第3話 おじいちゃんのお店の……常連さん?
おじいちゃんの家の三階は、屋根裏部屋みたいになっている。
日菜が小さい頃から、泊まりに来ると使っていた部屋だ。階段をあがるとドアも何もなくて、いきなり十畳ほどの一間があるのだ。
一年間、日菜が使うのもこの部屋になった。
昔から置いてある古いベッドに、お客さま用の布団をひいて。古い机とタンスに家から持ってきた物を押し込んだ。
一年だけのことだからと大した量は持ってきていない。すぐにしまい終わって、今はきれいに片付いている。
窓際に置かれたベッドのまくらに顔を
『夕飯できたよ。下りておいで』
無口なおじいちゃんとのやりとりは、文字が基本だ。無口だけど、画面に表示される言葉は意外にも優しい。
それに――。
デフォルメされたタカが肉をくわえている、かわいいスタンプを見て、日菜は困り顔になった。
結構、使いこなしてる。
ベッドから起き上がると、まずは二階に下りた。
泣きはらした顔を洗面所で洗って、髪をとかして。玄関から外階段に出て、一階へ。角を曲がったところに、ひっそりと木の立て看板が出ていた。
喫茶・黒猫のしっぽ――。
それがおじいちゃんがやっている喫茶店の名前だ。
日菜がドアを開けると、チリン、チリン……と、ドアベルが鳴った。
「……」
ドアベルの音に、カウンターの中でカップをふいていたおじいちゃんが顔をあげた。
背が高くて、細くて、目つきが鋭くて。おじいちゃんはタカみたいな顔をしている。無口で、無表情で、ちょっと怖い。
おばあちゃんは小さくて、ころころとしていて、アザラシみたいな感じで。表情もころころと変わる、すっごくおしゃべりな人だった。
てっきり口をはさむすきがないくらいにおばあちゃんがしゃべるから、おじいちゃんは黙っているだけなんだと思っていたんだけど――。
「…………」
おじいちゃんが無言で窓際を指さした。座れ、ということだろう。
こっちに引っ越してきてから一週間。
日菜は、まだ一度もおじいちゃんの声を聞いていない。そもそも、小さい頃から一度として、おじいちゃんの声を聴いたことがあっただろうか。
日菜はおじいちゃんのタカみたいにするどい目に首をすくめて、店の中を見まわした。
喫茶・黒猫のしっぽは、昔はおじいちゃんとおばあちゃんの二人で。今はおじいちゃん一人でやっている。四人がけのカウンター席と四人用、二人用のテーブル席が一つずつあるだけの小さなお店だ。
名前に喫茶とついているけれど、おしゃれなカフェといった雰囲気だ。
木目を生かした、全体的に白っぽい内装。多肉植物を寄せ集めた可愛らしい鉢植えがあちこちに飾られている。カップや食器は店名にちなんだ、黒猫モチーフの物が多い。
猫の手の形のスプーンとフォーク。フォークの方は爪を立てた猫の手だ。
メニュー立てもおすわりした黒猫。
ドアベルも猫の形にくり抜いた、五枚の小さな金属板がぶつかり合って、愛らしい音を鳴らす。まるで五匹の子猫がじゃれ合っているみたいだ。
カップの中をのぞきこむ黒猫の、しっぽの部分が持ち手になったコーヒーカップ。
多肉植物のあいだからも黒猫のしっぽや耳がのぞいていた。
全部、亡くなったおばあちゃんの趣味だ。タカみたいにするどい目付きのおじいちゃんには、ちょっと似合わない。
でも、おばあちゃんがいなくなった今もきれいにしてあって。とても大事に使っているのだとわかった。
そう思ったら、少しだけおじいちゃんのことが怖くなくなった。
カウンター席に一人、窓際の二人用テーブルにも一人、お客さんが座っていた。二人用テーブルに座っているお客さんは、日菜と同い年くらいの男の子だ。
紺色の丸襟のシャツに、ジーパン姿。大人びた格好で、背伸びして喫茶店に入ってみた……と、いう感じじゃない。
喫茶店で、一人で夕飯なんて珍しいな……と思いながら、日菜は四人用のテーブル席についた。顔をあげれば、自然と男の子の後ろ姿が目に入る。
――あれ?
その後ろ姿を見て、日菜は首をかしげた。なんとなく見覚えがある気がしたのだ。のど元まで出かかっていたのだけど――。
「よう、日菜。ハルちゃんの葬式んとき以来か」
名前を呼ばれて、ハッと顔をあげた瞬間。出掛かっていたモノは喉の奥に引っ込んでしまった。
カウンター席に座ってコーヒーを飲んでいるおじさんに、日菜は顔を向けた。
常連客の石谷だ。おじいちゃんとは小学校の頃から。おばあちゃんとは中学の頃からの友人だと、昔、おばあちゃんが言っていた。
にこにこと愛想が良くて、おじいちゃんとは正反対だ。
「お久しぶりです、石谷のおじさん」
家族や先生以外の大人の人と話すのは緊張する。久々に会ったから、よけいにだ。
「お久しぶりです……と、きたか。中学生になったんだっけか? すっかり、おねえさんだ」
日菜のかたい口調に、石谷はけらけらと笑った。
石谷はおじいちゃんが差し出したお皿を受け取って、日菜のテーブルに置いた。常連客をあごで使っていいのだろうか。
「……ありがとうございます」
「たーんとお食べ。そして大きくおなりー」
おばあちゃんみたいなことを言う石谷に、日菜はくすりと笑った。あまり気を使わなくても良さそうだ。
日菜の目の前に置かれたのはハヤシライスだ。玉ねぎが嫌いな日菜のために、すっかり玉ねぎがとけてしまうまで、じっくり炒めて煮込んだ手間のかかったハヤシライス。トマトもマッシュルームもたっぷり入っている。
玉ねぎは嫌いだけど、このハヤシライスは大好物なのだ。
「……」
ちらっと、おじいちゃんの顔を盗み見た。
日菜が人見知りなことを、おばあちゃんは良く知っていた。もしかしたら、おじいちゃんも知っていて。転校初日の日菜をはげますために、手間のかかる特製ハヤシライスを作ってくれたのかもしれない。
思わず微笑んで、日菜は手を合わせた。
「いただきます」
スプーンですくって、口に入れる。おいしいとつぶやこうとした瞬間、
「新しい学校はどうだった?」
石谷にそう聞かれて、ハヤシライスの味がわからなくなってしまった。
「ちゃんとあいさつはできたか? 最初が肝心だからな。ガツンとかましてやらないと、なめられちまうからな!」
なんの心配をしているのだろう。拳をにぎりしめて力説する石谷を見下ろして、おじいちゃんは鼻で息をついた。たぶん、ため息をついたのだろう。
でも、石谷は気が付かなかったみたいだ。
「友達はできそうか? 優しい子はいたか? 日菜をいじめるようなやつはいなかっただろうな? 日菜はハルちゃんに似て、ちょっとぼんやりしてるからなぁ。石谷のおじさんは心配だよ」
日菜がもそもそとハヤシライスを食べているあいだにも、どんどんと話が進んで行ってしまう。
そういえば、日菜が小さい頃から石谷はこんな感じだった。
おばあちゃんが適当なところで止めてくれていたし、日菜の代わりに答えてくれてたから、あんまり気にならなかったけど。
日菜は首をすくめて、ハヤシライスを黙々と食べ進めた。
今、学校のことはあまり考えたくない。さっさと食べ終えて自分の部屋に逃げ込みたかった。
と、――。
「そういや、
石谷がポン! と、手を叩いた。
この場にいて、日菜が名前を知らない人は一人だけだ。日菜に背中を向けて座っている男の子。
石谷から男の子の方に顔を向けた日菜は、
「……ん?」
スプーンをくわえて振り返った男の子の顔を見て、目を丸くした。
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