第11話 約束
「そんなに家が嫌いなら出ていけ」
父は私を睨みつける様に、そう言った。ほんの数日前なら、その言葉に耐え切れなかったと思う。自分を否定されるのが嫌で、自分を慰めるために親の機嫌を取っていた。だけど、今は違う。
「分かりました」
私は、父親の目を見てそう言った。
「しばらく出ます」
「……そうか」
父の目には、これでイラつかなくて済むという安心だけが浮かんでいる。私は家から逃げる様に荷物をまとめると、外に飛び出した。時間は夜の9時前を指している。今から駅前に行けば秋月君に会えると思った。
だから、駅前に向かった。
スマホを持っていない私には、秋月君のバイト先を見つけることが難しかった。とにかく駅前まで行って、適当なOLに道を尋ねてお店を教えてもらった。秋月君のバイトが終わるのは夜の10時だと聞いていたので、それまでお店の前で待っていればいいと思って立っていたが、周囲から好奇の視線に晒されるのが耐え切れなくなって店の影に隠れられる場所に移動した。
そして、秋月君に会えるまで今日あった出来事をどのように伝えようかと考えた。
家を出たこと、しばらく泊めて欲しいこと。
どうやって頼もうかと考えている時に、ふと自分のしたことを冷静に見つめ直す時間が訪れた。
「……ばか、だったかな」
呟きが換気扇の音に消されていく。
「はぁ……」
秋月君の優しさに付け込んでいるみたいで、ひどく自分が嫌な人間に思えてきてしまった。思わずその場にしゃがみこんでしまう。
「……嫌になる」
相手の気持ちを知ってしまう自分の目ざとさが嫌になるのは何度目だろうか。もし、秋月君に泊めて欲しいと行って、彼の感情に『嫌悪』が混じってしまったら自分はどうしたら良いのだろうか。
「思って欲しくないな……」
アスファルトを眺めながら、ぽつりと呟く。
嫌だと思って欲しくない。
受け入れてほしい。嫌われたくない。
「…………」
頭の中の思考がぐちゃぐちゃになって整理が付かないから、私はただ地面にそっと視線を向けた。
どれくらいの間、そうしていただろうか?
店の裏口から誰かが出てきた。
「先輩、今日顔色悪いですけど、どうかしたんですか?」
「顔色悪い? そうかな」
片方はとても聞きなれた声だった。思わず顔をあげて声の主を追った。彼らは自分がいる方向とは別方向に向かっているみたいで、その後ろ姿しか見えなかった。
でも、
「……あ」
秋月君、と声をかけようとして……それを、止めた。彼の隣に女の子がいたからだ。仲が良いのか、2人の距離は近い。それを見て、足が止まってしまった。
そうだ。秋月君には、恋人がいるかも知れないのに。
「そうだ、琴葉」
秋月君が、彼女の名前を読んだときに私の心臓が締め付けられた。
「どうしたんです?」
彼女を見てしまって、私は動けなかった。自分とは対照的に明るそうな女の子。栗色の髪の毛に、きらきらと光を反射する小麦色の瞳。ショートボブがとても似合っているクラスの中心にいそうな女の子だった。
彼女はチラチラと秋月君の方を何度も見て、秋月君も彼女の方を何度も見ていた。……顔が見えなくて、良かったと思った。もし、彼女の顔が見えてしまえば私の頭には彼女の感情が流れ込んできただろうから。そして、もしそこに『友情』とは別の何かが入っていたら。
それに気が付いた瞬間、私の足は急に動かなくなった。動かなくなってしまって、引き返した。これ以上、見ていたくなかったから。
秋月君の顔が見えなかったのが、不幸中の幸いだったかもしれない。もし、秋月君が彼女に『そういう思い』を抱いていたら、私はもうどうしていいか分からなかったから。そうして、1人で引き返していると後ろから聞きなれた足音が耳に入ったので振り返った。
「あれ? 七城さん?」
「こんばんは。秋月君」
やっぱり彼の中には純粋な『疑問』しか沸いていなかった。
そして、その感情は次第に『心配』へとシフトしていくのを見た時に、私は心の底から安心した。
「あ、そうだ。七城さん」
どうしたの? と、聞くよりも先に秋月君が口を開いた。
「俺って明るいかな、暗いかな」
「急に難しいこと聞くね」
「あ、答えづらかったら良いよ」
「秋月君は……明るくも無いですけど暗くもない、かな」
「そ、そっか……」
ちょっとショックを受けている秋月君。
多分、私の言いたいことが伝わってないんだと思って少しだけ修正した。
秋月君は私の言ったことに納得するような様子を見せて、深くうなずいていた。だから、逆に私は聞いてみることにした。
「秋月君は、私のことどう思う?」
「……ん」
彼は少しだけ
「分かんない」
と、言った。
真剣に考えて出た答えがそれなのかと思って、ちょっといじけた私はそれを誤魔化すように笑うと、
「七城さんは自分を押し殺してるように見えるから」
秋月君は、私の目を見てそう言った。
「もっと自分を出しても良いんじゃないかな」
そんなこと、初めて言われた。特に両親からは、真反対のことを言われてきた。『お前は駄目だから、ありのままであろうとするな』と、ずっと言われてきた。学校にいるときも、『みんなが求める七城陽菜』を演じていれば上手く回った。
だから、そんなことを言われたのは初めてだったから、私は思わず言ってしまった。
「私を秋月君の家に一週間泊めて欲しいんだ」
秋月君は最初、私の提案に心の底から驚いていたようだったけど、やっぱり心の底からの『心配』でOKを出してくれた。私はそれに『嫌悪』が混じっていないことに、涙が出るほど安心してしまった。
泊まらせてもらっているのだからと、夕食を作って秋月君に振る舞った。料理は花嫁修業と言われて無理やり鍛えられたものだったけど、秋月君が嬉しそうに食べてくれるのを見ていると頑張って良かったと、初めて思えた。
「今日は秋月君が先にお風呂入る? 疲れてるだろうし」
「いや、良いよ。七城さんが先に行きなよ」
「でも2日連続で私が入ってるから。今日は秋月君だよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
そう言って秋月君が立ち上がった時、ポケットから財布が落ちた。そして、財布の中から一枚のチケットが地面に舞い降りた。
「秋月君、なにか落として……」
チケットを見た時に、思わず静止してしまった。それは今はやりの恋愛映画のチケット。私はスマホを持ってないけど、同じクラスの女の子が彼氏と見に行ったという話は何度も聞かされていた話題の映画だった。
それの、ペアチケット。
秋月君が誰かを誘って一緒に行くためのチケットだ。もしかして、あの琴葉ちゃん? 秋月君がバイト帰りに駅まで送っていった女の子のことを思い出しながら、私が言葉に詰まっていると。
「あー、それ。岳から貰ったんだ。って、岳が分かんないか。いっつも朝、家に来る奴がいるだろ?」
「う、うん」
後ろ姿と、声しか聞いたことはないけど秋月君が誰の事を言っているのかはおぼろげに分かった。
「そいつが彼女と同じ映画を見に行こうと思ってたらチケットが被ったんだって。だから、要らないからって俺が貰ったの。あとで捨てとくから机の上にでも置いといて」
「捨てる、んですか?」
あの女の子と一緒に行くんじゃなくて?
「え? うん。そうだよ。だって、誘うような女の子の友達いないから……」
それは『真実』だった。
だから、
「一緒に行かない?」
私は、秋月君を誘った。
先を越されたくない、と思ってしまった。
きっと、私の顔は赤くなっている。
「はい?」
「この映画、一緒に見に行かない?」
秋月君のぐちゃぐちゃになった思考が入り込んできて、
「良いよ」
と、秋月君は言った。
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