第25話 応え

 蓮君との約束の日付が過ぎて、私が自分の家に帰ったあと、父も母も何も言わなかった。最初から私はそこにいなかったかのように振る舞われた。お手伝いさんだけが心配してくれていたことが、私は嬉しかった。


 久しぶりに自分の部屋で眠った時、わずかな空虚が私の心を占めていた。昨日までなら、起きて朝ごはんを作ることを考えていた。毎日蓮君は美味しいと言って食べてくれて、ありがとうって言ってくれた。


誰かのために何かをすることが、嬉しいと蓮君が初めて教えてくれた。私がそこに居ても良いのだと、言外に伝えてくれた。そんな蓮君と明日から会えなくなるというのが、悲しかった。


ただ、いつでも頼って欲しいと言われたのが私の心の支えにだった。



 次の日の音楽室で、蓮君を見たときにやっぱり私は顔を見れなかった。でも、授業が終わった後に蓮君から呼ばれるなんて思っても無かった。この間から、蓮君はちょっとだけ積極的になってたけど、まさかみんなの前で直接話しかけてくるなんて思わなかったから。


 その後の授業も周りの話も、何も頭に入って来なかった。早く放課後になって欲しいと思って、ただ時間を潰した。帰りのHRが終わった瞬間、私は走るように屋上に向かった。今まで何度もそういう誘いはあった。


 だから蓮君の話も、もしかしたら話なんじゃないかと思って、淡い期待を抱いて――そして、そうじゃないかも知れないという恐怖がそれを打ち消した。


 もしかしたら、昨日帰るときに言ってくれた『いつでも頼って欲しい』というのが嘘だったのかも知れない。彼女が出来たから、もう会えないと言われるのかも知れない。期待と不安が頭の中を駆け巡って、ぐるぐるとずっと同じ場所で思考が回転した。


 やっぱり1週間も居候は厚かましかったのかも知れない。蓮君だって年頃の男の子だから好きでもない相手と生活して苦しかったのかも知れない。一日経って冷静になって、『昨日言ったことは忘れて欲しい』と言われるのかも知れない。


 ただ、ただ。ネガティブな感情だけが渦巻いていると屋上の扉が開く音がした。


 遅れて蓮君が入って来るのが分かって、でもやっぱり顔を見れなくて。


「陽菜」


 学校で下の名前を呼ばれるなんて思って無かったから、心臓が跳ねた。そして、痛いほど早く心臓が打ち鳴らされた。不安が、ただただ期待に代わっていくのを私はまるで他人ごとのように感じていた。


「…………話って、なに?」


 声を、かすれないように出すのが精いっぱいだった。蓮君に伝わるように言わないと、と思って、何とか絞りだした声が蓮君に聞こえたかどうかが分からなくて不安になった。蓮君が、私の向こうで息を吸った音が鮮明に聞こえてきた。


 心臓が痛いほど鳴っている。

 もし、もう会わないでくれと言われたら私はどうすれば良いだろう。


 そうなったら謝るしかないのだろうか。でも、蓮君に会いたくないなんて言われたら、私が謝られても蓮君を困らせるだけで。


 蓮君は、何も言わなかったのか私の体感時間がおかしかったのか分からないけど、そのあと蓮君が言ったことは私の耳に刻み付けられた。


「好きだ」


 永遠の時間が過ぎ去って、私は顔をあげた。久しぶりに見る蓮君の顔。次の瞬間、蓮君が何を考えているのかが全て伝わってきた。緊張、緊張。そして、私が蓮君にも持っていて欲しいと心の底から願っていた恋心。


 夢かと思った。幻覚かと思った。

 蓮君が、冗談を言っているんだと思った。


 でも、何度見ても、何度見ても。間違いなく、蓮君からまっすぐ私に恋心が走っていた。あれだけ欲しくなかった人の感情を読めるということが、こんなに嬉しいと思った時は無かった。もっと早く蓮君の顔を見ていれば良かったと思った。


 蓮君から向けられた言葉の全てがくすぐったくて、嬉しかった。

 蓮君が、私の嫌いだった私を好きにしてくれたと分かった時に涙が出た。

 


私はその日、初めて幸せが分かった。


□□□□□□□□□□□□□□□□□□



「蓮君はいつから私のこと好きだったの?」


 互いに手を握りしめて、帰宅する。やっぱりこの時間には帰路についている学生はほとんどないないので、誰にも見つからずに静かに帰れる。


「いつから……って、難しいこと聞くね」

「うん。だって気になるもん」

「……告白の練習をした時からかな」

「じゃあ、私の方が先に蓮君のこと好きになってたんだ」


 陽菜はそう言って、いたずらっ子っぽく笑った。俺はその笑顔にどこか恥ずかしさを感じてしまって、ちょっとだけ目をそらした。


「陽菜はいつからだったの?」

「内緒♪」


 そういって陽菜はほほ笑んだ。握っている陽菜の手は暖かく、そして柔らかい。昨日、陽菜を家まで送っていった時とは全然違った。


「蓮君」

「どしたの?」

「呼んだだけ」


 ……可愛いかよ。


 陽菜が俺の方をちらちらと見てくる。ちょっとだけ恥ずかしそうに。だから、俺は陽菜の手をぎゅっと握った。


「陽菜、可愛いよ」

「~~っ!」


 陽菜に可愛いというと、顔を真っ赤にするのが可愛いくて思わず何度も言ってしまう。

 そんな陽菜の横顔を見ていた時、俺はふと思い返して陽菜に聞いた。


「そうだ、陽菜。来週の土日暇?」

「うん。暇だよ」

「デートしない?」

「……い、いいの? 蓮君、バイトがあるんじゃ」

「ううん。休みをもらうよ」

「で、でも。蓮君の生活費が……」

「大丈夫だって」


 今はそんなことよりも、陽菜と一緒にどこかに出かけたい。陽菜と一緒に遊びたい。だから、俺は陽菜にそう言った。


「うん。じゃあ、楽しみにしてる」


 陽菜の家の前についたので、俺は陽菜の手を離した。陽菜も名残惜しそうに、手を離した。


「蓮君。また明日ね」

「うん。また明日。学校で」


 陽菜が立派な門を開けて、中に入っていく。ふと、俺は思い出したように言った。


「陽菜」

「なに? 蓮君」

「好きだよ」

「~~っ! わ、私も!」


 陽菜が門をくぐる。可愛いなぁ、と性懲りもなく考えて俺は踵を返した。そして、すぐにスマホを取り出すとメッセージアプリを開いて、上からトークルームを探した。


 友達登録している人が少ないので、すぐに探したい人を見つけた。


 そして、文字を打ち込む。


『お話があります。いつかお時間ありますか』、と。


 相手は忙しい人だから、返信も遅いだろうと思って帰宅した。途中でスーパーによって、食材を買った。家に帰っても1人だったが、もうコンビニの弁当を食べようとは思わなかった。


 陽菜に黙って料理を練習して、陽菜を驚かせようという魂胆もあった。

 家に帰ると同時に、スマホが震え始めた。


 慌てて取り出すと、電話だった。


『久しぶり~。元気してたか? 蓮』

「あ、はい。おかげさまで……」

『おいおい。敬語はやめてくれよ。距(・)離(・)できるだろ?』


 電話の主は、俺が尊敬する人だった。

 

 俺と同じような家庭環境で高校には通わなかったものの、立ち上げた会社を成功させた中卒の社長。


「分かったよ。ハヤトさん」


 自分は賢くないからと、社員の誰にも社長と呼ばせない。誰にも敬語を使わせない。自分は周りの力を借りているからという、そんな謙虚な姿勢を俺はカッコイイと思った。だから、心の奥底で尊敬している。


『んで、話ってなんだ?』

「奨学金の、話なんだけど」

『あ、もしかして彼女できた?』


 何も言って無いのだけれど、遠巻きに言いたいことを当てられて俺は戦慄した。


「あ、ああ。うん。できたよ……」

『バイト減らすから奨学金増やしてほしいって話だろ? 契約書書かなきゃいけないから、いつか会社に来てくれないか。俺の方で予定空けとくからさ。金曜か土曜の午後からなら開いてて……。あ、そうだ。蓮の彼女連れてきてよ。可愛いんだろ?』

「……俺、まだなにも言って無いよ」

『ん? だって、蓮のことだから彼女といちゃいちゃしたくてバイト減らしたいのかなって』

「……まあ、そうだけど」


 俺の魂胆を言い当てられて、声が小さくなる。


『そう遠慮すんなって。高校生のうちにちゃんと青春しとけよ。俺みたいになって欲しくないから、俺はお前らに金出してたんだ。もっと胸張って遊ぶべきだ』

「……ありがとう。ハヤトさん」

『てなわけで彼女連れてこいよー!』


 そう言って電話の主は一方的に切った。


「……相変わらず、元気な人だな…………」


 やっぱり中卒で社長をやってるくらいだから、バイタリティがほかの人よりも凄いのだろう。俺はそう思って、スマホをポケットにしまい込んだ。

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