第10話 そして2人は

「いっしゅうかん!?」


 俺は思わず聞き返してしまった。それも、自分が予想していたよりも、はるかに大きな声で。周囲にいた人たちが一瞬だけ俺たちに目を向けると、再び自分たちの世界に戻っていく。


「だめ、かな?」


 震える瞳で俺を見つめながら、そう問いかけてくる七城さんに俺はわずかに逡巡して……そして、問い返した。


「理由を、聞かせて欲しい」

「秋月君は私の家がどういう家か……知ってると思う」

「……そう、だね」


 少なくとも、親との関係が良好ではないことは確かだ。


「今日、私は少しだけ親と話をしてきたの。これまでの事、これからのことを」

「……それで」

「それでね、分かったんだ。私と人(・)は相いれない」

「だから、家出を?」

「ううん。家出したんじゃない。追い出されたの」

「……おいおい」


 そういって『やっちゃった』と笑う七城さんは、今までの七城さんとも学校との七城さんとも違う。それは、初めて見る素の七城さんに見えた。


「だから、お願い秋月君。私を家に泊めて欲しい」

「…………分かった」


 俺はそういって頷いた。頷くことしか、出来なかった。

 はっきり言って、彼女の家庭環境はおかしい。特に両親が、だ。


 普通ではない。いや、普通という言葉はおかしいか。

 何でも普通だ。普通はたくさんある。言葉を変えよう。彼女の親は、彼女をまともに育てる気が無いのではないだろうか?


 高校に行かせている時点で、育児放棄(ネグレクト)じゃないという人もいるかもしれない。だが、七城さんの家はそれなりに良い家だ。娘が消えたら、それこそ噂になるんじゃないのか。


 だから、世間体を守るために娘を高校に行かせた。

しかし、大学に行かせるつもりは無い。


それくらいは、考えられる。根拠はない。俺の妄想だ。

だけど、万人が万人。親に恵まれるわけじゃない。


「じゃあ、帰ろうか」

「うん!」


 俺は七城さんを連れて帰路についた。

 それしか、出来ないと思った。


「あ、秋月君。こっちですよ」

「え? いや、晩御飯が……」

「何言ってるの。明日は土曜日でしょ? 私が作るよ」


 コンビニに入ろうとしていた俺の袖を引っ張って、七城さんが俺を静止した。


「良いの?」

「でも明日は秋月君が作るんだよ? 罰ゲーム」

「うぐっ」


 そういえばそうだった。

 すっかり忘れていた俺は、悲鳴のようなうめき声をあげた。


「秋月君の家って調理器具ってそろってるよね?」

「あると思うよ。俺は使ってないから、何がどこにあるとか覚えてないけど」

「なら大丈夫。凝った料理を作るわけじゃないから」


 そう言って七城さんはスーパーに入った。この時間のスーパーにいるのは俺と同じようにバイト帰りの高校生か、大学生。そして、疲れ切った社会人くらいである。俺は七城さんの後ろをついて歩きながら、店内の人間の視線に晒された。


 基本的に店の中に入ると、七城さんに視線が向く。で、その後ろを金魚の糞のようにくっついて歩く俺に視線がスライド。で、また七城さんに視線が戻るという塩梅である。制服を着ているから、さらに目立つのがアレだ。


「秋月君、ナスは食べれる?」

「食べれるよ」


 もうしばらく食べてないけど。


「じゃあ今晩は揚げナスにしよっか。簡単に作れるから」

「お願いします」

「そんな丁寧にしなくても」


 七城さんは笑いながらカゴにナスを入れた。


「お味噌汁も作ろっか」

「え!? 味噌汁作れるの!?」

「え? うん。だって、そんなに難しくないから」

「そ、そうなの?」


 なんかこう……味噌汁って色々手を加えて作るイメージだったから。

 と、和食を一度も料理したことのない男がぽつりと呟く。


「秋月君って本当に料理しないの?」

「しないなぁ」

「楽しいよ。教えてあげようか?」

「良いの?」

「うん。良いよ」


 七城さんはそう言って、味噌をカゴの中にいれた。


 そうして、店内を歩いているときに、ふとカップラーメンのコーナーを通りかかった。


「そういえば秋月君ってカップラーメンはそこまで食べないんだよね」

「体に悪いからな」

「コンビニのお弁当もそんなに変わらないと思うけど」

「一応気を使って野菜ジュースとか飲んでるからね?」

「ほんとうに一応……」


 ちょっと七城さんに呆れられてしまった。

 結構ガチで体に気を使っていた俺の心はボロボロになった。


「も、もう行こう」

「そうだね」


 2人でカップラーメンコーナーから離れようとしたときに、ふと七城さんの瞳が反対側に並べられている駄菓子コーナーに吸い寄せられた。そして、わずかに立ち止まって……再び前を向く。


「食べたいの?」


 俺は駄菓子の前に立って、七城さんの方を見た。


「……ううん」


 そんな俺から背くようにそっぽを向く七城さんが可愛らしくて、笑ってしまった。


「良いよ。買っていこうよ」

「…………」


 俺は久しぶりにみる駄菓子たちを眺めながら、懐かしい気分に浸った。


 両親が生きていた時は、よく駄菓子をねだったものだ。あの時は子供ながらに家計に気を使って駄菓子だったのだが、よくよく考えるとお菓子の値段なんてそんなに変わらないのだから変に遠慮する必要なんて無かったのかも知れない。


「これが、欲しいです」


 そういって七城さんが指さしたのは、あの練って色が変わる駄菓子だった。


「買おうか」

「ほ、本当に良いの?」

「なんでダメなの……」

「で、でも」

「レジに行こうよ」


 あわあわしながらこっちを見てくる七城さん。

 マジでなんでだよ。


「私、お菓子買うの初めて」


 そして、衝撃の告白カミングアウト

 俺は言われた言葉の意味を理解するのにたっぷり10秒使った。


 10秒使って、


「マジで……?」


 と、言うことしかできなかった。

 そんなことあるのかよ。


「うん」

「え、遠足の時とかどうしてたの?」

「無かったよ」


 そんな。おやつは300円までという不動のルールという縛られたルールの中でおやつを選ぶという遠足の中で一番楽しい時間と言っても過言じゃないあの時間を経験したことないなんて……。


「そ、そっか。厳しかったんだね」

「秋月君、いままでで一番私に同情してない?」

「そうかも……」


 だって……遠足のおやつ……。


「も、もう良いから。買おうよ」

「そ、そっか」


 七城さんに押されるようにして、俺たちはレジで会計して家に向かった。


 心なしか、七城さんの顔はいつもよりも明るかった。

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