第22話 約束の果て

「一週間。ありがとう」


 陽菜が荷物を持って道を歩く。俺もその隣を一緒に歩く。手を繋いで帰った日から、陽菜は俺の顔を見ずに、ちょっとだけ視線を外して喋るようになった。


「……いや。全然良いよ」


 陽菜が俺の家に泊まるのは一週間だけ。


陽菜が来た日からちょうど一週間経っていた。あの時交わした約束通り陽菜は荷物を持って家に帰る。俺はその付き添いだ。バイトが終わって、陽菜と一緒に彼女の家に向かっている。


 もうあれから一週間も立っているということに、俺は衝撃を隠せなかった。陽菜と居た時間は何よりも濃くて、もっとずっと一緒に居たようにも思えたし、一瞬だったように思えた。多分、それだけ俺の中にいた陽菜の存在は大きくなっていたんだとも思う。


「けど……陽菜は、大丈夫なのか? その……家に入れるの?」

「うん。鍵は持って家出したから」


 陽菜はやっぱり俺の方を見ずにそう言った。俺なんかと顔を合わせたくないのかも知れない。やっぱり、手を繋ぐのは早すぎたのかも……。


「蓮君。私、楽しかったよ。始めて誰かと一緒にいて楽しいと思えた」

「……そっか」


 俺は陽菜になんと声をかければいいか分からなかった。俺は親を早くに亡くしたけれど、親には愛されて育ったと思う。祖父母も古い考えを持っていて、今は意固地になっているから話が合わないが、しばらくすればちゃんと話し合えるようになるだろうとも思う。


 でも、陽菜の場合は違う。

 陽菜は俺とは全然違うから。


 だから、言葉を考える。


「俺も楽しかったよ。陽菜と一緒に居れたから、楽しかった」

「…………」


 俺がそう言うと、陽菜は顔を地面に向けてしまった。少しだけ顔が赤いようにも思える。恥ずかしかったのかも知れない。


 月の光が陽菜の横顔と、その奥に見える七城家を照らした。このまま歩いていけばすぐにでも、七城家に到着するだろう。そうなれば、また元の関係に戻る。俺は陽菜との接点が無くなって、この関係は終わる。


 学校で俺たちは喋るような仲じゃない。クラスも違う。部活動はお互いしていない。1年生の時は隣のクラスだが、2年生で行われる文理選択で俺と彼女は別々の選択肢を選ぶだろう。それに、陽菜の周りにはずっと誰かがいる。


 陽菜にとって彼らが友達じゃないとしても、俺はその輪の中には入らない。入れない。

 俺は自分で青春を捨てたから、今更そこに入れるなんて甘い期待は抱いていない。


 だけど、このまま一緒に居られないのは嫌だと思った。このまま、何もなく別れ離れになるのが嫌だった。そんなの、俺のエゴ以外の何でもない。陽菜に嫌われたくないからって、隠し通してきた自分の感情に他ならない。


 だから、俺は口を開いた。


「陽菜」

「なに?」

「もし、また何があったら俺を頼ってくれ」

「…………良いの?」


 ぱっと、月の光の中で陽菜がこちらを振り向こうとして……やめた。振り向きたくないのではなく、こちらを見ることを我慢するかのように、ぎゅっと陽菜が自分の手を強く握りしめる。


「もちろん。だって、俺は」


 俺は陽菜が。


 続けようとした。続けようとして、言葉が出てこなかった。

 ここでそれを言ってしまったら、全てが無に帰すと思った。


「俺は……陽菜の味方になりたいから」

「……っ!」


 陽菜の綺麗な蒼い髪の毛が揺れた。


「だから、何か俺に出来ることがあったらいつでも言って欲しい」


 俺がそう言った瞬間、陽菜はこっちを見ずに手を差し出してきた。


「……握って欲しい」

「…………分かった」


 俺は陽菜の手を握った。柔らかいけど、冷たい手だった。俺は緊張で冷え切っているのだろう、と思った。


「蓮君は、どうしてそんなに優しいの」


 2人の歩く速度は変わらない。ゆっくりと、けれども確かに前に進むから。


「俺は……優しくなんて無い」


 最初は、優しさだった。あの日、公園で捨てられた子犬のような顔をしていた陽菜を放っておけなかった。何よりも、過去の自分がそこに居たから。だから、どうにかしたいと、絶対に助けてあげたいと思った。その辛さは誰よりも分かっているはずだったから。


 だから、助けた。


 でも、今は違う。今は陽菜が好きだから、助けたいと思う。陽菜に好かれたいと思って、助けたいと思っている。だから、こんなものは優しさじゃない。


「なら、どうして?」

「……それは」


 ここで、好きだからと言えたらどれだけ楽だっただろうか。けれど、それを言ったとして陽菜が喜ぶとは思えなかった。ただ、陽菜を苦しめるだけだと思った。だから、言葉を探した。探して、探して、見つけた。


「放っておけないんだ。陽菜のことが」

「……どうして」


 陽菜が聞いてくる。

 俺は、何も言えない。


 ただ、静かにお互いの時間が過ぎ去っていって、


「送ってくれてありがとう。蓮君」


 お互いの終着点に、到着した。


「……また、学校で」

「うん。また、学校で」


 そして、陽菜は家の中へと消えて行った。



 それから俺はすぐに踵を返すと、家に帰った。いつもそうしてきたはずなのに、たった1人で家に帰るということが、酷く心に重くのしかかった。まるで、今までそこにあって当たり前だと思っていたものが失われたかのような喪失感だけが心に空いた穴を埋めていた。


 一歩踏み出すチャンスはどこにもでも転がっていた。

 陽菜に好きだという機会は吐いて捨てるほどあった。


 でも、俺はそのどれか1つをも手にすることが出来なかった。


 ヘタレと言われてしまうだろう。でも、俺は踏み出せなかった。

 

 と、その時スマホが震えた。手に取ると、たまたまクラスのグループでメッセージが送られていただけだった。俺はそれを流し見すると、上から2つ目のアイコンをタップして電話をかけた。


 電話の主は、すぐに出た。


「蓮から電話をかけてくるなんて珍しいな。何かあったか?」

「……いや、特に何もない」

「話なら聞くぜ」


 岳は何も聞かずに、ただそう言ってくれた。


「……自分が、嫌になったんだ」

「どした? 告白にでも失敗したか?」

「まぁ、そんなところだ」

「そういうこともあるさ。告白して……振られたのか?」

「いや、告白が出来なかったんだよ」

「もう相手に彼氏がいたとか?」

「……違う」

「……?」

「関係が壊れるのが、怖かったんだ」

「…………あぁ。そういうことか」


 岳は大きく息を吸って、吐いた。


「蓮。告白って何だと思う」

「……思いを伝えることだろ?」

「そうだ。けどな、それだけじゃない。告白ってのは、新しい関係を作らないかっていう誘いなんだ。そりゃ、今までの関係は壊れるぜ」

「…………」

「今までの関係が壊れる恐怖も分かる。だから、それが言えないって恐怖も分かる。けどな、言わなきゃ何も始まらないもんよ」

「…………お前は、前向きだな」

「そりゃあ、俺は告白に成功してるからな。でも、いざ告白するってなったら怖かったし、緊張もしたよ」

「……岳でも?」

「当たり前だろ。俺は告白した後で、振られたんだったら仕方ないとは思うけどよ。告白する前からビビって引くのは違うと思うぜ」

「……それは」

「って、漫画に書いてあった」

「受け売りかよ」

「でも、そうだろ?」


 岳の言葉に、俺は黙った。

 正論は人を黙らせるのだと思った。


「……そうだな。岳の言う通りだ」

「俺もたまには良いこと言うんだぜ」


 電話の向こうで、岳が笑っているのが分かった。

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