第6話 今日も人の家のご飯が苦手
子供の頃から、人見知りにオプションのように私の性格についてきたのが、人の家のご飯が苦手だ。
私を可愛がってくれた祖母と、結婚してから料理を最初は3時間かけて作っていた母親の2人の料理を見るのも食べるのも好きで、調味料が何かまでを覚えている。
ちなみに、私を軍隊式に育てた父親は驚くほど味覚音痴なため、料理の内容も味すら覚えない。
祖母は、戦中産まれで、10才にして父親を戦争で亡くし母親の代わりに4人の兄妹を育てた。
祖父と結婚するまで10代の若さで兄妹の育児に家事に料理に追われる生活だった。
戦後は、食べるものもないため少食ながらも孫の私には、食べろ食べろと言ってくれた。
祖母の料理、母親の料理、両親共働きで中学生から孤食になり始め、時々、料理もどきを自分のために作りだした自分の料理。
家の料理はけっこう食べられたが、小学生の私は母親の友人の家に母親と泊まりに行った時に知ってしまう。
私は人の家のご飯が食べられない事を・・・
火サスの犯人がバレた時の音楽が、脳内で流れたほどだ。
母親の友人は、白が好きで、外装も内装も白一色。
子供の頃から体が弱く、よく病院のお世話になっていた私には、母親の友人の家がすでに病院を意識させ、緊張した。
なぜか、辛すぎたせいか午前中の記憶がない。母親の友人の子供達も姉弟のせいかフレンドリーすぎてついていけない。
ここは、海外だ。
血迷った小学生の私は、自分にそう言い聞かせた。
しかし、甘かった。
夕食の時間が来ると、ダイニングテーブルに呼ばれ、私は固まった。
テーブルも白、壁も白、皿も白。
海外じゃない。きっと修道院だ。そうだ。違う。私の想像力も疲労と子供達のフレンドリーさに、すでに限界を越えていた。
楽しそうに話す母親と母親の友人とフレンドリーな子供達の中で、お通夜のような顔で席についたのを覚えている。
さらに、追い討ちをかけたのが母親の友人が白い皿に乗せたよく言えば前衛的な、悪く言えばよく内容が分からない夕食だ。
笑い声が絶えない食卓で、1人お通夜の帰りのような顔をして食べる小学生は、見向きもされなかった。
お皿に乗った前衛的な母親の友人の夕食を前に途方にくれ、私は頭をフル回転させながら、自分が食べられそうなのを探した。
あった、何だか分からない魚の上に何だか分からないが、野菜らしきものが乗っていた。
一口、なぜか日本であるにも関わらずフォークとナイフがありフォークで食べる覚悟をした。だって、ここは修道院だから。
食べた途端、私は一瞬疲れも手伝って気が遠のいた。普通の野菜と思っていたものは、前衛的なスパイシーな野菜で、噛んでも噛んでも喉を通らない。
だって、祖母も母親も私も和食、せめて洋食しか作らない。前衛的な料理には出会った事がない。
そして、私はその後の記憶がまたない。人の脳は、強烈な嫌な事に対しては記憶を飛ばすという素晴らしさを教えてくれた料理だ。
二泊三日の修道院の、否、母親のフレンドリーな友人と子供達に見送られて、旅は終わった。
あれから、私は今日も人の家のご飯が苦手だ。
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