第14話 疲れたな

 朝の情報番組で今日はとても暑くなるとの予報だった。その予報は外れることはなく、夏のような陽射しが、僕の肌を容赦なく照りつけてくる。


 夏服への移行期間ということもあり、僕は迷わず半袖を選んで正解だった。これが女子なら日焼けするだなんだ言って、日焼け止めなどを塗りたくるんだろうけど、生憎、僕はそんなことを気にする程の可愛らしい容姿をしていない。


 しかし、なれない暑さに堪らなくなった僕は、中庭の植木の木陰へと移動した。


 木陰へ入ると先程までの僕を突き刺すような陽射し暑さが、嘘のように涼しく感じた。


 時折、中庭を吹き抜ける風がとても心地よく、木を背もたれにして少し目を閉じた。


「……」


 誰がが僕を呼んでいる声で、僕は自分がいつの間にか眠っていたことに気がついた。


 頭の中が少しぼやっとしている。


「早く起きないと、昼休みが終わっちゃうよ」


 声のする方へ視線を向けると、そこには、僕を上からのぞき込むように見ている栗原がいた。


 僕が起きたことに気づいた栗原は涎が出てると自分の口元を指さし、ポケットからティッシュを取り出し僕に手渡した。


「それ、あげる」


 そう言うと、栗原はくるりと向きを変え、軽い足取りで校舎の方へ走り去って行った。


 僕はティッシュを一枚取り出し口元の涎を拭き取ると、それをポケットにねじ込んだ。まだ頭がぼやっとしており、気を抜くとまた眠ってしまいそうだ。


 時間に気づかなかったと嘘を言って、このまま、昼寝を続けたいという気持ちが、ぼやっとしている僕を誘惑する。


 しかし、栗原に起こされた手前、嘘をついてまでサボろうとする気持ちもなく、ふわぁっと大きな欠伸をすると、少し頭が少しすっきりした感じになった。


 立ち上がりぎゅっと背伸びをして校舎の方へ目を向けると、一階廊下の窓からこちらを見ている女子と目があった。彼女はくすりと笑い、僕へ小さく頭を下げて歩いて行った。


 僕は気を取り直し校舎の中へ入ると、自販機に寄って教室へと向かった。


 一年生の教室のある四階へつくと、廊下の掲示板に一枚だけ貼ってあるお知らせが目に入った。


『図書委員会からのお知らせ』


『読み聞かせボランティア募集』


 一年生のボランティアを募集している。


 ふと、お知らせの最後に書いてある名前に目が釘付けになった。


『興味のある方は図書委員一年 掛川忍まで』


 掛川忍…


 ちくりとこめかみに痛みが走る。


 なんで、彼女の名前が…


 以前、彼女と手紙のやり取りをしていた時の住所は、県内のO市じゃなくて、ずっと遠くの他県にある見知らぬ町の名前だった。


「戻ってきてたのか…」


 思わず口に出してしまった。


「なに、ボランティアに興味があるの?」


 不意に後ろから、栗原に声をかけられたせいか、体がびくんと動いてしまった。


 栗原の方へと振り返ると、


「そんなに驚かなくても良いじゃん」


 と、笑いながら栗原はそう言うと、僕の肩をぽんぽんと叩き、教室の方へ歩いて行った。


 再びお知らせに視線を戻し、もう一度、掛川忍の名前を見ると、ちくりとした痛みと共に、胸の奥底からなんとも言えない感情が沸き起こってくるのを感じ、怖くなり、急いで教室へと戻ることにした。


 教室に戻ると僕は自分の席へと急ぎ、椅子に座るとイヤフォンを耳にさした。


 気持ちを落ちつけようとすればするほど、落ちつかず、こめかみに走る痛みも酷くなってきている。


 様子がおかしいことに気づいた栗原は、僕の耳からイヤフォンを外し、椅子から立たせると、


「体調悪いみたいだから、保健室に連れて行くって先生に伝えてて」


 と、クラスメイトと言いながら、僕の腕を引っ張ると栗原は廊下へと出た。


 教室から少し離れたところで、栗原はやっと腕を離してくれた。


「勝手なこ…」


「そんな顔色して、誰がどう見てもやばいじゃん!!」


 栗原は僕の言葉を遮り、僕の顔を真っ直ぐにみて、怒ったような口調でそういった。


 僕は栗原から目を逸らすと、ごめんと謝り、並んで廊下を保健室へ向かった。


 下半身に力が入らず、ふらふらとした足取りの僕を、栗原は気遣い、ゆっくりと僕のペースで歩いてくれている。


 保健室についたけど誰もいなかったため、僕は栗原に促されベッドに腰掛けた。栗原は近くにあったパイプ椅子を持ってきた。


「先生が来るまで、一緒にいる」


「そこまでしなくても良いよ」


「私、保健委員だから大丈夫」


「……」


「何があったの?」


 栗原は、僕の顔をじっと見つめている。僕は、そんな栗原の視線から逃れるように俯いた。


「……」


 黙っている僕を見つめている栗原が、小さくため息をつく。


「まぁ、話したくないなら良いけどさ。誰にでも、人に言いたくない事ってあるしね」


 そう言うと、栗原は僕から窓の方へ視線を移した。


 窓の外には、小さな鳥が数羽でかたまりフェンスの上で休んでいる。


「ちょっと昔の知り合いの名前を見つけてね、それで…」


 僕が口を開くと、栗原は視線を僕の方へ戻した。そして、続きを話しだすのを何も言わず辛抱強く待ってくれている。


 僕はなんで栗原に話そうと思ったのかわからない。それに、栗原にどこまで話すか迷っている。


 他人との関わりを拒み続けているのに、遠慮なしに僕の空間に入ってくる栗原。


 僕は、ぽつりぽつりと掛川のこと、両親の離婚のこと、澤部のこと、今までのことを、隠さずに話した。


 そんな僕の話しを、栗原は黙って聞いてくれていた。


「で、動揺したんだろうな。僕はメンタルが弱いから」


 僕がそう言うと、栗原は頭を左右に振る。


「話してくれてありがとう…あんたがずっと他人と距離をおいてる理由がわかったよ」


 そして、


「とても辛かったよね、苦しかったよね」


 と、少し俯いて言った。


「でもね、あんたが傷つきたくないからって、関わりを絶った人たちも、とても傷ついているし、辛いと思うよ。あんたのこと、大切にしてきた人たちだろうから。元の関係に戻るのってさ、すぐには無理なんだろうけど、少しづつでもね」


 そしてもう一度、僕の方へ顔を向け真っ直ぐ見つめた。


 僕は無言で栗原の視線を受け止める。


 がらり


 保健室の扉が開く音がして、保健の先生が戻ってきた。栗原は先生と少し話しをした後、僕の方へ戻ってきて、


「甘えなよ、頼りなよ。多分、みんな待ってるよ。私も話し聞くし。」


 そう言うと、メモにさらさらと何かを書いて僕に渡した。そこには、栗原と山川さんの連絡先が書いてあった。


「携帯、教室に忘れたから、とりあえずメモに書いた。今度は捨てないでね」


 栗原は、ゆっくり休みなよと言うと、先生に一言いって教室へと帰って言った。


 僕は他人との関わりを拒んできた。地元を逃げるように出て行った。


 その後、何度も地元の友達から連絡があったけど、関わりを断ちたかったから、無視し続けた。


 掛川からの手紙も返さなかった。


 また、誰かを失うのが怖かったから、傷つきたくなかったから、自己防衛のためだけに。


 相手のことを全く考えていなかった。


 少し考えれば分かることだったんだろう。


 ちくり


 ちくり


 痛みが走る。


 栗原の言葉を、頭では分かっていても、まだ、心が拒んでいる。


「疲れたな」


 僕はそう呟くと目を閉じた。

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