第12話 あの時の
(栗原真由side)
「なによ、あいつ」
私は非常階段であいつと別れたあと、むしゃくしゃ気分でいる。そこら辺にあるものを片っ端から投げたい。
「関わりたくない」
それがなんだ。
それならそれでもいい。
でも、それをはっきり自分の口から、遥香に伝えるべきだ。
少しは可能性がある、なんて期待を持たせるようなことをするな。遥香は、あんなに頑張っているのに。
思い出せば出すほどイライラしてくるのを止められない。
私だって遥香がいなければ、あんなやつとは関わらなかったんだ。
周りにいた友達は、そんな私の雰囲気を察しているのか、話しかけて来ない。
それならそれがいい。いま、話しかけられると、友達に当たりそうになるから。
がらりと教室の扉が開き、あいつが入ってきた。
目があった。
私はあからさまにぷいっと視線を外すと、あいつも何事も無かったようにすっと視線を逸らし、自分の席へと座った。
それから、私は遥香へメールを打った。
「今日、放課後に話しがしたい」
すぐに遥香から良いよと返信がくる。時間と待ち合わせ場所を指定した。
そして同じ部活のクラスメイトへ、今日は外せない用事があるから、部活を休むと伝えた。
放課後になると、私は急いで待ち合わせ場所に指定したバス停へと向かった。
小雨の降る中、赤い傘をさした遥香が先に着いて待っていた。
「ごめん、お待たせ」
遥香はふるふると首をふって、
「私も今来たところ。一緒に帰るのって久しぶりだね」
と、ふわっとした笑顔でそう言った。
「今日、時間ある?」
「うん、大丈夫」
「それなら、市内に行かない?」
実際、ここもO市の市内なんだけど、私たちは、O市の中心部のことを市内と呼んでいる。
「分かった、良いよ」
私たちは、取り留めのない会話をしながらバスを待った。
しばらくすると、先の方から、バスがやってくるのが見えた。バスはゆっくりと私たちの前で止まると、ぷしゅっと音を出し、扉が開く。
バスに揺られ、いつも降りるバス停を通り過ぎて、市内の中心部へと向かった。
さすが市内。
私たちの町とは人の多さが違う。
私たちは、O市にある私鉄駅前にあるハンバーガーショップに入った。
私はベーコンチーズバーガーMセットとナゲット、遥香はポテトと苺のシェイクをそれぞれ持って、二階の窓際へと座った。
窓からは、色とりどりの傘をさした人たちが、足早に歩いているのが見える。
「真由、そんなに食べたら夕ご飯入らなくなるんじゃない?」
「大丈夫、大丈夫。成長期だから」
と、何が大丈夫か分からないけど、ナゲットを一つ口に入れる。
そんな私を見て遥香がにこっっと笑った。
「真由は、昔から食いしん坊だったよね」
「そうだったかなぁ」
「そうだよ」
私たちは二人で顔を見合わせて笑った。
昔から変わらない可愛い笑顔だ。
人見知りで、大人しくて、引っ込み思案な遥香。
そんな彼女がここ数日間、あいつにだけどとても積極的になっている。他人の目を気にせずに。
あいつは遥香の思っているようなやつじゃないのに。
私が黙っているのを、遥香が不思議そうに見ている。
「あのさ……遥香。」
「なに?」
「あれから、あいつとどうなったの?」
遥香はびくんとして、私から顔を背け、下を向いてしまった。
「……うん、挨拶だけしてる。」
「知ってる。何度か見かけたから」
「そっか」
遥香はストローの入っていたビニールの袋を指先で触ってもじもじしている。
彼女にとって普段の何気ない挨拶でさえ、とても勇気のいる行動なんだろう。
「あいつさ……遥香のこと、思い出したって言ってたよ」
私のその言葉に、遥香はぱっと頭を上げ私を見た。
「ほ、本当に?」
「今日の昼休みに聞いた。県大会の会場であったことがあったんだね」
遥香の顔がみるみるうちに明るく、嬉しそうな表情へと変わっていく。
「私……あの時さ、試合前に一人になりたくて、体育館の外にあるベンチにいたんだ」
「あの時の私たちって、キャプテンだった遥香に色んなこと押し付けてたもんね」
「違うよ、私がね弱かったの。プレッシャー感じて……逃げ出したの」
遥香はストローで苺シェイクをかき混ぜ、一口飲んだ。
「その時にね、あの人とあったの」
彼女は、苺シェイクのコップを両手で持ち、伏し目がちにぽつりぽつりと話しだした。
「あの人は、私の心の中の思いを、ただ聞いてくれた。嫌な顔せずに。そして、私の背中を押してくれたの。だから、あの試合は、真由たちと一生懸命、悔いを残さず頑張れた」
私は話している遥香を見ながら、その当時のことを思い出していた。
遥香はキャプテンとして、ポイントガードとして、私たちを引っ張ってくれていた。普段はあんなに控え目で大人しい遥香が。
そんな遥香が一緒のコートの中にいる、その事だけで、私たちは心強かった。
的確な指示、私たちの持ち味を引き出すゲームメイクスキル…
他のチームからも一目置かれていた。
彼女がいなかったら、県大会なんて行けなかった。
逆に遥香がもっと強いチームにいたなら、一回戦敗退なんてしなかったと思う。
私たちは遥香に期待し、彼女は知らないうちに抱えきれないほどのプレッシャーを感じて……
そんな遥香を救ったのが、背中を押したのがあいつだったなんて……
「試合も見ててくれて、終わったあと二階のスタンドから、手を振ってくれた時の笑顔が今でも忘れられないんだ」
あぁ、思い出した。
試合が終わって、遥香は二階に向かって手を振っていた。
そこに手を振り返し、笑顔で頑張ったねと声を掛けていた男子生徒。
あんな笑顔は今のあいつの姿から想像もつかないけど、間違いなくあいつだった。
「そっか、思い出してくれたんだ」
頬を赤くし、薄らと涙を浮かべた遥香の瞳。
「よかった」
消え入りそうな声に、私の胸はきゅっと締めつけられた。
あの日から、遥香はあいつのことを想い続けていたんだ。
でもあいつは、もうあの日のあいつじゃない。
あいつのことをよく知らないけど、他人との関わりを持ちたがらないやつが、頑なに拒むようなやつが、他人の悩みを聞き、受け止め、背中を押すようなことはしないと思う。
あれから、何があったのかは知らない。
今はもう別人だと思う。
多分、遥香もあいつが、あの日のあいつと変わったということに気づいていると思う。
「私の一方通行でも、私のことを好きになってくれなくても良い。変なやつだって思われても良い。ただ、あの日のお礼だけはきちんとしたいと思う。だから、私はあの人に直接伝えるよ。迷惑だって言われても」
そう言うと、遥香はポテトをもしゃもしゃと食べ始めた。
「そんな勢いで食べてると、喉に詰まるよ」
遥香はたくさん悩んで、頑張って、前に進んでいる。
あいつに、何があったんだろう。
人の苦しく辛い思いを受け入れ、背中を押せた、あの頃のあいつ。
人と関わりたがらず、頑なに拒み続ける、今のあいつ。
私は、あいつのことを知りたいと思った。
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