第28話 夜、二人
寝そべった俺の顔の上を、窓から差し込む月の光が抜けていく。多くの人が寝静まって静寂に包まれる中、どこか遠くからバイクの音が聞こえてきた。そして、それはやがて遠くに消えて行くと再び静寂が俺たちの間に舞い降りる。
俺の部屋。何もない殺風景な部屋。
その部屋の中でベッドの上に俺たちは横たわっていた。
背中が暖かい。人の温かさだ。
お互いの背中と背中が触れ合って、そのまま2人とも動きを止めている。嫌というほど俺の心臓が早く鐘を鳴らす。顔が熱い。風呂を上がってからしばらく立っているので、頭が茹ってしまったかのように冷静に考えられなくなっている。
それを俺は何度も深く、大きく呼吸を繰り返すことで頭を冷やそうとしたが、
「蓮君、まだ起きてる?」
「お、起きてるよ」
そんなこと出来るわけがない。
俺は陽菜に返事をする。声がわずかに上ずった。上ずらない方がおかしい。すぐ後ろで女の子が寝ているのだ。ここでテンションがおかしくならないやつは男子高校生じゃないと思う。そんな男子高校生がいるなら今すぐ高校生を名乗るのをやめて欲しい。
「ありがとう、蓮君。我がままを聞いてくれて」
「ううん、俺も陽菜と一緒に寝たかったから」
嘘は言ってない。
後ろにいる陽菜がもぞりと動いたのが背中から伝わってくる。ひどく心臓に悪い。 緊張で手汗が凄いことになっている。また風呂に入った方が良いかも知れない。
「どうして蓮君は学校で私たちが付き合ってることを黙ってるの?」
ふと、陽菜がそう聞いてきた。
それは俺が先に言い出したことだった。
俺と陽菜が付き合っていることを秘密にしよう、と。
深い考えがあったわけではない。ただ、俺と付き合うことで陽菜に対してあらぬ噂や悪口を言われることが嫌だったのだ。陽菜は目立つ。可愛いから目立つ。だから、色んな噂が立つ。それこそ、岳が俺に言ってきたように。
俺が好き勝手に言われる分には構わない。けれど、陽菜が悪口を言われるのだけは嫌だ。
「陽菜は、言いたいの?」
「……うん」
陽菜がこぼれるように呟いた。
心臓がきゅっと鳴る。
「どうして?」
「蓮君と私が付き合ってるって言えば、他の女の子が蓮君に手を出さなくなるから」
「……出してこないよ」
「嘘。この間、告白されてたもん」
「見てたの?」
「うん」
部屋の近くに陽菜がいたから、多少は聞かれてるものだと思っていたけど、まさかしっかり聞かれているとは。
「……蓮君が他の人に告白されるの嫌だもん」
「俺だって、陽菜が他の人から告白されるの嫌だよ」
「なら、言っても」
「でも、それ以上に陽菜のことを悪く言われるのが嫌なんだ」
「……私だって」
陽菜の声が俺の耳を打つ。
「私だって、蓮君のことを悪く言われるのは嫌」
「だから、言わない方が良いんだよ」
人は人の噂が好きだ。
根も葉もないけれど、誰かが不幸に陥っていく様子を見るのが好きだ。それが自分と関係なければないほど、人は喜んでその噂を
特に陽菜は学校で一番の美少女だ。その噂はすぐにでも伝わるだろう。
これ以上、陽菜が苦しむ姿を見たくない。
「……言わないなら、良いんだよね」
「うん。それが、どうかしたの?」
「ううん。なんでもない。聞いただけだから」
陽菜がもぞりと動く。陽菜は寝返りを打つように身体の向きを変えると、そのまま抱き着いてきた。
「……っ!? ひ、陽菜!!?」
「……あったかい」
陽菜の身体が全て俺の背中にくっつく。想像以上の柔らかさに頭が爆発しそうになった瞬間、陽菜がぎゅっと俺の服を掴んだ。
「蓮君、好きだよ」
「俺も好きだよ」
「…………お願い。蓮君」
陽菜が言葉を紡ぐ。
「見捨てないで」
氷水でもかけられたかのように、一瞬にして頭の奥が急に冷めきった。
「当り前だよ」
陽菜は怖いのだ。俺が誰かの所に言ってしまうのではないかという恐怖があるのだ。俺が陽菜のことを見なくなるのではないかという恐怖を持っているのだ。だから、俺はそんな陽菜を救うために言葉を吐く。
多分、こんな言葉では彼女を変えられない。
彼女の中に巣くっている恐怖は、10年以上にわたる彼女の人生によって根付いたものだ。
こんな俺ごときのちっぽけな言葉1つですぐに変えられるわけがない。
それでも、俺は陽菜を助けたくて言葉を紡ぐ。
「俺は陽菜のことを絶対に見捨てないよ」
意味なんて無くても、その場しのぎであっても陽菜が安心するなら、俺はそのための言葉を生み出し続ける。
だから、俺も陽菜を見れるように振り返った。
すぐ目の前に陽菜の顔があった。夜の闇に目が慣れてきたからか、それとも月の光が部屋によく差し込んだからか。陽菜の顔が良く見えた。紺の髪と、青の瞳。陽菜の瞳をのぞき込んで、綺麗だと思った。
何度同じ感想を抱いているのか分からないけれど、陽菜の目は綺麗だ。目だけじゃない。髪もサラサラだし、艶も良い。肌も白くて美しい。陽菜の全部が可愛い。だから、好きだ。
俺がずっと陽菜を見ていると、急に顔を赤くした陽菜が急に視線をそらした。
「どうしたの?」
「ううん。何でもない」
「陽菜?」
顔を真っ赤にして下を向く陽菜のことを心配に思って、俺が尋ねると陽菜がぎゅっと急に抱き着いてきた。
「ちょ、ちょっと。どうしたの!?」
陽菜の顔が見れない。その代わり、俺の胸のところで陽菜が呼吸をしている。すごいくすぐったいけれど、陽菜の髪の毛から柔らかいシャンプーの匂いが鼻孔を撫でた。
「……蓮君。これから言うことを、ちゃんと聞いててね」
「う、うん。どうしたの?」
「私、蓮君に秘密にしてることがあるの」
「……?」
俺が何も言えずにただ首を傾げると、陽菜は俺の胸元で深呼吸を繰り返しながら、『なに』かを言うべきかどうかを悩んでいるみたいだった。
「……言いたくないなら、言わなくても」
「ううん。蓮君だから、言うの」
やっぱり陽菜は顔をうずめたまま、つづけた。
「私は人の顔を見たら、その人が何を考えてるのかが分かるの」
「……本当に?」
こくり、と俺の胸元で陽菜が頷く。
俺はその言葉を受け取って、
だから、
「ね、陽菜」
陽菜の身体を持って、わずかに離すと顔を覗き込んだ。
「いま、俺が何考えてるか分かる?」
陽菜が好き。
「……れ、蓮君?」
「本当に、何を考えてるのか分かるんだったら当ててみて」
陽菜が大好き。
「あぅ……」
陽菜が顔を赤くする目をそらそうとしたので、そっと頬を撫でた。
「ね、当ててみて」
「も、もう! なんで言わせようとするの!!」
「ちゃんと伝わってるかなって」
「そんなにアピールしなくても分かってる!」
陽菜はそう言って恥ずかしそうに、けれども嬉しそうに俺に抱き着いた。
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