それから俺は

ビ……ー。

遠くでドアベルの音がする。

瞼を開けるよりも睡魔の誘惑に乗り続ける。

ビーーー。

ひと呼吸置いてまたもや鳴る。

「はい……まだ寝てます……改めてどうぞ……」

のそりと布団を被り直し居留守を決め込む。

ビーーー、コンコンコン。

目覚まし時計は午前8時。陽は昇っていくが俺にとって休日に起きる時間ではない。

だが、

ゴンゴンゴン!

玄関ドアを叩く音が次第に強まっていく。

「うるさいなぁ、朝っぱらから誰だよ……」

覚醒しきれぬままレンズ越しに外を見れば、図体のデカい輩が人懐っこい笑みをたたえてこちらを覗いていた。

「……“近々”が“今日”とは聞いてないんだけど」

精いっぱい抗議するが、欠伸を噛み殺しながらではイマイチ迫力に欠けるようだ。

昨日遅くに着いたからこれでも遠慮した方だ、と抜かしながらお構いなしに部屋へ入り、一晩中点けっぱなしの灯りを手慣れた様子で消していく。

俺の習慣を熟知している懐かしい作業。

コイツは、いつもこうやってさりげなく俺の心の枷を外していく。

「あれから直ぐに行動したとは驚きだな」

「ご丁寧にソファの下まで窺うな。……あれを見たらさすがに無視できないだろ」

一拍の沈黙の後に互いにププッと吹き出す。

「「元気そうだな!」」

二年振りの再会に、昨日までの沈んだ気持ちが吹き飛んだ。


在り合わせの物で朝飯にする。

日本では来訪時に手土産持参が基本の筈だがコイツには当てはまらないのか、代わりに謎の民芸品を棚に並べて『常に綺麗に保て』と訳の分からないミッションを課す。

どうやら、留学を終えてから手伝っている大学教員の伯父殿と研究がてら各地を回った際に入手したものらしい。

「相変わらずズレてんなぁ」

「一筋縄ではいかないのが俺の魅力だろ?」

おい、そのドヤ顔は何なんだ……。


トースターがカタンと上がり、湯を注いだマグカップからほろ苦さと爽やかさが交互に香り立つ。

「「いただきます」」

ふーふー、ごくん。

さく、もぐもぐ、もぐもぐ、さく。

タケルが沈黙を破る。

「何か有ったのか?」

「急に何だよ」

「昨晩の電話口で元気無さげだったから」

「別に、何も……」

「ふーん」

納得しながらフッと微笑み、次の一口を頬張る。

何で分かるんだろうなぁ、本当に腹立つ。

「週末に別れたばかりだから凹んでただけだよ」

「……そうか。どれくらい付き合ってたんだ?」

「半年弱かな。俺にしては頑張った方だろ」

何も言わず黙々と朝飯を口に運んでは時折柔和な瞳でみつめてくる。それが先を促すように思えて、溜めた思いが次から次へと溢れ出る。

「年上のスゴい優しいひとで、我が儘も全部聞いてくれて。ちゃんと付き合うのは初めてだけど安心感しかなかった。でも、いざとなったらダメで、さ」

―――溢れすぎて溺れそう。

「面と向かい合ってれば問題ないんだよ、キスだって前戯だって大丈夫だし。でも、いざ後ろから挿入いれるってなると何でかチラついちゃってさ」

―――息が苦しい、助けて。

「立場が逆なのにオカシイんだよ。何故かヤる側目線の犯してる感が半端なくて、スゲー気持ち悪くて―――」

ぶくぶくと暗い水底に引き摺り込まれるその時。

「ケイ!」

俺を呼ぶその声が寸でのところで引き戻し、テーブルに突っ伏す勢いで丸めた背中がシャンと伸びる。その先には昔と変わらないタケルの笑顔。

「それでも、前進したんだろ?なら、良かったじゃないか」

ガチで心配して喜んでる様子に照れ臭くなり、

「そんな、気休めにもならない事言われてもな」

トーストの残りを一気に頬張りながら思わず悪態をついてしまう。

「ははは!ならばもうひとつ。運命の出逢いは何処かにある筈だから、気長に頑張れよ」

月並みな台詞もコイツが言うなら間違いないのでは、と思わせる程に頼りきりなのが情けない限りだが、元カレとはまた違う安心感に満たされる。

「ちっ、他人事だからって適当に言いやがって。お前はどうなんだよ、さすがに童貞は卒業したんだろ?」

「お陰様でな。でも、俺も同じで先月振られた。ケイ、慰めてくれ!」

「うわぁ、近寄るな、暑苦しい!」

「ケイちゃーーーん!」

「キショい呼び方するな、馬鹿!」


この後、タケルは伯父のミツルさんと五日間を所用で費やし、俺は最終日に二人を見送るため空港へと向かった。

「連絡待ってるぞ、ケイ」

「はいはい、すみません、即レスします」

「プッ、ケイは面倒見がいい割に面倒臭がりなんだな?」

「タケルが細かすぎるだけですよ、ミツルさん」

わはは!と甥に劣らぬ人懐っこい顔で頬を緩ませるところが特に遺伝を感じる。

「じゃあ、またな」

「ふたりとも、気を付けて」

手を振り搭乗口へと向かう背中を見つめる。

アイツを見送るのはこれで何度目になるのだろう。

そして今回も胸に小さな穴がぽっかりと開く。

「俺はいつも置いてきぼりだな」

―――と。

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