちはだかった。
白狐は建物の隙間に前足を入れ、そこに隠れていた男の後頭部に鋭い爪を突き立てて、潜んでいた男をあっという間に、店の前へ、ずるりと引きずり出した。
「────っがぁっ──っ!」
引きずり出された男は声にならない声を上げ、自分の頭にくい込んでいる爪を引き剥がそうともがいていたが、爪はびくともせずがっちりと頭にくい込み、
男の頭が、めりめりと音を立てている。
前足の爪に、徐々に力が入っていた。
蒼頡は、筆と和紙を素早く取り出した。
その和紙に、蒼頡は『
"……ぐちゃっ……ごきんっ……"
凄まじい音が響き渡った。
「いかん────!」
遅かった。
弓矢の男の後頭部に爪を突き立てたまま、白狐はその前足を思い切り真下に引き下ろしていた。
後頭部は三本の爪で抉れ、そのまま白狐の前足で思い切り踏み潰された。
弓矢の男は脳が潰れ、絶命した。
白狐の身体の周りに、みるみる黒い
『
恐ろしい程の黒い
同時に、『縛』と書かれた和紙が光った。
和紙から、緑、赤、黄、白、黒の五色が
樹齢何百年といった、年輪を重ねた太い幹の丸太のような縄だった。
その五色の太い縄が、白狐に向かって勢いよく飛んで行き、白狐の身体にぐるぐると巻きついた。
「────っ!」
ぎちり……と、縄の音が響いた。
白狐は、五色の縄に巻き付かれたまま、身動きが取れなくなった。
縄から抜けようと、白狐が苦しそうにもがいた。
しかし、もがけばもがくほど、縄は白狐の身体をさらに締め付けた。
五色の縄は発光しながら、白狐の動きを封じていた。
「────与次郎!」
縛り上げられている白狐に向かって、自分に注意を向けるように、蒼頡が叫んだ。
蒼頡は続けて、低い、力強い声で、話し始めた。
「与次郎。
そなたの無念の想い……。
この蒼頡の胸に、悲しいほど伝わってきます。
まだまだ
痛いほどこの身に、流れてまいります。
主人への恩を返すため、ひたむきに自分の役目を
その
……わたくしはそなたを、心から尊敬いたしますぞ」
白狐の動きが一瞬、止まった。
白狐の耳が、ぴくっぴくっと、動いた。
「……しかし……。
そなたは、
────あやかしとなり、人を二人、殺してしまった!!
与次郎……。
そなたは、地獄の
蒼頡は眉間に皺を寄せ、厳しい表情で言った。
「そなたはこのままでは、地獄を見ることになるでしょう。
蒼頡の声が、低く力強くその場に響いた。
白狐は血の涙を、絶えず流している。
蒼頡は、筆をとった。
「そなたを救う方法はただ一つ────。
この世で生きる
蒼頡は、和紙に『
「与次郎。
わたしの
この蒼頡が、そなたが背負ってしまった
このわたしが、────────この蒼頡が、
……
そなたを、解放いたします────────!」
白狐が、ぶるぶると震え出した。
白狐を渦巻く黒い
「────与次郎。
そなたの
わたくしと、盟約を結んでください」
和紙に書かれた『契』という字が、光り出した。
⦅……蒼頡……さま……⦆
与次郎が蒼頡の名を呼ぶ声が、蒼頡の頭の中に響いた。
ごうごうと、白狐の周りを渦巻く黒い靄が大きくなってゆく。
白く美しい狐が、黒い靄に覆われ、見えなくなってゆく。
闇に呑まれてゆく────。
蒼頡が凄まじい声で、再び叫んだ。
「────────
与次郎─────── !!」
"────────ごうっ……!"
一瞬、強い風が吹いた。
黒い靄が、その風で半分ほど散った。
すると────。
⦅……
約束を……果たします……。
わたくし……。
……蒼頡様を……義宣……様の……もとへ……。
……お連れ……いたします……⦆
蒼頡の頭の中で、与次郎の声がこだました。
苦しそうな、しかしはっきりとした口調であった。
「“
それがそなたの、
蒼頡が聞いた。
⦅……
与次郎の声が、蒼頡の頭の中ではっきりと言った。
その時、白狐の周りに、先程散り散りになっていた黒い靄が、再び渦巻き始めた。
またしても、黒い靄が白狐を覆い出した。
蒼頡が、『契』と書いた和紙に向かって叫んだ。
「
陰陽師────、
“
“
“
和紙に書かれた『契』の字が、輝いた。
『契』の字が和紙からゆっくり、剥がれた。
そのまま、『契』の字は光のように、白狐の身体に向かって勢いよく飛んで行った。
今にも黒い靄に呑み込まれそうになっていた白狐の身体に、『契』の字が張り付いた。
『契』の字は光りながら、そのまま、しゅぅ……、と、身体の中に吸収されてゆき、無くなった。
その途端────。
白狐を覆っている黒い靄の隙間から、次々と閃光が飛び出し、やがて眩しい程の
黒い靄はその光によって散り散りになり、あっという間に消えていった。
白狐の動きを封じていた五色の縄は消え、巨大な白狐の姿も消えていた。
その、白狐が動きを封じられていた場所に、人間の姿をした与次郎が、いた。
与次郎が、光と白い靄に包まれ、その場で四つん這いになっていた。
与次郎は、四つん這いの姿で顔を下に向け、
やがて顔を伏せたまま腰を落とし、丸くなり、腕で頭を抱え、その場で大声を上げて、号泣した。
「……うおおっ…… う……うおおっ……!!」
与次郎の泣き声が、天にまで届くようであった。
蒼頡は、その姿をしばらく見つめたあと、白狐から人間の姿になった与次郎の元に、ゆっくりと歩み寄った。
「……与次郎」
蒼頡は、悲しい顔で、優しく声をかけた。
蒼頡が、与次郎の震える肩にそっと手を置いた。
「闇に呑まれず、よく、耐えましたね」
その時、騒ぎが治まり、村人や宿に泊まっていた飛脚、店主などの
震えながら斧や武器を持ち、皆恐る恐る蒼頡に近づいてくる。
一人の男が、蒼頡に向かって、
「あ、あんた……もののけか!?
さ、さっきの、でかい狐は……!?」
と聞いた。
蒼頡はそれに答えず、
「村長はおりますかな」
と言った。
「これに」
少しして、
蒼頡は、六田村の村長に向かって言った。
「この御方とこの御方を丁重に埋葬し、四十九日の間、毎日欠かさず法要してください」
首の無い屍体と、頭が潰れた屍体を指して、蒼頡は言った。
「次に、この御方に関しては、四十九日間の法要が終わりましたら宮を建て、丁重にこの村の神としてお祀りくだされ。
並々ならぬ霊力の持ち主でございましたので、少し間違えば
逆に、村の者達が善い神として丁重に扱いくだされば、必ずこの村を災厄から守ってくださいますことでしょう。
今言ったわたくしの言葉、必ず実行し、お守りくださいますよう、お願い申し上げます」
蒼頡は、
動いている与次郎の姿が見えているのは、蒼頡ただ一人のみである。
与次郎の亡骸だけが、ここにいる人々全員に見えていた。
村長は、蒼頡の姿や所作を見て、
「……承知いたしました。
と、慇懃に言った。
村長に指示され、男衆が、三体の遺体を手分けして運び出した。
蒼頡がその様子を見届けていると、与次郎がむくりと立ち上がった。
そして、蒼頡の元までゆっくりと近づき、後ろから蒼頡に声をかけた。
「……蒼頡様……」
蒼頡は与次郎に気づき、
「む」
と、優しい顔で与次郎を見た。
与次郎は少し
「……お助けくださりまして……、
まことに……有難うござりました……っ!」
と絞り出すような声で言った
大粒の涙をぼろぼろと
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます