第19話 なんで?

 冬に近いこの時期。十六時半にもなると、外はすっかり暗くなっている。


 家に帰るとすぐ、日菜は制服から私服へと着替えた。

 放課後に真央と千尋と寄り道をするのは楽しい。でも、日菜一人だけが違う制服を着ているから目立ってしまう。

 ブレザーじゃなくセーターを上に来てみても、やっぱりスカートの色やひだでわかってしまう。

 だから、私服で遊ぶのは楽しみなのと同時に、ちょっとだけほっとするのだ。

 

 お出かけ用の小さなカバンをななめに掛けて、最後にスマホをしまおうとして。机の上のスマホがチカチカと光っていることに気が付いた。

 誰かからメッセージが届いたらしい。


『これから秋祭りだよね』


『黒猫さんはやっぱり行かないって?』


 見ると、奈々と彩乃からのメッセージだった。“黒猫さん”は悠斗のことだ。

 日菜は、きゅっと唇を噛みしめた。


「二人とも、意地悪」


 そんなつもりじゃないことくらいわかってる。奈々も彩乃も、ただ日菜を心配しているだけだ。わかってるけど――。


『行かないよ』


 と、短く素っ気ない返事を送った。


 ――八つ当たりだ……。


 送ったあとで後悔して。日菜はため息をつくと、そっとスマホをカバンにしまった。

 おじいちゃんは今日も喫茶・黒猫のしっぽを開けている。今、自宅には日菜しかいない。窓と玄関のカギをきちんとしめて、外階段を下りていくと、


「日菜、もう行くとこ!?」


 悠斗が通りの向こうから駆けてきた。

 制服姿に学校カバンを持ってる。本を読んでいてホームルームが終わったことに気が付かなかったのだろう。

 呆れる気持ちと同時に、いっしょに秋祭りに行く気になったんじゃないかという期待が浮かんで、


「どうしたの、悠斗くん!」


 思わず日菜の声は弾んだ。

 悠斗も日菜の期待に気付いたのかもしれない。ハッと目を見開いて足を止めると、


「ごめん。秋祭りにはやっぱり行けない」


 眉を下げた困り顔になった。日菜はあわてて首を横にふった。


「わかってるよ、秋祭りのことは! そうじゃなくて、……どうしたのって聞いただけで……」


 笑ったつもりだったけど、うまく笑えていなかったようだ。日菜の顔をじっと見つめていた悠斗が、不意に泣きそうな顔になった。


「俺が秋祭りに行かない理由。気になるんなら、なんで聞かなかったんだよ」


 悠斗の声は怒っているようにも、すねているようにも聞こえた。え? と思った日菜だったけど、すぐに唇を引き結んだ。


 初めて会ったとき――。

 真央や千尋や、クラスメイトたちに遠慮して。仲良くなっても一年後にお別れするのが怖くて。友達になりたいと思いながら言えずに黙り込んで。下を向いていた日菜のことを悠斗は迷惑だと言った。

 言葉を飲み込んで、黙り込むなんてことが大嫌いなんだと、初対面の日菜にもすぐにわかった。


 でも、今の日菜は同じことを、それも当の悠斗に対してしている。

 

 ――嫌われ……た……?


 そう思った瞬間、胸がずきりと痛んで。日菜の視界がじわりと滲んだ。日菜の表情を見た悠斗は、ハッと目を見開くと再び泣きそうな顔になった。


「違う! 別に日菜のことを責めてるとかじゃ……!」


 首を横に振って、小走りに日菜に近づいてきた悠斗は、乱暴に言葉を切った。もどかしげに唇を噛んで、悔し気に拳を握りしめて、泣きそうな顔で下を向いて――。


「正直に、素直に言ってるつもりなのに。全然、足りなかったり、うまく伝えられなかったりするんだもんな。ホント……嫌になる」


 顔をあげた悠斗は自嘲気味に笑った。泣きそうな表情のまま、日菜の顔をのぞき込んで。頭をくしゃくしゃとなでて。ほほを大きな手で包んだ。


「……っ」


 身長はほとんど変わらないのに、日菜よりもずっと大きな手をしていた。体温も日菜より高くて。本ばかり読んでるのに、手のひらはゴツゴツしていた。

 自分との違いに。思い浮かべていた感触との違いに。その全部にドキドキして。


 ――絶対、今……顔、赤くなってる……。


 そう思うのに。手で隠すなり、うつむくなりしたいのに。

 真っ直ぐに日菜を見つめる悠斗の目に動くことも、目をそらすこともできなくなっていた。


「日菜がそんな風に誤解してるなんて思わなかったんだ。それに気付かなかった俺自身に腹が立っただけで……日菜のことを怒ってるわけじゃないんだ」


 すぐそばで話しているせいか。悠斗はいつもよりも小さな、ささやくような声で言った。それも気恥ずかしくて。日菜のほほは余計に熱くなった。

 でも――。


「秋祭りに行かないのは親父とのことがあるからなんだ」


 悠斗の口から出た言葉に驚いて、ドキドキがどこかに行ってしまった。


 悠斗がお母さんとの二人暮らしだというのは聞いていた。お母さんは仕事で帰ってくるのが遅いから、夕飯はいつも喫茶・黒猫のしっぽで食べているのだとも。

 だから、お母さんの仕事が休みの日は、喫茶・黒猫のしっぽには食べに来ない。


 でも、お父さんの話は一度もしたことがなかった。

 話すのを避けていたとか、聞かれるのを嫌がっていたとかではなくて。本当に少しも、全く、そういう話にならなかったのだ。


 ――私の方が……避けてたからかな。


 日菜はカバンの外から、中に入っているスマホにそっと手をあてた。


 おじいちゃんの家に引っ越してきてから一度も、家族三人で作ったグループを開いていない。

 お母さんとお父さんからメッセージが届いても、読まずに削除していた。

 お母さんの話も、お父さんの話も、日菜の方こそしたくなかったのだ。


 と、――。


「時間……」


 悠斗がぽつりとつぶやいた。かと思うと、悠斗の手が日菜のほほから、さっと離れた。

 急にほほが冷たくなって、日菜は思わず自分の手でほほを押さえた。悠斗の手と違って全然、温かくなかったけど。


「そろそろ行かないといけない時間だよな」


 そう言って、悠斗が一歩、後ずさった。


 日菜がカバン越しにスマホをさわるのを見て、時間を気にしているのだと思ったのかもしれない。もしかしたら、真央たちからメッセージが届いたと思ったのかもしれない。

 どちらも違うけど、そろそろ行かないと真央たちとの約束の時間に間に合わなくなってしまうのは確かだ。


「……でも」


 日菜は小さな声で言った。まだ悠斗の話が終わってない。どうして秋祭りに行かないのか、理由を聞けてない。

 秋祭りに行かない理由が嫌われたからとか、そんな理由じゃないことはわかった。

 よく、わかった。


 悠斗がなでた髪をそっとなでて、日菜はきゅっと唇をかんだ。

 思い出すと、また胸がドキドキしてくる。


 でも、だからこそ。もっと悠斗のことを知りたいと思った。

 まだ踏み込んでもいいのなら。悠斗が話してくれる気持ちも、話そうとしてくれる出来事も。全部を知りたいし、聞きたいと。

 そう強く思った


 遅れるかもしれない。

 もしかしたら、行けないかもしれない。


 真央たちにメッセージを送ろうか。そう迷っていた日菜は、


「たこ焼き、買ってきて」


「……へ?」 


 唐突な悠斗の言葉に、目を丸くした。

 日菜がきょとんとしているあいだに、悠斗は財布から五百円玉を取り出した。日菜の手を取って、


「たこ焼きだよ、たこ焼き。マヨネーズ抜きな。で、帰ってきたら連絡して」


 五百円玉を握らせると、ぎゅっと手を包み込んだ。予想外に強い力にびっくりしていると、


「話の続きは帰ってきてからするから。たこ焼き食べながら。かぎしっぽがいる方の神社で」


 肩をつかまれ、くるりと身体の向きを変えられた。真央と千尋と待ち合わせている神社がある方向だ。


「だから、とりあえず日菜は秋祭り、楽しんで来い」


 悠斗に後ろから、頭をくしゃくしゃとなでられて。ポン! と、背中を押されて。よろめきながら一歩、二歩と進んだあと。日菜が振り返ると、


「またあとでな。いってらっしゃい!」


 悠斗は笑顔で、大きく手を振っていた。日菜は少し迷ったあと、


「……いってきます」


 そう答えて駆け出した。

 駆け足で行かないと待ち合わせも時間に間に合わない。

 それに今は少しだけ。運動が嫌いな日菜だけど、少しだけ。走りたい気分だった。


 ――なんで……。


 喫茶・黒猫のしっぽで悠斗の髪をなでたとき。日菜は自分がしたことに気が付いた瞬間、恥ずかしくて穴に埋まりたい気持ちになった。

 だというのに、悠斗ときたら――。


 ――なんで、そんなに簡単そうに。しかも何回もなでるの……!


 くしゃくしゃとされた髪を手でなでつけて。

 悠斗のあっけらかんとした笑顔を思い浮かべて。

 思ったよりも大きな手の感触を思い出して。


「~~~っ!」


 日菜は声にならない声をあげながら、神社へと走った。

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