第5話 ふぴゃ……っ!
次の日――。
日菜はほとんど誰とも話さないまま、帰りのホームルームを迎えていた。大人しい子。無口な子。そんなイメージが転校初日の昨日でついてしまったらしい。
あいさつをしてくれたり、日菜が困っていそうだとみれば教えてくれたり。クラスメイトたちも一応は話しかけてくれるのだけど、どこか遠慮がちで、言葉少ななのだ。
一年間だけのことだからと、昨日はすねた気持ちで過ごしていた。その結果が、これだ。
多分、日菜からクラスメイトたちに歩み寄らなければ、今の状況は変わらない。
わかっているのだけど――昨日の今日で、急に明るいキャラになんてなれない。それに昨日の日菜は特にひどかったけど、本当に人見知りでもあるのだ。
先生が帰りのホームルームの終了を告げると、教室内は一気ににぎやかになった。
我先にと教室から出て行くクラスメイトたちの背中を見つめて、日菜は自分の席に座ったまま、ため息をついた。
「どうしよう、これ……」
ぼやいてみても、どうしようもない。のろのろと顔をあげた日菜は、
「……あ」
真央と目が合って、思わず下を向いてしまった。
いっしょに帰るのだろうか。真央のとなりには千尋が、日菜に背中を向けて立っていた。
せっかく昨日、いっしょに帰ろうと誘ってくれたのに、うそをついて断ってしまったことが気まずくて。
今日一日、何度も。真央に話しかけるタイミングも、話しかけられそうなタイミングもあったのに。日菜は思わず目をそらして、逃げてしまっていた。
視界のすみで真央がカバンを肩にかけるのが見えた。千尋が教室のドアへと足を向けるのも。
――このままじゃ……。
唇を噛みしめて顔をあげると、ななめ前の窓際に座っている悠斗の背中が目に入った。
帰りのホームルームが始まる前に本を開いたかと思うと、そのまま。担任の佐藤先生が入ってきたことにも気付かずに、ずっと本を読んでいる。
今だって帰りのホームルームが終わったことにも、気が付いていないみたいだ。
日菜は悠斗の背中をじっとにらみつけた。
昨日からずっとくすんだままの世界がぐにゃりと歪んだ。泣きそうになっているんだと気が付いて、日菜はあわててうつむいた。
――もう……いいや。
一年間くらい、友達らしい友達がいなくたって、困らない。
昨日、悠斗に言ったとおりだ。強がりで言ったけど、実際、死んだりするわけじゃないのだ。
真央と千尋と廊下で鉢合わせたりしないように、少し待ってから教室を出て行こう。
そう決めて、スマホをカバンから取り出そうとした、瞬間――。
「お前のそういうところ、見てるとホント、イライラする!」
腕をつかまれて、引っ張られて。思わず立ち上がっていた。ガタン! と、イスが大きな音を立てた。
突然のことに驚いて顔をあげると、視界がパッと広がった。一日中、下を向いて歩いていたから。顔をあげただけで、別世界のようだった。
日菜の手首をつかんで引っ張っているのは、小柄な黒髪の男の子。さらさらの髪が黒猫みたいな、悠斗だった。
「そうやって言葉を飲み込むとな、あとになって後悔するんだよ。何年も経って後悔するんだ。でも、そのときにはもう言えない。……だから、言いたいことがあるなら正直に、素直に言え!」
そう言いながら、悠斗は日菜を引っ張って、どんどんと歩いて行く。机と机のあいだを抜け、教室のドアを出る寸前で、
「言えるわけない……!」
日菜は悠斗の手を振り払った。いきおいが良すぎて、ふらりとよろめいた。たたらを踏んで、どうにかバランスを取った。
振り返った悠斗は驚いた顔をしていたけど、すぐに目をつりあげて日菜をにらみつけた。日菜も日菜で、胸の前で手をぎゅっとにぎりしめて、悠斗をにらみ返した。
なんでも正直に、素直に――。
そうできたらどんなにいいか。でも、そんなに簡単な話じゃない。
みんなに気を使わせてしまうかもしれない。困らせてしまうかもしれない。
日菜がこくりと飲み込むことで我慢すれば、丸く収まることだってあるのだ。
日菜を転校させるか、させないか。毎晩のようにケンカしていたお父さんとお母さんのように。
「な、なんでも正直に、素直になんて、そんなのわがま……!」
なのに――。
「友達になりたいって思ってるんだろ!」
日菜の言葉を遮って、悠斗はぴしゃりと言った。
「本当にそう思ってるなら、それを伝えるのはわがままじゃないだろ! 日菜は色んなこと考えて、びくついてるだけだろ!」
図星だ。
真央と千尋に断られたらとか。一年後のこととか。先のことを考えて怖くなって、動けなくなっているのも……本当。
日菜は思わずうつむいて、唇をかんだ。
「……いいよ」
ため息混じりの、でも、優しい声。手首をつかまれ、腕を引っ張られた。
急に柔らかくなった悠斗の声に驚いて顔をあげると、悠斗の顔が目の前にあった。
「背中を押した責任、取ってやる。橋本と清水に振られたら、俺が一年間、友達になってやる」
大きな黒い目に吸い込まれそうになって、日菜は息を飲んだ。
とくん……と、心臓が小さく跳ねた。
「だから……」
日菜の耳元で、悠斗がささやく。
そして――。
「行ってこい……!」
「ふぴゃ……っ!」
日菜の背中を思い切り、突き飛ばした。よろめいて、日菜は廊下に転がり出る。
突然のことに驚いて、妙な声が出てしまった。恥ずかしい。顔が熱い。誰にも聞かれていないかと、あわてて左を見て、右を見て……。
「木村、さん……?」
廊下の途中で足を止め、振り返って目を丸くしている真央と千尋と目があって――日菜は凍り付いた。
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