第6話 ……いっしょに、帰りませんか?
奇声をあげて教室から廊下に飛び出してきたかと思うと、凍り付いている日菜を見て、
「木村さん、どうしたの? 大丈夫?」
真央と千尋が小走りに駆け寄ってきた。二人に見つめられて、日菜は思わず下を向いてしまった。
奇声を聞かれたことが恥ずかしかったというのもあるけど。ものすごく、あるけど……!
――どうしよう……。
それ以上に、心の準備が全然、できてない。このあと、どう切り出したらいいのか。何を話したらいいのか。頭が真っ白で、何も思い浮かばなかった。
思わず後ずさりそうになった瞬間――。
「……」
ドアの影に隠れてジト目で日菜を見つめる悠斗と目が合った。ドアから半分だけ顔が見えている。
その姿が家政婦は見た状態の黒猫そのもので、日菜は思わず吹き出しそうになってしまった。
でも、おかげで少しだけ緊張が解けた。
日菜はぎゅっと、胸の前で手をにぎりしめると、
「橋本さん、清水さん……いっしょに、帰りませんか?」
真央と千尋の目を真っ直ぐに見つめた。
真央と千尋はハッと目を見開いた。かと思うと、気まずそうに顔を見合わせて、
「あ~、ごめん」
そう言った。千尋がぽりぽりとえり首をかいて、もうしわけなさそうな表情で。
こういう答えを予想していなかったわけじゃない。予想していなかったわけじゃ、ないけど――。
――やっぱり……嫌われちゃった?
反射的にうつむいた日菜の視界は、あっという間に涙でにじんだ。
でも――。
「今日、部活なんだ」
続く千尋の言葉と、
「明日なら放課後の部活動はないから、いっしょに帰らない?」
笑みをふくんだ真央の優しい声に、日菜はパッと顔をあげた。
「よ、喜んで!」
「喜んで……って、どこの居酒屋の店員だよ」
壊れたおもちゃみたいにコクコクとうなずく日菜を見て、千尋が吹き出した。
「そうだ。よかったら今日、テニス部の見学に来ない? 運動が好きなら、そのまま入部してもいいし」
真央の提案に、すっかり笑顔になっていた日菜の表情が、みるみるうちに強張った。おずおずと目をそらして、首をすくめて、ついにはうつむいて――。
「ごめんなさい、スポーツは全然……」
小さな、本当に小さな声で、そう答えた。
「運動音痴? あはは、イメージまんま!」
うなずく日菜を見て、千尋がけらけらと楽し気に笑った。
「前の学校では何部だったの?」
「合唱部……!」
「そうなの。うちの中学、合唱部はないのよね」
「ううん、帰宅部がなくて入ってただけだから。こっちは帰宅部もありでよかったよ!」
もうしわけなさそうな真央を見上げて、日菜はあわてて首を横に振った。首をふりながら、日菜は笑顔になった。
嫌われたわけじゃなかった。ちゃんと話せた。
――……よかった。
ほっと心の中でつぶやいた日菜は、
「……よかった」
同じことを言う真央に、え? と、目を丸くした。
「本当に用事があっただけなのね」
ぽつりとつぶやく真央を指差して、千尋がにやにやと笑った。
「木村さんに嫌われたんじゃないか、お節介が過ぎたんじゃないかって。真央のやつ、すっごい心配してたんだよ」
「ちょっと……!」
顔を赤くして千尋の肩を叩く真央を見て、日菜は再び、うつむいた。
真央は転校してきたばかりの日菜のことを心配して、すごく親切にしてくれた。なのに、日菜が思わずついてしまったうそのせいで、真央を不安な気持ちにさせてしまった。傷付けてしまった。
そう思ったら、もうしわけなくて――。
「ごめんなさい!」
日菜はいきおいよく頭を下げていた。
もしかしたら、本当のことを言う方が、真央を傷付けてしまうかもしれない。
せっかく、仲良くなれそうだったのに、また気まずい雰囲気になってしまうかもしれない。
それでも――。
「用事があるっていうのは……うそ、でした。せっかく、仲良くなれても一年経ったらお別れって思ったら怖くなっちゃって」
日菜の正直で、素直な気持ちを伝えた方がいいと。そう、思ったのだ。
「でも、やっぱり橋本さんと清水さんと仲良くなりたいって。お友達になりたいって思ったんだ! だから……」
下げたときと同じように、日菜はいきおいよく顔をあげた。
困った顔をしているだろうか。悲しそうな顔をしているだろうか。怒った顔をしているだろうか。それとも――。
不安な気持ちで顔をあげた日菜が見たのは、顔を見合わせて笑っている真央と千尋だった。
「じゃあ、とりあえず……」
「名字呼びとさん付け、やめよっか」
真央は大人びた笑みを、千尋は元気いっぱいな笑みを浮かべて、そう言った。
日菜は首をかしげ。口に手を当てて少し考えてから、
「真央……ちゃん? 千尋、ちゃん?」
おずおずと、そう言った瞬間――。
「あ、ちゃん付けもなし。ぞわっとする」
千尋が真顔で首を横に振った。
「そうね。千尋ちゃんってキャラじゃないわね、千尋は」
真剣な表情であんまりなことを言う真央に、千尋は怒るどころか、大きくうなずいている。どうやら本気でいやだったらしい。
「じゃあ……ま、真央。千尋……?」
遠慮がちに言って、上目づかいに見た日菜は、
「それで、よーし! よろしく、日菜!」
「よろしく、日菜」
満足げにうなずく千尋と、苦笑い混じりの真央に、ほっと笑みをこぼした。
「よろしく……お願いします」
「いや、だから……」
「なんか、ちょっとかたいのよね」
日菜が頭を下げるのを見て、真央と千尋はくすくすと笑ったのだった。
「日菜はもう帰るの?」
真央に聞かれて、日菜はこくりとうなずいた。
「じゃあ、昇降口までいっしょに行こうか」
「カバン、取ってきなよ。待ってるから」
「うん!」
真央と千尋に言われて、教室へときびすを返した日菜は、入ってすぐに足を止めた。
教室のドアの影に隠れるようにしてしゃがみこんでいた悠斗が、立ち上がった。日菜と目が合うと、やっと終わったと言わんばかりに肩をすくめた。
その態度に、日菜は唇をとがらせた。
と、――。
悠斗が声を出さずに、パクパクと口を動かした。
――よ……く……?
悠斗の唇はゆっくりと、一文字ずつ区切って動く。
よ・く・で・き・ま・し・た――。
たぶん、そう言ったのだろう。
悠斗はにひっと歯を見せて笑うと、そのまま教室を出て行った。
「白石! また帰りのホームルームが終わったの、気が付かなかったの?」
「うん。じゃあなー」
廊下から聞こえてきたのは真央のため息交じりの声と、悠斗のあっけらかんとした声だ。
その声を聞きながら、日菜はムッとして唇を引き結んだ。
――何がよくできました、だ。えらそうに。
腹が立つ。立っている――はずなのに。
ほほに手の甲を押し当てると、少し熱を持っている気がした。
「お礼……言い損ねちゃった」
左胸に押し当てた手を、ぎゅっと握りしめる。少し心臓が痛い気がした。
――気がする……じゃ、ないか。
心の中でつぶやいて、日菜は顔をあげた。
くすんで見えていた教室。
明かりも消されて薄暗いのに、今は色がついて見えた。
教室の後ろにあるロッカーは白色。
窓にかかるカーテンは淡い緑色。
すみに置かれた花瓶のガーベラは黄色。かすみ草もいっしょに挿してある。
ようやく、新しい教室をちゃんと見渡して、
「全然、東中と違うなぁ」
日菜はぽつりとつぶやいて、微笑んだ。
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