第26話 幸せの形

 彼女を連れてこいと言われたが、流石に陽菜を連れていくわけにはいかないので俺は1人でハヤトさんの会社に行くことにした。金曜日の午後が運よくバイトが入っていなかったので、学校が終わって陽菜を送っていってそれから向かった。


 陽菜と付き合い始めてから、毎日が楽しい。朝起きて学校に行くのが楽しいし、帰宅するのが楽しい。青春を捨てると言っていた俺が、こんなに青春を楽しむなんて考えたことも無かった。


 会社に入ると、いつもの事務の人に応接室に通された。ハヤトさんはすぐに来た。


「あれ? 彼女は?」

「いや、連れてこないよ」

「見たかったのに」


 そういうハヤトさんの手元には、書類が入ったクリアファイル。


「写真とかないの?」

「無いよ。取ってないもん」

「おいおい。ケチだな」


 そう言って溜息をつくハヤトさんに呆れながら俺は言った。


「おっさんクサいよ」

「……マジ?」


 一瞬固まるハヤトさん。


「ま、まあいいや。印鑑はあるよな?」

「はい。あります」

「蓮の場合は保護者がいるから書類の扱いがちょっと面倒になるから結構書いてもらうよ」

「大丈夫です」

「敬語禁止な」


 俺の場合、保護者は祖父母だ。


だから、未成年の俺が契約書類を書くときには当然、保護者である祖父母の確認がいる。だが、祖父母はこの書類に印鑑を押さないだろう。自分たちの考えを絶対だと思い込み、俺の考えを否定しているあの2人が書くわけがない。


「日本ってさ、親が酷いと生きづらいんだよ」

「……そうっすね」


 俺が書類を見ながら色々と書いていると、ハヤトさんがそう言った。


「未成年は、保護者の下にいる。でもそれってさ、保護者がマトモな場合はじゃないと機能しねぇんだ。奨学金だって保護者がサインしない、あるいは書類がから進学できない子供たちも多いんだよ」

「どうにか、ならないのかな」

「なぁ、蓮。奨学金って、どうして入学金が出ないか知ってるか?」


 ハヤトさんは湯呑を手に持ったまま、ぽつりと呟いた。


「……ううん。知らない」

「入学金に手を付ける親がいるからだよ」

「…………」


 俺は何も言えなくて黙り込んだ。


「国立ならまだしも、私立大学は入学金に100万近くかかる。そんなまとまった金を、全ての親が黙って子供のために使えるわけないよな」

「…………」


 ハヤトさんがお茶を一口飲んだ。


「岳は、元気にしてるか?」

「うん。今は元気にしてるよ」


 岳の両親の離婚調停をサポートしたのもハヤトさんだった。岳の父親が、岳の背骨を折った事件はまだ記憶に新しい。あれは岳が中学校のころだった。後遺症が残らなかったのが奇跡だと医者に言われた。


「ダイスケさんから、お前らの話を聞いた時に俺は怖かったよ。こんな身近に、こういう子供たちがいて……それに気が付けなかった俺が怖かった」


 ダイスケさん、というのは岳の彼女の阿久津さんの父親だ。

 俺→阿久津さん→阿久津さん父→ハヤトさん、という順番でコネクションが繋がっている。


「……しょうがないよ。分からないもんだし」

「本当にな。でも、悔しいよ。俺は、お前らに俺と同じになって欲しくないんだ」


 ハヤトさんの言葉を聞きながら、俺は書類を書いていく。

書いていく。書いていく。


「なぁ、蓮。お前くらいの歳になってくるとさ。大人ってのが嫌に見えてくることがあんだよ。自分のことばっかりで、周りに目を向けられなくて……大人が何でも出来るんじゃないってことに気が付き始めるだろ」

「……しょうがないよ。人間だもん」

「でもな、助けを求めたら……それに応える大人もいるんだってことは、知っておいて欲しいんだ」

「…………」

「困ったことがあったら、いつでも頼ってくれ」


 俺は手が疲れたので、ボールペンを置いて湯呑に入っているお茶を一口飲んだ。


 ありがとう、と言えれば良いんだろうけど……俺は恥ずかしくて話をそらした。


「ハヤトさんってさ」

「おう」

「いっつもその話だよね」

「……うわ、いまの年寄りって言われたみたいで心に来たぜ…………」


 そして、2人で笑いあった。


「天原さん。お電話です」

「今行く」


 天原、とはハヤトさんのことだ。社長なので忙しいんだろう。

 彼が電話を取りに外に出たのを見て、俺は再びボールペンを手に取った。


 電話……。そういえば、陽菜は携帯電話スマホを持ってない。ということは陽菜に何か伝えたいときって陽菜の家に電話をかけないといけないんだろうか……?


 俺はそれを想像して、少し震えた。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□


 書類を全て書き終えて、俺はハヤトさんの会社を後にした。年齢が10ほど離れているハヤトさんだが、俺はハヤトさんのことを年の離れた兄……というよりも、父親のように見ている。


 まだ、父さんが生きていたらあんな感じだったのかな……と、思ってしまう。だから、ハヤトさんと出会った日の帰り道は、いつもよりも寂しくなる。いつも思い出に蓋をしている家族のことを思い出すから。


 だから、帰って泣きじゃくったこともある。父さん、母さん。と、何度も何度も呼んで泣いて……そして、気が付いたら寝ていたことも珍しいことじゃない。


「はぁ……」


 溜息をつく。分かっている。死んだ人間は絶対に生き返らない。

 泣いたって、何の意味も無い。疲れるだけだ。


 俺は今日の夕食を買おうと思って、スーパーに入った。


「今日はコロッケよ」

「やったぁ!」


 惣菜コーナーで、幼稚園児くらいの女の子と手を繋いだ母親が嬉しそうに喋っている。それを見て、心が締め付けられた。そして、吐きそうになる。ただ、ただ羨ましいという内心が鎌首をもたげる。どうして、自分がこんな目に合わないと行けないんだ……と、押さえつけている心が悲鳴を上げる。


 だから、目をそらした。これ以上、幸せな家族を見ていられなかった。

 願っても、願っても、手に入れられないものがそこにあって……。


「蓮君、今日はコロッケにする?」

「うわっ!?」


 いつの間にか後ろに立っていた、恋人しあわせに声をかけられた。


「え。なんでここに!?」

「なんでって、それはこっちのセリフだよ。どうして蓮君がこの時間にスーパーにいるの?」


 少しだけジト目で俺を見てくる陽菜。確かに、陽菜には今日あったことを言っていないから俺がこの時間にスーパーにいるのがおかしく見えるだろう。


「ちょっと奨学金のことで……。それより、陽菜は?」

「食材買って蓮君の家に行こうと思ってたの。ビックリさせようって思ってたのに」

「そ、そうだったんだ」

「そしたら、蓮君が惣菜コーナーをすごい見てたから。コロッケ好きなの?」

「うん。好きだよ」


 コロッケは好きなので、陽菜にそう返した。

 まさか、親子を見て吐きそうになっていたと正直に伝えることも出来ないだろうし。


「じゃあ、今日はコロッケ作ってあげるよ」

「本当?」

「うん」

「コロッケって……家で作れるんだね」

「簡単だよ!」


 こっそり料理を練習して陽菜に振る舞う時はまだまだ先になりそうだなぁ、と思いながら俺は陽菜の手を握ってスーパーを歩いた。


 心の奥底から沸き立っていた悲しさが消えていることに気が付いたのは、それからしばらく立った後だった。

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