第4話 めい、わく……?

 振り返った男の子の方も、日菜の顔を見て目を丸くした。

 かと思うと、


「同じクラスだよ」


 石谷に向かって、そう言った。


「どうして……おじいちゃんの店に? えっと……」


「白石 悠斗。同じクラスなんだけど、覚えてないよな」


 悠斗の言葉に、日菜はあわてて首を横に振った。

 ちゃんと覚えてる。和真と真央と、真央の友達の千尋以外で唯一、覚えてるクラスメイトかもしれない。


 日菜が座っているななめ前の、一番窓際の席に座っていた男の子。

 十分休みのときも、昼休みのときも一人きり。授業やホームルームが始まったことにも気づかずに本を読み続けて、先生やクラス委員長の和真に怒られていた男の子。

 黒猫みたいな男の子だ。


「なんだ、同じクラスなのか」


「転校生、じいちゃんの孫だったんだな!」


 悠斗は日菜ではなく、おじいちゃんの方を向いて言った。悠斗の気安い笑顔に、日菜は再び、目を丸くした。

 和真やクラスメイトたちの前で見せる表情は、どこかあっけらかんとしていて、野良猫のようだった。それが、おじいちゃんの前では人懐っこい飼い猫のような笑みを浮かべているのだ。


「悠斗……くんは、おじいちゃんのお店によく来るの?」


「うん、母さんが仕事の日は毎晩」


 悠斗はうなずいた。


「俺んち、隣のアパートなんだ。いいかげん、自分で夕飯作れるって言ってんのに。母さんが絶対ダメだ、この店で食べろって怖い顔で言うからさ。まぁ、じいちゃんのメシ、大好きだからいいんだけど」


「悠斗は前科があるからなぁ。五年くらい前にボヤ騒ぎ起こしてんだよ、こいつ」


 石谷はそう言って、苦笑いした。おじいちゃんは眉間にしわを寄せている。当の悠斗はと言えば、


「小四のときの話だろ? もう中二なんだから、大丈夫だって!」


 自信満々で胸を張った。おじいちゃんと石谷の渋い顔の理由が、日菜にもなんとなくわかった。

 自信満々過ぎて、逆にすっごく不安だ。

 苦笑いしながら、ハヤシライスをぱくりと頬張った。日菜から悠斗に話がそれたおかげで少しはゆっくりと味わえそうだ。

 そう思ったのに――。


「そうだ、悠斗! せっかく、同じクラスなんだ。日菜の友達一号になってやったらどうだ?」


「……っ」


 石谷の言葉に、日菜は再び、ハヤシライスの味が逃げていくのを感じた。

 困り顔であいまいに笑う日菜に対して、


「え~? 同じクラスってだけで?」


 悠斗はわかりやすく嫌そうな顔をする。

 日菜だって、いきなり友達になってやれと言われても困る。今、まさに困ってる。

 でも、だからって、そんなに嫌そうな顔をしなくてもいいと思うのだ。これが照れ隠しとかなら、まだわかるけど。全然、そんな雰囲気じゃない。


 ――中学生なんだから。もう少し、気とか使えないわけ!?


 悠斗の横顔をにらみつけて、日菜はムッとしながらハヤシライスをほおばった。


「ハルちゃんには、たくさん面倒見てもらっただろ?」


 石谷の言葉に悠斗が大真面目な顔でうなずいた。


「ばあちゃんだけじゃない! じいちゃんにだって、たくさん面倒見てもらってるよ!」


 その言葉に、日菜はさらにムッとした。

 だって、おじいちゃんもおばあちゃんも、日菜のおじいちゃんとおばあちゃんなのだ。なのに悠斗は、まるで自分のおじいちゃんとおばあちゃんかのように語っている。


 日菜たち家族がおじいちゃんとおばあちゃんのところに来るのはお正月と夏休みくらい。車で一時間もかからない距離だから、いつも日帰りだった。

 悠斗は小学生の頃から、しょっちゅうこの店で夕飯を食べていたのだから、日菜よりもずっと、たくさん、おじいちゃんとおばあちゃんと過ごしてきたのだろう。

 なつくのもわかる。


 でも、それにしたって……気に入らない。

 むしろ、だからこそ気に入らない。


 だって、ここは日菜のおじいちゃんとおばあちゃんのお店で、家なのだ。日菜の、おじいちゃんとおばあちゃんなのだ。

 日菜の、居場所なのだ。


「なら、なおさらだよなぁ、悠斗。日菜の友達になってやって、いろいろと面倒見てやれよ」


「……面倒くさい」


 ぼそりと悠斗がつぶやくのを聞いて、石谷が笑顔でげんこつを作った。そんな石谷を見て、悠斗は唇をとがらせた。

 でも、どちらの目も笑っている。お決まりのやり取りなのだろう。

 日菜はさらにムッとした。


「わかったよ」


 悠斗はようやく日菜に顔を向けると、そう言った。


「なんかあったら聞けよ。教えられることなら教えるし、助けられることなら助ける。じいちゃんとばあちゃんの孫だしな」


 最後の一言で、ムッとした表情は無表情に変わった。完全に頭にきた――と、いうやつだ。

 背筋を伸ばすと、


「結構です」


 日菜は無表情のまま、言った。


 日菜の冷ややかな声に、悠斗は目を丸くして首をかしげた。

 石谷はしまった、と言わんばかりに口に手をあてた。おじいちゃんが無言で石谷の後頭部を平手打ちしていたのだが、それは日菜からは見えなかった。


「悠斗くんにお友達になってもらわなくても大丈夫です」


 日菜の冷ややかな声に目を丸くした悠斗だったけど、


「まぁ、そうだよな」


 すぐに、あっけらかんとして笑った。


「橋本と清水がいるもんな。……ほら、クラス委員の女子の方と。それといっしょにいる髪の短いヤツ。うちのクラス委員、二人ともおせっかいだし。転校生のことを放っておいたりなんかしないよな!」


 そう言って、悠斗は満足げにうなずいている。

 悠斗が言う女子二人が真央と千尋のことだと思い当たって、日菜は唇をかんだ。

 せっかく、いっしょに帰ろうと言ってくれたのに。うそをついて逃げてきてしまったのだ。

 今更、友達になんてなれない。

 悠斗がそれを知っているわけがないのだけど、責められているように感じて――。


「悠斗くんには関係ない」


 日菜は思いっきり顔を背けた。


「どっちにしろ、一年で転校するんだもの。仲良しの子とか、友達とか。そんなのいなくたって、一年間、困らないくらいの人付き合いはできるから。中学生だもの。いい年だもの」


「中学生の子にいい年って言われると、石谷のおじさん、立つ瀬ないなぁ」


 へらへらと笑いながら、石谷が軽口を言った。日菜の機嫌をうかがっているのだろうとわかる声音に、よけいにむかむかしてきた。


 と、――。


「まぁ、いなくて困るようなことでもないしな」


 悠斗があっけらかんと笑って言った。


 放課後、和真に授業中やホームルーム中に小説を読むなと怒られていたとき。悠斗はどこ吹く風、といったようすだった。

 そのときにも感じた。

 きっと悠斗なら転校しても全然、平気なのだろうと。


 一年間くらい友達らしい友達がいなくたって、本当に困らないのだ。居心地の悪さとか、恥ずかしさとか、さみしさとか、周りの目とか。そんなの、全然、感じないし。気にならないのだろう。


 日菜と、違って――。


「そうだよ、困るようなことじゃないもの」


 強がりを言った瞬間、日菜の目にじわりと涙がにじんだ。

 あわてて手の甲でぬぐって顔をあげると、悠斗が目を丸くしていた。かと思うと、目をつり上げて怒った顔になった。


「なんだよ。うそかよ」


 ぼそりと、低い声でそうつぶやいた。

 和真と違って、まだ悠斗は声変わりしていないらしい。男性というよりは男の子、といった感じの声だけど、それでも、確かに低い声になった。


 いらだたしにため息をついたかと思うと、


「お前みたいなやつがいると迷惑なんだよ」


 そう言い放って、日菜をにらみつけた。


「めい、わく……?」


 悠斗ににらみつけられて、日菜はぽかんと口を開けた。


 ――迷惑? 私が? どうして? 何かした?


 疑問がぐるぐるとうずまいて、頭のてっぺんから煙が出そうになった。

 日菜はいつだって人に迷惑をかけないように、気を使ってきたつもりだ。いろんなことを我慢して、飲み込んできたつもりだ。


 なのに、迷惑――?


 怒られてばっかりで、日菜とはほぼ初対面で。初めてしゃべった悠斗に、迷惑だなんて言われる筋合いはない。

 なんだか、ものすごく腹が立ってきて、


「私、悠斗くんに何か迷惑かけた!?」


 日菜は金切り声をあげた。

 でも、


「かけてるね!」


 悠斗は間髪入れずに言い返してきた。


「俺はいつだって正直に、素直に。一人でいい、本を読みたいから放っておいてくれって言ってんだよ! 佐藤先生はまだ、いいよ。一年んときの担任とか、理科の鈴木とか、平川とか。一人でいたいなんてうそ、本当は友達がほしいんだろ。なら、素直になれ。待ってるだけじゃだめだって……!」


 下を向いた悠斗は、スプーンをにぎりしめてプルプルと全身を震わせた。


「だから! 俺は! ものすごーく、正直に! 素直に! 放っておいてくれって言ってるっての! 自分たちに都合のいい答えが返ってこないからって、勝手に決め付けて、否定しやがって!」


 悠斗はスプーンを右手ににぎりしめたまま、勢いよく立ち上がってこぶしをふり上げた。

 日菜は悠斗を白い目で見つめると、


「学校って、共同生活を通じて将来、必要となる社会性を身につけることも、一つの目的だと思うんだけど」


 冷ややかな声で言った。


「先生とか平川みたいなこと、言ってんなよ!」


「日菜、正論だけど顔が怖いぞー。でも、もっと言ってやれー」


 茶化す石谷を、日菜と悠斗はそろってにらみつけた。二人のいきおいに、石谷は降参と言わんばかりに両手をあげた。

 首をすくめる石谷を、もう一度、にらみつけたあと。


「なんで、俺が正直に、素直に言ってんのに信じてもらえないか、わかるか!? お前みたいなやつがいるからだよ! 本当は友達が欲しいけど言えないんですーって、うじうじしてるやつのせいだよ! 言葉にしないけど、わかってーとか都合のいいこと思ってるやつのせいだよ!」


 悠斗はスプーンを日菜の鼻先に突きつけた。

 おじいちゃんがトントンとカウンターを手で叩いた。お行儀が悪い、とでも言いたいのだろう。でも、悠斗は気付かない。


「そうやって、めそめそ泣くくらいだったら、正直に、素直に橋本たちに友達になってほしいって言えよ! 何度でも言ってやるよ。迷惑だ、め・い・わ・く!」


 鼻息あらく言い切ると、悠斗はテーブルをバン! と、叩いた。

 怒りやらなんやらで日菜が口をパクパクさせているうちに、悠斗はさっさと背中を向けてしまった。

 ドサリと乱暴に腰かける悠斗の背中をにらみつけ、日菜は唇をかんだ。スプーンをにぎる手が震えた。視界がにじんで、今にも泣き出しそうだった。

 でも、絶対に。悠斗がいるこの店で泣きたくはなかった。


 日菜はハヤシライスをかきこむと、


「ごちそうさま!」


 そう叫んで、おじいちゃんの顔も。石谷の顔も。もちろん、悠斗の顔も見ないで店を飛び出した。

 大好きなおじいちゃん特製ハヤシライスだったのに。結局、少しも味がわからなかった。


 外階段を駆け上がって、乱暴に玄関のドアを閉めて。三階の部屋に戻った日菜は、ポケットに入れていたスマホを腹立ちまぎれにベッドに叩きつけようとして――やめた。

 チカチカと光って、メッセージが届いていると知らせていたからだ。


 画面を見たら、奈々と彩乃からだった。

 送られてきたのはスタンプのようで、ただ画像が届いたとしか表示されていない。

 でも、二人の心配そうな顔がすぐに思い浮かんで。


「……っ」


 日菜は泣きながら、スマホを抱きしめた。


 真央と千尋が声をかけてくれたのは、日菜が転校生だから。気を使ってくれただけで、本当は友達になりたいなんて思っていないのかもしれない。

 真央と千尋と友達になることで、奈々と彩乃という親友との関係が変わってしまうかもしれない。

 どっちも怖い。


 それに真央と千尋と仲良くなったって、一年後、日菜はまた転校するのだ。

 仲良くなった二人とお別れするのはさみしい。

 お別れして、それきりになるのは……すごく怖い。


 でも――。

 でも、だ。


 真央と千尋のことを知りたい。

 いっしょに帰りたい。

 おしゃべりしたり……できるなら、友達になりたい。


 そう思ったのも、事実なのだ。


 ――なんだよ。うそかよ


 悠斗の低い声がよみがえった。

 腹が立つけど。悔しいけど――悠斗が言ったとおりだ。

 友達なんていなくていい、なんて……うそだ。大うそだ。


 本当はすごく、すごく――。

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