第19話 今日も記憶がない

虚弱体質で内向的なくせに、3才あたりから限界こえるまで頑張るタイプだ。なぜだ。大人になったのだから、もう少し調整しろと言いたくなるが、性格なのか変わらない。



疲労の限界がくると、時々、私は記憶がなくなる。まだ認知症ではないと思う。たぶん。



幼稚園の時、母親が月1でベターホームの料理教室に通っていたらしい。らしいと言うのは、幼稚園児の私には、母親がどこかへ消える日でしかなかった。




よって、軍隊式の厳しい子育てをする父親と土曜日の夜は2人きりだ。



いつも玄関から、少しお洒落をした母親が出て行き、冷たいアパートのドアをずっと見ていた。



とりあえず、幼稚園児の私が歩いて徒歩5分の場所に故人の祖父母も住んでいて、近所には、お友達と頼れるお友達のご両親もいる。



私はなんとか母親が消えても生きていける事を確認した後、記憶がなくなり、布団の中で横になっていた。



なぜ血族のそれも実父がいるのに、生きていくために祖父母とお友達のご両親を心の支えに幼心に思ったのか。



そして、たぶん夕食を食べ、お風呂に入り、パジャマを着て布団に入ったのにいっさいの記憶がない。



3才くらいでどれだけ心労なんだ、私。



拍車をかけるように、ある土曜日、生存競争を生き抜く確認をし、記憶をなくし、布団の中で眠っていた。



その頃から私は眠りが浅く、狭いアパートでの異常な静けさに、自衛隊なみの早さで飛び起きた。



和室でワープロ(当時はパソコンがなかった時代)を打っていたはずの父親の姿がなく、テーブルの上でワープロだけが無機質な音を立てていた。



その時、幼稚園児の私が1番に思った事は、大人になってから親に話しても笑われる。



「捨てられた!私は捨てられた!」


なぜだろう・・・幼稚園に普通に通い、異常に厳しいものの両親もいるのに、父親から他人を頼るなと叩きこまれた私は、捨てられたと本気で思い、とりあえず、1人でも生きていくために、夜の近所へ駆け出した。




海外なら、親が罰金ものだ。だが、ここは法治国家の日本。とりあえず、生きていかねば。と思った私は裸足で外を走り始めた。



今思えば、祖父母の家の方向に走っていた。向こうからなぜか笑いながら父親が来る。



「ゴミ捨ててきただけだよ、裸足でなにしてるの、あはは」

あはは、じゃない!捨てられたと思った幼稚園児の私は、さすがに大泣きした。またその後の記憶がない。



それから、辛いことがあるたびに、時をかける少女の逆バージョンで私は記憶がなくなる。



親の病院で疲れたひどい時なんかは「昨日の夜は何、食べたっけ?」と母親に聞き驚かれる。



もう故人が入所していた特養に入って3食つき、月1で内科の先生つきで、余生を読書でもしながら、ゆっくり生きたいくらいだ。



しかし、まだ残念ながらその年齢ではない私は、三つ子の魂百までもを実行し、疲れて限界を越えると、あれ?時間すぎたけど、私は何をしていたっけ?と今日も記憶がないのだ。






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