第15話 今日も祖母が好き
戦後生まれの故人の祖母が父親を戦争で亡くしたのは10才の時。
祖母の母親(私にとっては曾祖母)のお腹の中には5人目の妹がいた。
祖母は12才にして父親に代わり働きだした母親の代役として、末の妹の赤ちゃんの世話をし、残り3人の兄妹の面倒を長女としてみた。
16才で親戚のつてで帽子屋さんの店子さんとして働きに東京に出た。何だかジブリのハウルっぽい。
25歳の時に、私の祖父となる人とお見合いをして結婚。のちに私の母親となる長女が産まれる。
12才から赤ちゃんから兄妹4人の面倒を見て、男の子を育てるには女の子より大変だと経験上知っていた祖母は、私の母親の妊娠が分かった時から、母親のお腹に向けて念仏のように唱えていたと言う。
「絶対!この子は女の子よ!」
母親のお腹の中で細胞分裂を繰り返し、男女の性別が別れる日に、私は祖母の執念ともよべる気合いに負け、初孫の女の子として産まれた。
ど田舎の大家族育ちの父親は、男の子を望んでいたようだが父親の祖母もすでに初孫は男の子がいたため、喜んでいたらしい。
産婦人科にエコーもない時代に、
すさまじいおばあちゃんパワーだ。
出産で、疲れきりボロボロになっていた母親を横目に祖母は私を見るなり大絶賛してくれたそうだ。
「指が長くて綺麗な子ね、これは祖父に似たのかしら将来ピアノとか弾けるかも。口がが可愛いのはお母さんに似たのかしら、足がしっかりしているのは私ね」
母親から聞かされた、私が産まれた日の祖母の話だ。
よく考えたら軍隊式の父親がいないが、それはさておき(おくな)
私は、とにかく祖父母に可愛がられた。
初孫、女の子、普段はお金を使わない祖父は、七五三の着物屋さんのかもにされ1番高い着物を買ったそうだ。
私が幼稚園から冷めていたのにも関わらず、祖母は当時は珍しく金歯を入れていて、30代から頭皮がきていた祖父は、すでにハゲていた。
私が幼稚園の時、祖父母の家が近く、よく休みにお昼を母親と一緒に食べた。
冷めながらも、まだ私は純粋で子供あるあるの残酷さを持ち合わせていた。
祖母に向かってニコニコしながら「きんば、キラキラ、キラキラ!」と無邪気に笑い。
祖父に向かって、窓から差し込む光があたる祖父の頭を見ながら「ハゲ♪ハゲ♪つるつる光る!」と無邪気に笑っていた。
何がつるつる光るだ。大人になった今、祖父は20年前に亡くなっているが、土下座して謝りたいほどの無邪気さだ。
祖父母はと言うと、私がきゃっきゃはしゃいでいるのを見ながら穏やかに笑っていた。
私をあれほど愛してくれた二人はいないと思う。
小学生に上がり、転居と転校をよぎなくされた私は祖父母の家に行くのは減ったが、帰りにスーパーの袋にこれでもかと言うほどの駄菓子とお菓子を詰め込んでくれ、持たせてくれた。
軍隊式の父親はケチで、お菓子なんて週1で1つ食べられたら良いほうで祖母にもらったお菓子を私は1週間かけてチビチビ食べた。
いまだに駄菓子や素朴なお菓子が好きでしょうがない。
中学生になると、夏休みに泊まりにくる私に夜眠る前に、ポツリポツリと昔の話をした。
「戦後は食べるものがなかった 、お母さんに甘えられなくて寂しかった、お見合いはしかたなかった」
最後が1番気になったが、私は聞かないふりをした。
祖父も少年兵としてシベリア抑留者として命からがら日本に帰ってきたが、多くを語らず、この世を去った。
母親が入院中、特養にいる祖母に心配かけまいとしていたがある日、母親の手術代や入院費が重なり、お金が底をついた。
普段は意地でも愛想笑いをする私の一瞬のどす黒さを祖母は見逃さなかった。
「何か、困ってるの?」
祖母の言葉にせきをきったように私はお金がないと泣いた。
あまり泣かない私に少し驚いた祖母は、祖父が残した貯金を使いなさいと理由も聞かずに言った。
「お金は、お腹が減っても食べられないんだから、使いなさい」
この言葉は、生涯私の心に残る。
結局、お金は生活費を切り詰めいらない物を売りさばいて、祖父の貯金には手はつけなかった。
祖母は、3年前に老衰でなくなってしまったが私は今でも祖母が大好きだ。
どんな大恋愛にも勝てないほど、今日も私は祖母が好き。
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