これから俺は

ままならぬ悲しい結果で終えたひとつの恋。

その後も、尖っていたあの頃が嘘のような受け身姿勢は健在で、長年お世話になった元バイト先に客として顔を出せども、稀に差し出されるその手を掴む勇気はなかなか出なかった。

しかし同時に、我ながらまともな恋をひとつ経験したことで僅かながらも前向きに捉えるようにもなった。

そうは言っても、大学院生はなかなかに忙しい。

時には師事する先生の助手を勤めながら自身の独自研究を粛々と進め、更には基本的な生活を維持しなければならない。時が流れれば先の見通しをつける算段を行う必要も出て、悩み事は尽きることはない。

そして、この時迎えた二度目の春にも鈍色の空のように暗雲が立ち込めていた。


「セックスはしない」

想いを告げられた時から二つ年下の彼には我慢を強いていた。それでも構わないと微笑む彼と始めた関係は意外にも一年が過ぎようとしていたが、繋がる悦びを知るうら若い身に生じる綻びは必然で、沸き上がる罪悪感に慌ただしい生活も相まって次第に苦しさが増していった。

自己都合で振り回してるのは分かっている。

ただ、それは彼も同じだと気付いたからここまで続いたのかも知れない。彼にはストレートの幼馴染みへの無自覚な恋慕が在ったのだ。

同類の内で一位ならば二番目で充分だった。幼馴染みが彼女と別れて久しくなるまでは。

納得し難くなる程に膨れてくる彼の想いを知りつつ、俺は俺で孤独を避けるように縋り続けたがさすがに限界が近付いてきて、この辺が潮時だと決意を固めた。


「アイツの風邪がまだ治らないっていうのにお前は研究に没頭かよ」

大学の近隣にある二人の勤務先のカフェで、幼馴染みの男が俺に詰め寄る。

「将来を見据えたら今やらざるを得ないんだよ。彼だって理解してるし、子供じゃないんだから一人で寝ていられるでしょう?」

煽って彼へと気を向かせる魂胆。

「電話する度にツラそうな声で喋ってんだぞ!」

「そんなに心配ならお前が面倒を見てくれていいんだよ?幼馴染みなら彼も安心だろうし」

「俺じゃダメなの分かってて、良くそんな事言えるな……」

「弱ってる時は誰にでも縋りたいものだから大丈夫じゃない?例えお前でも、さ。悪い、時間が惜しいから研究室に戻るよ。もし連れていくなら鍵を渡しておくけど、どうする?」

煽れ、煽れ、もっと煽れ。

「……ッ!アイツに開けさせるから必要ない」

数日後、疲弊しきった身体を引き摺って帰宅した部屋は、いつかの様に暗闇が広がっていた。


メールが届く。

ひとつは彼。

もうひとつはタケル。

返信の文面を作る。

〈体調戻って良かった。でも…………〉

〈少し待ってくれ。でも…………〉

即レスなんて珍しいと驚くだろうな。


ドアベルが鳴る。

「やっと寝付いたのにうるさいよ。鍵、有るよね?」

謝る彼を出迎える。

「まとめ作業が残ってて構えないからまだ帰らなくていいって送った筈だけど、読んでないの?」

荷物を運んできた幼馴染みが彼の代わりに苛立つ。

「つーか、ウザ。何の資格があってお前は喧しく絡んでくるの?」

胸ぐらを掴まれてちょっと苦しい。

「俺らの事に口出しされる覚えはないんだよ」

痛ぅ、一発食らった。

「お前は彼の事となるといつもそう、たかが風邪くらいで大袈裟な」

おろおろする彼。

「手に入れたいもののために努力して何がいけないんだよ。お前らと違って俺の未来に二番目は必要ないんだよ! 」

ははは、この言い方で大丈夫かな。

「そうそう、この研究がきっかけで日本に行くことになったから。期間は年単位。もう帰らないかもね。キミと居るとうるさいコブが付いてくるし、最近ちょっと絡みが重くなってきたから今後を考えるいい機会だと思うんだけど」

涙目の彼に伝わるといいな。

「もう、充分でしょう。互いに一歩進もうよ」

幼馴染みが彼を連れて帰っていく。

『ごめん』という口の動きに激励の笑みで返す。

きっと彼の思い描く未来が訪れるはず。

実は、幼馴染みの無自覚な恋慕も俺は知っているから。


〈カタがついた。そちらの予定に合わせて行く。ミツルさんの助手っていうのもお前と一緒なのが腹立つが仕方がない、我慢してやるよ〉


置いてきぼりに嘆くだけでは意味がない。

先には進みたいなら動けばいい。

どんな些細な動きでも何かは変わる。

そして俺はそれに向かって歩きだす。


◆ ◆ ◆


「ケイ!」

「あれ、わざわざ来てくれたの、仕事は?」

「会わずに行かせるわけないじゃない!酷いよ、連絡待ってたのに突然昨日してきて!」

「ごめん、片付けやら手続きやらでそれどころじゃなくて。っていうか、お前も来たのかよ、コブ野郎が」

「お目付け役が居ないといつまでも帰ってこないだろ、人手が足りなくて困るんだよ」

「だったらお前は来んなよ。元カレとの別れを惜しみたいのに、本当に邪魔、空気読め」

「何だと!」

「はいはい、そこまで。ケイ、ちょっと話していい?」

「勿論、いいよ。お前はそこの椅子にでも座って待ってろ、ハウス!」

「お前なぁ!ちっ、早くしろよ」


「あのね……いつから気付いてたの?」

「割と早いうちから、かな。やけに同棲したがるし、良く良く見てたら、あーねって」

「ごめん……」

「……俺も我慢させていたから。でも、逆に良かったかな、ねぇ?」

「……う、うん、そう、なのかな……」

「まさか、まだ言ってないの?何してんのさ。キミと俺が付き合い始めたら焦るように別れて俺を敵視する時点で歴然でしょ?先に言わないと永遠に平行線だよ?アイツは、キミの事となると途端にヘッポコになるんだから」

「いや、そんな事ないでしょ!?女子には猛烈アタックしてたし!」

「あのね、どうでもいいコにはどうにでもなるんだよ。そうじゃない存在だから慎重になりすぎて踏み出せないんじゃないの、キミと同じでさ。どうするの、このまま待ってたらあっという間におじいちゃんだよ?」

「うぅ……」

「焦れったいなぁ。おいで、こっそりいい作戦教えるよ、耳貸して」

「おい、公共の場で何を密着してんだよ。もう、お前のものじゃないんだぞ!」

「凄んだりして、おー怖っ!偉そうにのたまうけどお前のものでもないだろ?」

「ち、違う、僕は、お前のものだ!」

「……へ?」「おー!」

「彼女が出来る度にずっと思ってた。早く別れろ、僕を見てって。一番近くに居て全てを知ってるのは僕だ、ポッと出のお前達が近付くなって」

「お前、それって……え?」

「ここまできても馬鹿には分からないから、最後まで言ったら?」

「なっ、バカじゃねーし!……え、本当に?」

「……本当です」

「はー、やっとだよ疲れちゃう。俺、もう行くから後は二人でお好きにどうぞ」

「待ってケイ、連絡頂戴ね」

「あげないよ、もう必要ないでしょ?おい、泣かせたらお前のそれ、ちょん切りに帰国するからな!」

「お、お前じゃねーんだからするかよ!それに、泣くとしたら嬉し泣きだけだ、バーカ!」

「はっ!言質取ったからな、覚悟しとけよ」

「うるせー!」

「末永くお幸せに、ね」

「ありがとう、身体に気を付けてね、ケイ」

「毎日ラブショット送ってやるから待っとけ」

「調子づきやがって、本当にお前、邪魔」

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