第8話 チケット

 スマホのアラームが耳元で騒がしい。毎朝毎朝、飽きもせずに元気なやつである。


こんなに元気なら俺の代わりに学校に行って欲しい……。と、寝ぼけた頭でアラームを止めて、身体を起こした。


 階下から良い匂いが部屋の中までただよってきている。七城さんが朝食を作ってくれているみたいだ。一宿一飯の恩というやつだろう。別にそんなこと気にしなくてもいいのに。


「おはよう」

「おはよう」


 七城さんはフライパンを握って、こちらを振り向いてにっこり笑った。その笑顔にしばらく見とれていると、彼女はフライパンを持ち上げて皿によそい始めた。


「何か手伝えることある?」

「ううん。もう大丈夫」


 敬語じゃない七城さんにドキっとしながら、俺は「分かった」と返して顔を洗いに洗面台に向かった。昨日からドキドキしすぎだろ俺の心臓。こんなに弱かったか? 冷たい水で顔を洗いながら、俺は1人で自分の心臓にツッコミを入れる。


 ギャップ萌えという言葉があるが、いざ敬語の女の子がため口になるだけで、こんなにも心は惹かれるのだとは知らなかった。


「俺って……チョロい?」


 水で濡れた自分の顔に、鏡を見ながら問いかける。

 それに答えは返ってこなかった。


「そういえば秋月君ってどこでバイトしてるの?」

「駅前の飲食店だよ。名前はね……」


 急にどうしたんだろうと思いながら、俺が店名を言うと七城さんは「ありがとう」と、言ってフォークを差し出してきた。


「どしたの? バイトでもするの?」

「ううん。バイトは、両親が許してくれないから」

「そっか。バイトするのに親の許可いるもんね」

「うん。だから、無理かな」


 祖父母とはほとんど連絡を取っていない俺は許可をもらうとき、担任の教師に家庭環境を包み隠さず全て説明した。すると、すぐに「任せてくれ」と返ってきて、次の日には許可が下りていたのでいまの担任には頭が上がらない。


「今日はいつバイトが終わるの?」

「いつも通りだよ。22時くらいかな」

「そっか」


 俺の返答に七城さんは何でもないように頷いた。


「食べよっか。あんまり遅いと秋月君の友達来るかもだし」

「あ、ああ。そうだね」


 俺は何だったんだと思いながら、七城さんが作ってくれた朝食に手を伸ばした。


 朝食を食べ終えて、七城さんは先に学校へと向かった。


 俺がせめてもと思いつつ、食器を洗っていると家のチャイムが鳴った。岳が来たのだろう。洗剤の泡だらけになった食器を洗い終えて、外にでるとやっぱり岳だったので2人して学校に向かう。


「なあ、岳はさ」

「どした」

「なんで、今の彼女と付き合おうと思ったんだ?」

「そりゃ。好きだって思ったからな。告白したんだよ」

「好き、ねぇ」

「お? どしたどした? 蓮ちゃんにもついに春が来たか」

「そんなもんはない」

「それにしては随分と深い問いかけだったじゃん。告白でもするのかと思ってさ」

「だから、そういうのじゃねえって。ただの興味本位だよ」

「気持ちは分かるぜ……。俺だって彼女ができるまで、彼女ってどういう存在なのか興味津々だったしな!」


 ぐ、とこっちにサムズアップしてくる岳。

 柔道部のいかつい身体を組み合わさってそれが鬱陶うっとうしいのなんの。


「暑苦しいな。だから、そういうのじゃねえって」

「まぁ、なんだ」


 岳はその手を下ろして。


「連は深く考えすぎだな」

「深く考えすぎ?」

「そ。誰かと付き合って、誰かと別れるなんてことを深く考えすぎなんだよ。だから、尻込みするんじゃねえの」

「そうは言うけどな……」

「俺たちは高校生だぜ? ぱっと付き合って……そりゃ、長く続けば良いけど普通はそうじゃないだろ。どうせ別れるし」

「別れる前提で阿久津あくつさんと付き合ってるのか?」


 岳の彼女のフルネームは阿久津あくつあおいだ。


「そんなわけねーだろ。あくまでも一般的な話だよ」


 岳はちょっとだけ不機嫌そうにそう言った。


「悪かったよ」

「気にすんな」


 岳はへらへらと手を振って、気にしていないというジェスチャーを取った。岳は良い奴だから彼女とも長続きしそうだ。


「蓮、お前はもう少し格好に気を使えよ。そうすりゃモテるだろ」

「俺が? 馬鹿いえよ」


 岳の言葉に俺は少し笑ってしまった。

 

「そうか? 顔のパーツは整ってるし、背もまぁまぁ高いし。あとは格好と覇気だな」

「覇気って」

「いやいや。大切だぜ? 暗い奴より、明るい奴の方が一緒にいて楽しいだろ」

「そんなに俺は暗い?」

「暗くはねーけど、明るくもないな」

「…………」


 これは納得の沈黙というやつである。

 確かに俺は明るくも無いし、暗くもない。


「というわけで蓮。お前のために俺が面白いものを持ってきやったぞ」

「あ?」


 なんか流れが変わったぞ……と、思いながら返事をすると岳は自分のカバンの中をごそごそと探し始めた。


「お、あった。これだ!」


 そういって岳が取り出したのは、


「何だこれ。映画のチケット?」

「そう。ペアチケット。ペアって分かるか?」

「馬鹿にしてんのか?」

「はははっ」


 それは流行りの恋愛映画のチケットだった。

 映画か。もう何年見てないだろう。


 俺は岳から手渡されたチケットを眺めながらそう考えた。


「で、なんでこれを俺に?」

「葵と一緒に見に行こうと思っててさ」

「うん」

「そしたら葵もそう思ってたらしくて、2人して同じチケット買ってたんだよ。運命感じないか?」


 俺はペアチケットを見ながら、ぽつりと聞き返した。


「2回行けば良いんじゃね?」

「蓮……。そういうところだぞ……」


 そしたら岳に呆れられた。


「蓮の誕生日が近いと思っててな。誕生日プレゼントだ」

「俺の誕生日は3か月以上先だが」

「ああ。誕生日プレゼントだ」

「岳、要らないものを人に押し付けるのはどうかと思うぞ」

「これを口実に女の子を誘えば良いじゃん」

「さらっと言うな、おい」


 俺は岳からもらった映画のチケットを財布にしまいながら、岳のアイデアに恐れおののいていた。


「そもそも誘うような相手がいねーよ」

「仲の良い女の子とかいねーの?」


 真っ先に上がった顔が七城さんだった。だが俺はそれを頭の中で消してから、岳に答えた。七城さんとはそういうのじゃないというのに。


「バイトの後輩くらい……?」

「じゃ、その後輩でも誘っていけよ」

「そうだな」


 俺は適当に返事をして、財布をポケットの中にしまい込んだ。

 岳には悪いけど、このペアチケットを使うことはないだろう。多分、財布の中にしまい込んだまま、何だかんだ理由をつけて行かずに、期限切れの状態で見つかって捨てるだろう。


 と、俺はこの時まで本気でそう思っていた。

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