夏。

第8話 日菜と真央と千尋。

 梅雨も明け、七月に入ると一気に蒸し暑くなってきた。

 真っ青な空にはさわり心地の良さそうな、もこもこの白い雲が浮かんでいる。それを見ていると、そわそわしてくる。

 夏休みまで、あと二週間を切っていた。


 今日の体育。男子は野球なのだろうか。クラス委員長の和真が男子たちにグローブを配っている。

 緑色のフェンス越しに、ぼさっとグラウンドを眺めていた日菜は、


「日菜、危ない!」


「……っ」


 真央の声に、反射的に頭を手で押さえてしゃがみ込んだ。

 黄色いテニスボールは日菜の五十センチほど横をポン……と、バウンドして転がっていった。日菜の運動神経の鈍さをわかっていて、真央も加減してくれている。当たっても、たぶんケガはしないだろう。

 ただし、


「ただでさえ、どんくさいのに。コートに立ってるときに、よそ見するなんてどういうつもり?」


 お小言の方は加減してくれないようだ。

 ネットを挟んでコートの反対側に立っている真央は、テニスラケットを手に、仁王立ちで日菜をにらみつけた。


「ご、ごめんなさい……」


 真央に怒られて、日菜は肩をすくめた。


「おとなりが気になるんだよね~。じゃあ、交代」


 千尋は意地の悪い笑みを浮かべて、コートに入った。日菜は肩を落としたまま、千尋と交代でコートを出た。


 今日の体育。女子はテニスだ。二人一組でラリーの練習をしたあと、試合すると先生が言っていた。

 体育は二クラス合同で行われる。

 日菜たちのクラスの女子は十七人、もう一つのクラスの女子は十六人。二人一組を作ろうとすると一人、あぶれてしまう。

 もし、あぶれるとしたら日菜なのだけど――。


「じゃあ、日菜。私と千尋と、交代でやりましょう」


 四月に当たり前のように、真央に声をかけてもらってからずっと、あぶれずにすんでいた。三か月が経った今では、まわりも、日菜自身にとっても、真央と千尋と三人でいるのが当たり前になっていた。


 女子テニス部所属の真央と千尋のラリーは、日菜とやっているときとは音が違う。

 日菜とやっているときがポーンなら、真央と千尋のラリーはスパーン! と、いった感じだ。

 ずるい、私も! とは、思わない。運動音痴は自覚している。むしろ、お手柔らかに……と、言いたいくらいだ。


 ネットを張るためのネットポストに寄り掛かって、真央と千尋のラリーを眺めていた日菜は、ちらりとグラウンドに目をやった。


 女子が一人あぶれるように、男子も二人一組を作ろうとすると一人あぶれてしまう。

 予想通り、あぶれているのは悠斗のようで。これまた予想通りに、和真が悠斗に何か話しかけていた。


「お、よそ見とはいい度胸だねぇ」


 スパーン! と、良い音をさせてボールを打ち返す音と、ケラケラと笑う千尋の声に、日菜はあわててコートに顔を向けた。


「気になるの?」


 テニスボールを見つめたまま、真央が聞いた。口元には苦笑いが浮かんでいる。千尋を見ると、こちらはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。

 二人の表情に、日菜は照れ笑いを浮かべた。そして、またグラウンドに顔を向けた。


 野良猫みたいにツンとした表情で和真に背を向けると、悠斗は体育教師の元へと駆け寄った。

 二十代そこそこの若い男の先生で、ガタイはいいけど気の優しい性格をしている。悠斗に頼まれて押し切られてしまうくらい優しい。


 一言二言、悠斗と言葉を交わしたあと。和真に目配せをして。先生は肩をすくめると、わかったと言うようにうなずいた。

 先生から十メートルほど距離を取ると、悠斗はグローブをはめてキャッチボールを始めた。先生と、だ。


「白石も頑固だけど、平川くんもあきらめないよね」


 ボールから目を離さずに、千尋が言った。それくらい、和真と悠斗のやりとりは日常茶飯事なのだ。


「クラス委員長として……って、気持ちが強いんだろうけど。ちょっと意地になってる感もあるのよね。平川の方も」


 そう言いながら、真央はスマッシュをコートのすみギリギリに叩きこんだ。女子側の体育教師が、そろそろ試合を始めます! と、声をかけたのだ。

 千尋も必死にボールを追いかけたけど、ラケットはあとちょっとのところでボールに届かなかった。

 じと~っとにらみつける千尋を、真央は澄ました笑みを浮かべて見返した。


 でも、すぐに真剣な表情になると、


「それにしても、白石? 平川だったら、まぁ……私も応援するけど。あえて、白石なの?」


 真央はため息混じりに言いながら、日菜の隣にやってきた。


「親戚のおばちゃんかよ。ちょっと日菜に対して過保護すぎない?」


「過保護にもなるわよ」


 ため息をつく真央を見上げて、日菜は苦笑いした。


 東中の――小学校の頃からの親友である奈々と彩乃にも、よく言われた。

 ぼんやりしている。うっかりミスが多い。どんくさい。見ていて心配になってくる。


 そんな日菜の性格と、真央の面倒見の良い性格とあいまって、三か月弱ですっかり関係性ができあがってしまっていた。

 姉と妹。先輩と後輩。先生と生徒。

 そんな感じだ。


「私は相手が平川くんだろうが、白石だろうが、応援するよ!」


 日菜をキラキラした目で見つめて、千尋はぐっと拳を握りしめた。

 転校してきてからの三か月弱でわかったことは、いろいろとある。その一つが、千尋は恋愛話が大好きということだ。


 誰が誰のことを好きかとか。誰が誰に告白したとか。そういう話が大好きで、耳も早い。

 真央はヒトの恋愛ごとにも、自分の恋愛ごとにも興味がない。人並みに恋愛ごとに反応する日菜が加わって、すっかりその手の話が多くなった……そうだ。

 ウキウキな千尋に反して、真央はいつもあきれ顔で聞いているのだけど。


 そんな千尋だ。日菜がちらちらと悠斗のことを見ていることに、気付かないわけがない。

 目を輝かせる千尋に苦笑いしながら、日菜はもう一度、グラウンドの悠斗を見つめた。


 和真ににらみつけられても、まわりの子たちに指をさされても、お構いなし。悠斗はあっけらかんとした笑顔で、体育教師とキャッチボールをしている。

 真央が“あえて、白石?”という気持ちもわかる。


 ――私だって、なんで。あえて、悠斗くん……って思うよ。思う、けど……。


 黒猫みたいな悠斗から目をそらすことのできない自分に、日菜は心の中でこっそりため息をついた。

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