第11話 雨

 月曜日から三日間、雨が続いている。


 しとしとと雨の降る運動場を眺めている。


 教壇に立つ先生が何やら話しをしているが、僕はそんなことより今日も中庭に行けないことの方が重要だった。


 僕が学校の中で唯一静かに落ち着いて過ごせる場所なのに。


 一昨日と昨日は、屋上へ出る扉の前にあるスペースで過ごした。


 狭くて薄暗く、少し埃っぽい場所であるが、雨の日には誰も屋上へ来ないことを見越して選んだ場所だ。


 教室からの移動距離も、中庭より近い。


 今日もそこへ行くかなぁなどと考えていると、そう言えば、図書室で借りた本の返却日が今日までだと言うことを思い出した。


 本は、鞄の中に入れてあるので、返すこと自体には問題はないのだが、もし、図書室へ返却しに行った時に、図書委員が山川遥香だったら、なんて考えると気が重たくなる。


 栗原みたいに、僕の空間にずかずか入って来た訳ではない。ただ、ここ数日、挨拶をしてくるようになっただけの女子。だけど、僕の心の奥底から、忘れていた事を、ぐいっと遠慮なく引っ張り出した。


「あんたの意思なんて関係なしに関わっちゃたね」


 別に山川遥香に対して、特別な感情なんて起こってもない。あの時を思い出しても、懐かしさなども感じない。


 僕は教科書へ目を向けると、ページの上にある空白を鉛筆でぐしゃぐしゃっと意味もなく黒く塗りつぶした。


 かっかっかっと、チョークで黒板に文字を書く音がやけに響く。


 隣の席のクラスメイトは、その黒板に書かれていることを、一生懸命ノートに写している。


 下を向いたり、前を向いたり、何かの玩具のような動きをしている。


 僕は隣の席のクラスメイトから、窓の外へ視線を移し、僕は欠伸を噛み殺しながら、雨雲で暗く低い空を眺めた。


 そう言えば、栗原も山川遥香と同じ中学のバスケ部だったんだよなぁ…


 ちらりと栗原の席の方に視線を向けると、栗原は授業を聞かずに、窓の外をぼやっと眺めている。


「栗原、ぼやっとせずに授業に集中しろ」


 教師から注意された栗原は、えへへと笑い誤魔化している。そんな様子をみたクラスメイトも笑っている。


 静かだった教室が、一瞬明るくなった。


 午前中の授業も終わり、コンビニの袋と図書室へ返却する本を持って席を離れようとした時、廊下の方から、栗原が僕へ手招きしているのが見えた。


 僕はあからさまに嫌そうな顔をして栗原を見たが、そんな僕の態度など私には関係ないという素振りで、先ほどよりも大きく手招きをした。


 そんな栗原の思惑に乗ってたまるかと、わざと栗原のいない方の出口から教室を出ると、栗原がいる方向の逆に向かって歩き出した。


 もちろん、耳にイヤフォンをさして。


 イヤフォンはさしただけで音楽は聴いていない。これは栗原の声は聞こえないよという、僕なりのアピールのつもりだから。


 たたたっと、急いで駆け寄ってくる足音が聞こえる。


 栗原は僕の隣に並ぶと、耳を塞いでいるイヤフォンをすっと外した。


「無視しないでよ」


 僕はちらりと栗原の方に視線を向けたが、特に言うこともなく、外されたイヤフォンをもう一度、耳にさした。


 栗原の眉間に皺がより、いらっとした表情に変わったのが分かった。


「無視しないでって言ってるでしょっ」


 栗原は僕の前に回り込み進路を塞ぎ、大きな声で言った。


 突然の大声に廊下を歩いていた生徒たちも、ぎょっとしてこちらを見ている。


 僕と栗原は、沢山の生徒の注目の的になっている。


 そんなことなど眼中に無いといった様子で栗原は、僕の耳からまたイヤフォンを外した。


「人が呼んでるのを分かって、そんなことするなんて、あんたの性格悪すぎじゃん!!」


 かなりご立腹な様子が見て取れる。


 僕は困ったなと思い頭をぽりぽりとかきながら、栗原の顔から視線を逸らした。


「ちょっと話しがあるんだけど」


 栗原が僕の袖を引っ張り連れて無理やり行こうとする。


「無理だって……今から図書室にも行かなきゃいけないから」


 そう言って栗原の手を振り払うと、栗原は僕の方に振り返り、


「少しだけでいいから」


 と言った。


 僕と栗原は図書室近くの非常階段に行き、二人並んで階段に座った。


 僕はコンビニの袋からおにぎりを取り出し、封を開けるともしゃもしゃと食べ始める。そんな僕の様子を横目に、


「遥香が毎日、あんたに挨拶してくるのどう思ってる」


 と、やっぱり山川遥香の話題を振ってきた。


「悪いけど……どうも思わないよ。」


 僕は手に着いた海苔の切れ端をぺろりと舐めながら答える。


「そっか……ところであんた、以前に遥香とどこかで出会ったことある?」


「……あるよ。中三の夏、県大会の会場で」


「県大会の会場?」


「うん、そこで少しだけだど、山川さんと話したことがある」


「あんた、バスケしてたの?」


「少しね。でも、全然覚えていなかったよ。思い出したのは最近かな」


 コンビニ袋に食べ終わったゴミを入れて、袋の口をきゅっと結すび、ポケットに入れた。


「とりあえず、変な気を持たせないで、きちんとあんたの気持ちを遥香に伝えてよ、メールでも良いから」


「連絡先知らないし」


「メモ渡したじゃん」


「貰ったその日に捨てたよ」


「なんで?」


 栗原は驚いた様子で僕の方を見ている。


「言ったろ、関わりたくないって」


「……だからって」


「俺はこんなやつなんだよ。だから、もうほっといてほしい」


 もう、本当に関わらないでほしい。そんな僕の思いをのせて言った。


 それが通じたのかは分からないが、栗原は無言で下を向いている。


 僕は立ち上がりそれじゃと一言掛けると、図書室の方へ歩き出した。


 栗原はもう僕を追ってくることもなく、僕は図書室へ本を返却することができた。


 図書委員は幸いに男子生徒で、次に借りて読みたい本もなかったので、そのまま図書室を後にした。


 図書室から教室へ向かっていると、数冊の本を抱えた女子が少し俯き加減で歩いてくるのが見えた。


 黒く真っ直ぐな髪をしている。俯いているので顔は見えない。


 女子とすれ違う。


 普段の僕ならそのまま通り過ぎるんだろうけど、なぜか、僕はその女子の方を振り返った。


 女子はそのまま真っ直ぐ図書室の方へと歩いて行く。


 ちくり……


 いつもの痛みが走る。


 僕は気を取り直し、再び教室へ向かい歩き始めた。


 女子が僕の方へ振り返り見ていることを気付かずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る