第5話 今日も感受性豊か
子供の頃から、周囲も認める感受性が豊かで、絵本を読んでは泣き、母親が入っていた朗読ボランティアの朗読で泣き、今では放送されていない世界名作劇場のアニメで泣き、映画で泣く子供だった。
泣きすぎだ。
特に、映画。
幼稚園の時に友達の姉妹と母親達と見に行った「後ろの正面だあれ」で最後、大号泣した。
幼な心に戦争は、ひどい。家族は大切と思い大号泣し、となりの友人達もこんなに凄い作品で泣いているだろうと思って横を向いたら、年子の姉妹はきょとんとしてエンドロールを観ていた。
えっ?
この私の姉妹に対する感想は、今でも変わらない。
次に、ディズニーの「アラジン」を小学生の時に、幼なじみの女の子と母親達と見に行った。
こんな素晴らしい愛が、この世界にはあるのかと感動して横の幼なじみを見たら、半目でつまらない顔をしていた。
えっ?
この彼女に対する感想も(以下省略)今では彼女は三児の母親だ。
感受性が強いと現実が遠のくのだろうか?
今は亡き叔父とお正月に観に行った、「タイタニック」人生が若くして辛かった私は、ハッピーエンドの映画を好んだが、監督ジェームズ・キャメロンには、驚かされた。
それぞれの視点から2つ、細かく言えば3つのラストが用意されていたこの作品は、私の今までの映画の概念をくつがえした。
3時間越えの映画は、あっと言う間だった。
お正月と言うことも、大好きな叔父がいたこともあり浮かれていた私は、珍しく大きな声で「凄い映画を見た!感動した!でも最後は意外だった!」を連呼した。
叔父はいつもニコニコしていたが、その叔父から衝撃の言葉が出る。
「まあ、人生そんな事もあるよ」
えっ?
私は大好きな叔父を2度見してしまった。
大人になり、商売をして人間の嫌な面まで見てきた叔父にしてみれば、「タイタニック」のような人間関係は、現実で嫌になるほど見ていた。
しかし、当時の私の心はタイタニックより早く沈没していた気がする。
この感受性豊かな、私が周囲をドン引きのドン底におとしいれた映画がある。
当時も今も岡田准一さんのファンの母親と観に行った「SP 劇場版」だ。
アクションが好きなのもあり、ドラマは観て映画も観ていたが最後の映画だけは、母親と映画館で観に行った。
最初は、アクションがカッコいいと思っていた私は、自分の辛い人生をだんだん堤真一さん演じる役の人生に重ね合わせ、最後の場面で、自分でも驚いたが、嗚咽をもらして泣いていた。
えっ?
横にいた母親が、ドン引きしていた。
お酒の席で、先に酔われると酔えないとよく世間では言われているが、私の右隣、前後に座っていた男女の観客がドン引きして私を観ていた。
私ではなく、映画を観て欲しい。
涙を止めようと焦った矢先、映画が進み、膝から崩れ落ち泣き崩れる堤真一さんが拍車をかけた。
また私が嗚咽をしながら号泣するので、母親が映画どころではなくなり、私にティッシュを次から次に取り出し、渡す作業が続いた。
その映画館の教訓から、私は大号泣しそうな映画は自宅で見る事にしている。
そして、私は今日も感受性が豊かなまま泣いたり落ち込んだり微笑んだりして、生きている。
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