第17話 理想

 バイトが終わって家に帰ると、明かりがカーテンの中から漏れている。鍵を開けて中に入ると、カレーの良い匂いが部屋の奥からしていた。


「た、ただいま」

「お帰り」


 何年ぶりに言ったか分からない言葉に、七城さんがキッチンからわざわざこっちにやってきて応えてくれた。


「ご飯できてるから食べよ」

「ありがとう」

「どういたしまして」


 俺は荷物をソファの上に置いて、食卓に向かった。エプロンを着た七城さんがカレーを皿によそう。カレーの良い匂いを嗅ぎながら、俺は食器を用意した。2人で家族用の大きなテーブルに腰掛けて、手を合わせる。


「「いただきます」」


 合わせたわけでもないのに、声がそろった。不思議とお互いの視線が交差して、わずかにほほ笑む。


 俺はスプーンでカレーをすくうと、口に運んだ。甘口だ。でも、それが美味しい。暖かい。思わず笑顔になってしまう。


「秋月君は明日もバイト?」

「うん。明後日が休み」


 七城さんがカレーを食べながら語り掛けてくる。俺がバイトで夜の10時まで家にいない。だから、夕食時は七城さんと喋れるわずかな時間だ。俺はいつも先に食べてて良いよ、とは言っているのだが七城さんは「せっかく一緒にいるんだから」と言って、食べる時間を合わせてくれる。


 そんな気づかいが、とても嬉しかった。


「水曜日だね。どこかに行く?」

「んー。どっか行きたい?」

「ううん。家にいたい。本読みたいし」

「なら、そうしようか。俺もまだ読めてないから」


 俺も七城さんから勧められた本を全然読めてない。

 早く読んで一緒に語りたいのに。


「どう? カレー美味しい?」

「美味しいよ。今まで食べてきた中で一番旨い」


 俺はそう言って流し込むようにカレーを食べた。カレーなんて食べるのが久しぶりだ。よくカレーは家庭の味、なんて言うが俺はそう思わない。最後に母親がカレーを作ってくれたのはもう数年も前のことで、その味なんて覚えていないからだ。


「秋月君って時々真顔で冗談言うよね」

「いや、冗談じゃないよ」


 祖母はカレーをめったに作らなかった。祖父が好きじゃないからだ。それよりも魚の煮つけや煮物が多かった。だから、こうして誰かのカレーを食べるというのが……憧れだった。


 ……なんてこと、恥ずかしくて誰にも言えないけど。


「七城さんの作ってくれたカレーが一番旨い」

「もう。そうやって」


 七城さんが顔を赤くして怒る。


 俺はあっという間に2杯もカレーを食べ終わって、そのままになっていた調理器具を洗った。そして、カレーを作るときに出た生ごみを捨てようと思って、燃えるゴミのゴミ箱を開いた時、中に手紙らしきものが入っていることに気が付いた。


「……ん?」


 そのままチラリと文面を読む。全部は読めないが、読めるところから判断するに……ラブレターみたいだった。俺は少しだけ心の中がモヤっとした。なぜ……? と、自分に問うがすぐに答えは返ってこない。


 その代わりに、俺は七城さんに尋ねた。


「これ七城さんのやつ?」

「うん。さっき捨てたの」

「よかったの?」

「私は要らないって言ったんだけどね……。でも、どうしてもって手渡されたから」

「そっか」


 今日の昼のやつだろう。俺は七城さんが良いと言ったので、手紙を拾うことなくゴミ箱にゴミを捨てた。


「私はああいう風に手紙とかで告白されるの好きじゃないから」


 自分の食器を洗いながら七城さんが俺に告げてくる。


「あー。メッセージアプリとかも?」

「うん。言うなら直接言って欲しい」


 なぜそれを俺に言うのだろうか。

 俺はそれにモヤモヤとしたものを抱えた。


「秋月君は好きな告白のシチュエーションとかある?」

「告白のシチュエーション?」


 そんなの初めて聞いた。

 俺は七城さんの方を見ながら、少しだけ呆ける。


「……考えたことも無かった」

「そうなの?」

「うん。告白のシチュエーションか」


 俺はしばらく考える。

 ……好きな告白のシチュエーションって何だよ。


「それって告白される方? それともする方?」

「どっちを選ぶかも好きなシチュエーションだよ」

「なるほど……」


 やっぱり女の子はそういうの考えるものなんだろうか?


「七城さんの好きなシチュエーションって直接告白されること?」

「うん。やっぱり、直接『好きです』って言われたいかな」

「直接」


 オウムみたいに単語を繰り返す俺。

 多分、今の俺のIQ5くらいしか無いと思う。


「変に言い訳するよりも、まっすぐ言われたいから」

「まっすぐ」


 訂正。今の俺のIQは2だ。


「秋月君は?」

「んー……」

「告白はしたい人? されたい人?」

「したい人かな」

「へ、へぇ」


 七城さんがちょっとだけ驚く。


「そんなに意外だった?」

「うん。告白されたい人かなって思ってた」

「されると……断らないといけないから。心苦しくなるんだ」

「じゃあ、私は冷たい?」


 いたずらっ子っぽく笑いながら、七城さんが上目遣いでこっちを見る。ああ、駄目だ。俺はそれに弱いんだ。


「いや、そんなことないと思うよ」

「ほんとに?」


 七城さんはやっぱりいたずらっ子っぽくほほ笑む。


「うん。本当に」


 その目をまっすぐ見れずに思わず視線をずらしてしまう。可愛い。

 その顔を見ていると俺はいてもたってもいられなくなる。


「じゃあさ、練習しようよ」

「練習?」

「うん。告白の練習」


 七城さんがすっと距離を詰めてくる。


「秋月君に好きな人はいるの?」


 その問いかけに俺はすぐに言葉を吐き出せず、ただ七城さんの瞳を見た。吸い込まれるような青い瞳。ぎゅっとそれに飲み込まれてしまいそうになりながら、俺の心臓の音だけが嫌に耳を打った。


 うるさいくらいの心臓の音。頭の中から全身に血液を送り出しているんじゃないかと思ってしまうくらいにドクドクと血流の音だけが脳内に響く。好きな人、という言葉が頭の中をめぐっていく中でやっぱり七城さんの顔が出てきて、


「……い、いない」


 俺はそれをすぐに打ち払った。だが、それはどうにも七城さんにとっては都合の良いことだったらしく、彼女の表情がぱっと明るくなる。


「ふふっ。なら、大丈夫だね。秋月君は、どんなシチュエーションが理想かな? 夕方の教室に呼び出す? それとも校舎裏かな」

「俺は……学校の帰り道かな」

「帰り道?」


 七城さんが首を傾げる。


「学校から2人で帰ってるときに告白するのが……理想」

「それって……バイトでも?」


 ちょっとだけ暗い表情を浮かべた七城さんが俺に尋ねてくる。


「ん? バイト?」

「ううん。何でもない」


 しかし、どうしてバイトが出てきたのか分からず俺は首を傾げると、七城さんの表情がぱっと明るくなった。


「でも学校帰りが理想なら、告白の練習はできないね」

「なら、七城さんの告白練習しようよ」

「えっ!?」


 自分がやられると思って無かったからか、七城さんは目を丸くして驚いた。それが小動物みたいな可愛らしさを持ってるから俺の中のSに少しだけ火がつく。


「好きな人いるの?」

「………………」


 七城さんは俺の問いかけに顔を赤くして、下を向いた。


「……気になる人なら」


 そして、か細い声でそっと言った。


 ぎゅっ、と自分の心臓を手で握り絞められたような錯覚。

 それを俺は作り笑いで誤魔化す。


「七城さんはどんな告白が理想なの?」

「私は……日常の中で告白されたい、かな」

「日常の中?」

「うん。私が家事してるときとか、掃除してるときとか。そう言うときに、告白されたい」

「告白されてないのに家事してるってどういう状況なの?」


 俺は七城さんが理想とするシチュエーションが現実離れているのを聞いて、心臓の締め付けが解けた。


「…………む」


 だが、七城さんはそれを聞いた時にちょっとだけむっとする。


「理想だから何でも良いじゃん!」

「……そうだけど」

「だから、やろ」

「やろって……何を?」

「秋月君が告白するの、私に」

「えっ!?」

「ちゃんとやらないと練習にならないんだから」


 その時、俺は自分の選んだ選択肢が正解でありながら不正解だったんじゃないかと、思った。

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