第28話 2020年3月12日(木)


「こんにちは」

「うす」

「いらっしゃい」

 ドアを開けた日向に智草と樹が挨拶した。

「山田は?」

「もう来てるよ」

 三人が廊下を歩くとトイレから出て来た悠斗と鉢合わせた。

「樹、おはよ」

「よっ」

「悠斗くん? しばらく見ない間に大きくなったね。もう見下ろされてるよ」

 悠斗は久しぶりに会った親戚みたいな言い方に戸惑っていた。

「私、智草」

「ちぐちゃん?」

「そうそう、思い出してくれた?」

「久しぶり。しばらく見ない間に小さくなったね」

「ははは。逆だって、君が育ちすぎ」

「ずいぶん変わったね」

「そお? そんなに変わったつもりはないんだけど」

「雰囲気かな」

「どんな風に見えるの?」

「明るくて感じが良い」

「ありがとう。って、前は暗くて感じ悪かった?」

 智草が笑顔で言った時にちらっと樹の方を見た事を悠斗は見逃さなかった。

「ふ〜ん、そういう事」

「何が?」

「何でもない」

 三人が階段を登って行くのを確認すると、悠斗はスマホからメッセージを送った。すぐ回答が来た。送った相手も暇なようだ。

『葵』

『何?』

『樹がウチに来てる』

『今日はそっちに行ってるんだ』

『今日は?』

『昨日はちぐちゃん家に行ってたみたい』

『やっぱりそうなんだ』

『何が?』

『できてない?』

『あの二人? そんな感じはないな』

『一方通行かな?』

『分かんない。でも夜になると布団の中で誰かと長電話してるんだよね。あれは多分女だよ』

『まじ? やっぱりそうなんじゃない?』

『ないと思う。この前二人で帰って来たのを偶然見たけど感じる物がないんだよね』

『二人で帰ってくるとか怪しくね?』

『うーーん。昔そんなに仲良かった記憶ないんだよね』

『急接近。それでしょ』

『でも何かがそういう感じじゃないんだよね』

『エモがない?』

『うん、感じられない』

『やっぱ一方通行か』

『それなら毎晩深夜まで電話しないでしょ』

『それは彼女くさいな』

『あれは別の女だね』

『ちぐちゃんは遊びか。樹モテるな』

『樹がモテるとか有り得ないし』

『でも本命が別にいるんだろ? 誰?』

『不明。私のレーダーに全く引っかからない』

『ステルス女がいるのか』

『樹の交友半径なんて狭いし、仲の良い女の子なんて多くないから絶対知ってるはずなんだけど』

『まるで引っかかって来ない?』

『全く』

『二次元?』

『モテるよりは可能性ありそうだけど、あれは人間との会話だと思う』

『出会い系?』

『それって電話で会話するためのものなの?』

『分かんないけど、樹が女子と知り合う機会なんて他にないだろ?』

『そうなんだよね。学校は休校中だし、怪我してからは道場にも行ってないし』

 その時、葵の頭に可能性が浮かんだ。

『もう一ヵ所あった』

『どこ?』

『病院』

『六十才年上の彼女? 孫じゃん』

『いるのは年寄りだけじゃないよ』

『でもそうなったらもう知る方法がないな』

『知り合いがいるから聞いてみる』


「香澄ちゃん、来たよ」

 智草が香澄を見るなり抱きつく。戸惑いつつ香澄は短く言った。

「おはよう」

 香澄の耳元で智草が小さく言った。

「試合開始。がんばろうね」

「う、うん」

 香澄の緊張感が一気に高まった。この試合は何が出てくるか予想がつかない。

「座って、座って」

 部屋に置かれたテーブルの上には既に四つグラスが用意されており、日向はペットボトルからお茶を注いだ。智草は香澄の正面、樹の隣に座った。自然と残る場所に日向が座る事になる。

「こうやって見ると変な取り合わせだよね」

 智草が嬉しそうに言う。

「そお?」

 香澄が警戒気味に言った。

「だって私達はこの二人とほとんど縁がなかったじゃない」

 智草は少し事実を曲げて言った。

「私なんて最近の話題に着いて行けなかったよ」

「何の?」

「色々あるんだなって」

 智草の回答は曖昧だったが、樹と香澄は承知していた。

「私、浦島太郎だから誰がどうなってるのか全く分からないんだよね」

 全て真実ではないが、完全に嘘でもなかった。

「樹くん」

 樹に向き直ると唐突に聞いた。

「彼女いる?」

 少々強引だが構わなかった。入口さえ突破してしまえば話は無限に広がってゆく。

「三十人くらい」

「寒いっ」

 すかさず香澄が突っ込んだ。

「外を走って来い。三十キロ」

「そんな短距離じゃ暖まらない。二次元?」

 確かに最近さくらとは画面越しにしか会っていない。ある意味香澄の言う通りだ。

「はい、お約束ありがとう」

 智草が笑顔でカットを入れた。

「じゃあ、好みのタイプは?」

「そうだな」

 樹は窓の外を眺め、さくらを思い浮かべた。

「髪はストレート。白ニットが似合って少し小柄。普段はニコニコしていて笑顔が可愛い。弱っている時には優しくしてくれる。時々切れ出すけど、その後子供みたいに謝る」

「ずいぶん具体的だね」

 日向が感想を述べた。その時樹は視線に気付いた。香澄が目を見開いてこっちを見ていた。

「何だよ? 好みでそこまで引くなよ」

「この……妙な事したら埋めるからね!」

「はい。じゃあ次は日向くん」

 智草が慌てて日向に話題を振った。

「え、俺?」

「彼女は?」

「いると思う?」

「分からない」

 智草が笑顔で言う。明言を要求していた。

「いないよ」

「じゃあ、彼女にするならどんなタイプ?」

 樹の時よりも具体的な質問になっていた。

「え〜、分からないよ」

「じゃあ、まず美人系と可愛い系だったら?」

「可愛い系かな?」

「理由は?」

「美人は恐れ多くて落ち着かない」

「リラックスできる相手がいいって事だね」

「そういう事なのかな。でも緊張する相手って誰もが無理じゃない?」

「それは確かにそうだね。じゃあ背は?」

「極端なのは駄目だけど、正直そこに拘りはないかな」

「何でもあり?」

「うーん、敢えて言えばあまり極端な身長差はちょっと」

「日向くん高いもんね」

「脇の下や鼻の穴は勘弁して欲しいからね」

「何それ?」

「ね、山田」

「そうだね。それはちょっと耐え難いかも」

 香澄も先日の葉月の話は記憶に新しい。

「じゃあ割と背の高い子の方が良いんだね」

 樹は智草の目が光ったような気がした。

「髪型は?」

「特に考えた事ないな。正直どうにでも変わるし」

「女子の苦労を踏みにじる発言だね。彼女には言っちゃ駄目だよ。じゃあ性格は?」

「悪いのは嫌だけど特にこれって言うのがないな」

「じゃあ大人しくて聞き上手な子と良く話す子では?」

「うーん、大人しい子だとお互いに無言になっちゃうかな?」

「日向くんは聞く系男子だもんね」

「結果としてね。あまり話すネタを持ってないだけなんだよね」

「そんな事ないよ。日向くんが相手だからついついしゃべっちゃうって事だよ」

「壁役だね」

「別に何かして欲しい訳じゃなくて、単に誰かに聞いて欲しいだけって子は多いんだよ」

「聞くだけでいいんだ。そんな簡単でいいの?」

「それが出来る男の子って意外に少ないんだよ」

「そうなの?」

「日向くんは支えて応援してあげるタイプなんだよ」

「大げさだよ。聞いてるだけで何もしてないよ」

「ううん、それはとても希少な資質だよ。がんばっている子を応援したいとか思う事ない?」

「それはあるけど、がんばっているっていう言い方に何となく反発を感じるんだよね」

「努力ポルノにムカついてるんだろ」

 樹が横から言った。智草は単語の意味を一瞬で掴んだ。

「それかな?」

「それだよ、日向くんは人に頑張れって言わない。努力する子を自然に応援する事はあっても、それを要求なんかしない。人間だから疲れる時はあるし、落ち込んだ時に頑張れなんて言われても増々疲れるだけだよ」

「うんざりするよね」

「疲れ切った人間にもっと頑張れなんて相手の事を考えずに自分に酔ってるだけだよ。日向くんならなんて言う?」

「充分がんばったと思うなら、休めばいいんじゃないの?」

「それだよ、その癒し力」

「大げさだよ」

「日向くんは頑張る系女子にもの凄く向いてる子なんだと思うよ。日向くんが後ろにいてくれると思うだけでその子は限界まで頑張っちゃうよ」

「役に立てるのかな?」

「もの凄く。日向くんじゃなきゃ出来ないんだよ。胸張って」

「話を聞いてるだけで何もしてないのにそう言われてもねえ」

「過程じゃなく結果で考えて。日向くん自身が何をどれだけやったかの問題じゃないの」

「うーん」

「日向は人の数十分の一の努力で人並み以上の結果が出るから、自分は何もした事がないって感じるんだよ」

 樹がそう言うと、香澄が無言で頷いて同意した。

「でも、そのせいで達成感が得られないから自信が持てないんだろ」

「そうなのかなあ」

 日向は納得していない。

「やり切った感っていうのは自己肯定感の源泉なんだよ。それが自信の元。そういう話するなら私しかいないでしょ」

 香澄は自信満々に言い切った。

「出た。脳筋」

 樹がいつも通りに突っ込んだ。

「そこは同意する所でしょ」

「まあ、確かにその通りだとは思うよ。これ以上は無理って限界まで追い込んで、それでも最後まで折れなかった自分を誇りに思えると、それが自信になる」

「じゃあ俺もいつか壁にぶつかるまで続けなきゃいけないの? 気が滅入るなあ」

 日向の口調がうんざりしていた。

「鵜呑みにしなくてもいいんだよ。脳筋は自分がやるって発想しか持ってない人達だから。そればかりが能じゃないよ。日向くんの強みは別の場所にあるでしょ」

 さりげなく智草に掃いて捨てられた事に気付いたが、脳筋二人は何も言わなかった。

「何かを目指す人を応援して高みに導く力」

「人にやらせて自分は何もしないって?」

「役割が違うだけだよ。日向くんは酸素みたいな物なの」

「酸素?」

「酸素はそれ自体は燃えないけれど、酸素がなければ物は燃えないでしょ。自分は燃える事ができなくても、人の燃焼を助けるのが酸素」

「上手いこと言うね」

 香澄が関心して言った。

「ははは、思う所を言っただけだよ」

「確かに」

 樹も同意した。

「だから日向くんにふさわしい子は、日向くんに支えて欲しいと思っている子、日向くんが支えたいと思う子」

「うーん」

「納得?」

「そんな気がしてきたけど、何かピンと来ない」

「イメージが沸かない?」

「そうだねえ。そんなに人の助けになっている自分が想像できないかな。人から必要とされている姿が思い浮かばないって言うか」

「なるほど、そこな訳ね」

 智草の目がまた光った。


「結局あれで良かったのか?」

 帰り道で樹は智草に聞いた。

「今日の所は」

「何か分かった?」

「香澄ちゃんから心から必要とされている、そういう自覚がないんだよ」

「そうかな」

「自分に自信が無いから。本心では予感はあるんだと思う。でも、もしかしたら勘違いなんじゃないかって気がして信じられないんだよ」

「それはあるかもな。どう打開したらいいと思う?」

「二つあると思う。一つはそれが本当なんだって信じてもらう事」

「なかなか難しいな。二つ目は?」

「日向くんがどうしたいか。自分が本当はどう思っているのかを見つけてもらう事」

「さらに難しいな」

「一つ目は何とかできると思うけど、二つ目がなければ何の意味もないの。でも、内心の問題は本人に向き合ってもらわなければならないから難しいよね」

「何でそんな事に悩むのか俺には良く分からん。好きか嫌いかなんて考えるまでもなく最初に分かるだろう」

「世の中ストレートで分かりやすい人ばかりじゃないんだよ」

「そういえば、さっきさりげなく俺達のこと脳筋呼ばわりしなかったか?」

「ははは、気付いちゃった?」


「頑張る系女子なんて周りに一人しかいないよね」

「気付いてるんだか、気付いてないんだか」

「で、樹は何て答えたの?」

「さくら」

「バイネーム?」

「いや、特徴」

「どう言ったの?」

「言わないとダメ?」

「言って」

「本人前にすると、ちょっと恥ずいんだけど」

「言って!」

「髪はストレート。白ニットが似合って少し小柄。普段はニコニコしていて笑顔が可愛い。弱っている時には優しくしてくれる。時々切れ出すけど、その後子供みたいに謝る」

 樹は言った事をそのまま繰り返した。

「最後以外は完璧ね」

「言わなきゃ良かった」

「言って良いんだよ」

「赤面中だよ」

「……私もだよ」

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