第25話 2020年3月9日(月)
まだ早朝だが樹は既に起きていた。
「おーーい」
「少し音が割れてるけどちゃんと聞こえるよ」
画面の中のさくらが答えた。
「思ったより使えそうだな」
樹は耳の中のイヤホンマイクの位置をなおした。スマホのアプリ経由でさくらと話していた。今日の午前中はオンライン見舞いの第一回目だった。
「病院にWI-FIがあるとは思わなかった。面会時間外はこれで話せば良かった」
「いつでも自由に使えるようになったのは最近の事だよ」
「これ知ってれば夜にこっそり布団の中で話せたのに」
「破廉恥な患者がいるから開放しなかったんじゃない? ふふ……」
そう言いながらさくらは笑っていた。
「思い出した?」
「当然。布団の中に潜り込まれたのは後にも先にもあれだけだもん」
「楽しいでしょ」
「うん」
「友達同士でやっても楽しいんだから、俺達がやればもっと楽しいさ」
「友達とはしないような事もしたけどね」
「何の事かな」
「ふ〜〜ん」
「嘘、嘘。全部覚えてる」
樹は声を落として言った。
「感触とか、味とか、匂いとか」
「……この変態」
「そお?」
「なんだか言い方がやらしい」
「全部リアルでないと味わえない事なんだけどなあ」
樹が言いたい事はさくらにも分かった。現在の通信機器で運べるのは五感のうち視覚と聴覚に関する情報だけだ。触覚、味覚、嗅覚は伝わらない。どうしても生身のリアリティが感じられない。樹が言っているのはオンラインの物足りなさなのだ。
「まぁ、言いたい事は分かるよ」
さくらもオンラインにはない感覚が恋しかった。全てを鮮明に思い出せた。唇の感触と味が蘇り、すぐ近くに樹の体温を感じた。
「……昼間に思い出すとちょっと冷めるけど、その通りだね」
「そこは赤くなる所でしょ」
「朝からする会話じゃないよね」
「じゃ、この話は消灯時間後にするよ」
明るく振る舞っていても互いに生身の相手が恋しかった。直接触れて感じたかった。
智草は誰にも話さずにずっと抱えていた秘密をさくらに打ち明けた事ですっきりした気分になっていた。曖昧だった自分の気持ちが形を持ち始めているような感触があった。香澄に同窓会に誘われた日から丁度一週間が経っていた。あの日の事は今でも鮮明に思い出せる。
三月二日に香澄からVサインのスタンプが送られて来た。智草はすぐに返信した。
『合格おめでとう、凄いね』
『ありがとう。まさかだったわ』
『実力だよ』
『そう言ってくれるのは智草だけだよ』
『そんな事ないよ』
『絶対無理って散々イキった奴等に仕返ししてやる』
『ははは、お手柔らかにね』
『水野って覚えてる?』
覚えていない訳がなかった。智草はあの時の事を思い出し少しドキドキした。恐怖と安堵感、加えてそれ以外の何か。
『覚えてるよ』
『あいつ、無理とか落ちるとか散々言いやがってさ』
『ははは(汗)殺さない程度にね』
『そうそう、明日の夜ってヒマ? 同窓会名目で集まるんだけど顔出してみない?』
『私の知っている人達?』
『三分の一くらいは。やっしーも行くってさ』
『あ〜、懐かしい。日向くん元気?』
『見たらそのまま過ぎて笑うよ』
『樹くんは来るの?』
『どうだろ? あいつ最近まで入院してたんだよな』
『病気?』
『アホだから怪我した』
『相変わらずだね』
『成長しない奴』
『ははは、怪我中じゃ無理かな?』
失望感を出さないように無理に笑った。
『退院したんだから這ってでも来いって言っとくわ』
心強い回答が返ってきた。
『香澄ちゃんも相変わらずスパルタだね』
『あいつはそういうの大好きだから大丈夫。明日会った時に来るように言っとくわ。で、智草は参加でいいの?』
『もちろん』
『七時から駅近のボックス。明日連絡するよ』
『ありがとう。楽しみにしてるよ』
電話を切った智草は湧き上がる気持を抑えずにそのまま感じるに任せた。あの日は何も言えなかった。翌週の月曜日にいつも通り独り下駄箱で靴を履き替えた。校舎を出た所で樹に会うのではないかと期待したが、誰からも呼び止められる事なく校門に辿り着いた。もう後ろを気にする必要はない。一緒に帰る必要もない。初めて目に涙を浮かべながら校門を出た。結局、何も言えないまま数カ月後に卒業した。独り他の学校へ行き日々を過ごすうちに、淡い期待も後悔も徐々に遠い記憶となっていった。樹は気付いていなかったが智草は街で何回か樹を見かけていた。その度に胸に小さな痛みを感じていたが、今さら話しかける勇気も出なかった。これで後悔は終わりにすると決めた。クローゼットの引き出しを開け、薄汚れたハンカチを取り出した。ベッドの上に寝転んで目の前にハンカチを掲げて見た。元々は白かったのだが、血の跡が黄色く残っていた。あの日から一度も使わずに大事にしまってあった。そう、これで終わりにする。ハンカチを額に押し当て、勇気を与えてくれるよう祈った。
「うーーん。煮え切らない男だね」
コンサルタントの率直なコメントがイヤホンから聞こえて来る。
「あれってそういう意味だったんだ……?」
香澄が言った。
「自分がどうしたいか分からないっていうのはいかにも日向らしいな」
樹の声が続く。さくらとの通話中に葉月の連絡先を知りたいと香澄が割り込んで来たので、グループ通話に切り替えたのだ。
「樹に突っつかれてがんばってみようとしたけど、どうしたいのか自分でも分からなくなっちゃった感じ?」
「そう言われてみれば、そうだったのかも……」
「どっちもどっちだな、アホ。何でそこでうまく誘導しないんだ」
「仕方ないじゃん、何の話なのか言わないし。普通何か目標でも出来たのかと思うじゃん」
「何でも筋トレに結びつけるんだな」
「うるさい! 第一私が言葉巧みにやっしーを誘導できる訳ないでしょ」
「それは難易度高いな」
「本人がどうしたいか整理できてないんじゃ厳しいよね」
葉月が話を戻した。この二人は放っておくとすぐに脱線すると知っていた。
「マルでもない、バツでもないって。どうすればいいの?」
「明るい材料を挙げれば、まず香澄ちゃんの事は嫌いじゃないね」
「どうしてそう言い切れるんだよ?」
また樹が入って来た。
「樹は嫌いな子を家に上げる? それも毎日」
「それは絶対に無いな」
断言した。
「でしょ。これだけベッタリ付きまとわれても嫌がらないんだから、絶対に嫌いじゃないんだよ。むしろ好意を持っていると取っていいと思うよ」
「付きまとってるって……私ストーカー?」
「ある意味もの凄く」
樹に切られたが反撃する気力が無かった。
「でも好きって色んな意味があるよね。私はどういうポジション?」
「友達?」
樹がさらに切った。
「一番嫌なポジションじゃん。これでやっしーに彼女ができて嬉しそうに相談でもされたら、耐えられなくなって中退しちゃうかも……」
「ふ〜む、じゃあもし香澄ちゃんに彼氏が出来たら日向君はどう思うのかな?」
「……どう思うんだろ?」
「智草ちゃんの件もあるし、少なくとも女の子に無関心って訳でもないでしょ。これも考えようによっちゃ明るい材料だよね」
「何でよ? 辛かったんだけど……」
「男にしか興味ないって言われたら絶望だよ。あるいは趣味やスポーツに夢中で女の子に優先順位ない奴とか」
「それはないな。あいつ人生で何かを選んだ記憶がないなんて言ってたくらいだから」
「基本的にやる気のない子なんだね。そういう奴はやっぱり突っついて自分の気持ちに向き合わせないとダメだね」
「どうやって?」
「日向君に樹が気になるって言ってみたら? それで心がざわつけば気付くんじゃない?」
「ちょっと!」
さくらが割り込んだ。
「まあまあ、この二人なら間違いは起こらないからさ」
「はぁ? 水野?」
香澄が呆れた声で言った。
「あり得なさ過ぎて絶対に信じないよ。私とこいつじゃ」
「俺だって勘弁だわ。せめて選ばせろ」
「何を選びたいの?」
さくらが画面の向こうから睨んでくる。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
「は、身の程知らずにも私に告れって? 顔真っ赤にして足震わせてるんじゃないわよ!」
「このグリコーゲンとアミノ酸の塊を相手に? 学校の誰かに見られたらどうするんだよ。この街にいられなくなって引っ越すしかなくなるだろ」
また脱線が始まった。
「ん、ちょいちょい」
葉月が止めた。
「直接言っても信じない。学校の誰かに知れたらさらしものになる。それだよ、誰かを経由して耳に入るようにすればいいんだよ」
「そうね、確かに第三者から聞かされると信憑性が高くなるわね」
さくらが即座に話に乗った。樹本人に何かさせるよりはデマの方が遥かにマシだ。
「いや、マジでそれはやめてくれ……」
「私も水野と噂になるのは勘弁。みんな面白おかしく言いふらすし、そうなったらやっしーも完全に引いちゃうよ」
「うんうん。だから君達の学校に関係の無い人に協力してもらえばいいんだよ。そうすれば噂はシャットアウトできるでしょ?」
「え……? それ嫌」
葉月の意図を察してさくらが言った。自分が樹と直接会う事が出来ないで悶々としている最中に、智草が樹と二人きりで作戦会議している姿を想像した。
「じゃあ樹が智草ちゃんにこう言えばいいんだよ。最近香澄ちゃんからグイグイされて気になり始めているんだけど、どうしたらいいだろうって」
「それは素晴らしい案ね」
さくらが瞬時に同意した。牽制球には丁度よい。
「いや、待て待て。冷静に考えよう。その話を智草が日向にするって保証ないじゃん。下手すりゃ他の誰かに言われて拡散するかもしれないんだぞ」
「それは多分無いよ」
香澄が言った。
「あの子がこの辺りでそんな話をできるほど繋がり持ってるのは私達くらいだから」
「香澄ちゃん本人には言わないだろうね、関係ギスギスするのも嫌だろうし。するとその話を持って行く先は私達か日向君に限られるけど、私は日向君に言うと思うな」
「何で?」
「単に話を聞いて欲しいとか、相談したいのであれば第三者的な立場の人間を選ぶでしょ。でも今回は排除が目的になるから、部外者の私達に言っても意味がないんだよ」
「え?」
樹と香澄は同時に聞き返した。二人とも理解していなかった。
「君たち偏差値低すぎ。もう少し勉強しなよ」
葉月が呆れ顔で言った。
智草は着信に気付いた。樹からのメッセージだった。
『午後ヒマ?』
学校から課題が出ていたので少し迷ったが、登校する訳ではないので夜にやれば良い事に気付いた。
『うん』
『相談したい事があるんだけどいい?』
『どうしたの?』
『ちょっと言い難いんで行ってもいい?』
少し迷ったが、淡い期待感が勝った。
『いいよ。二時くらいに来て』
スマホを置くなり智草は急いで部屋の掃除に取りかかった。予想外の展開に高揚感と不安を感じていた。今日は家に誰もいないのだ。部屋の中を見回す。座れる場所は勉強机の椅子とベッドしかない。樹が来たら、どこへ座ってもらえば良いだろう? ベッドに二人並んで座る姿を想像すると興奮するが、やはり抵抗感がある。自分がベッドに座って樹が椅子というのも違和感があるし、何故かベッドに近づく事に抵抗感があった。樹にベッドに座ってもらい、自分が椅子というのが順当だろう。毎日寝ている場所には当然自分の匂いが染み付いている。そこに樹が座ると思うと恥ずかしかった。智草はベッドにうつ伏せになると鼻から大きく息を吸い込んだ。大丈夫そうだが、念のため新しい物に代えておこうと思った。急がなければ。部屋の掃除をした後は汗と埃を落とす必要がある。約束を三時にしなかった事を少し後悔した。
玄関の呼び鈴が鳴った。いつも通り日向がドアを開けると香澄がいた。
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
最近は毎日の恒例になっていた。
「こんにちは」
ソファーに寝転んだ悠斗が挨拶した。今日はテキストらしきものを手に持っている。学習態度としてはいまいちだが、ゲームだけやっている訳でもなさそうだ。
「よく寝そべってて勉強になるな」
兄が言った。
「読めば分かるじゃん。縦でも横でも内容は変わらないし」
「それで頭に入るなんて羨ましい限りだな」
二人は階段を登り、日向の部屋へ入った。
「あ、あのさ……」
部屋に入るなり香澄は言ってみたものの、どこから始めたら良いか分からなかった。
「やっしーって水野とは付き合い長いんだよね」
「K小の時から。山田も同じ小学校じゃん」
「うん。ほら、ずっと同じ学校にはいたけど、話すようになったのってこの一年くらいじゃない」
「そういえばそうだね。昔の俺達が知ったら驚くだろうね」
「やっしーは帰宅部で家に帰ってからはどうしてた?」
「帰宅デフォの奴らと遊んでた」
「水野も一緒に?」
「樹は体育会帰宅部だから稽古がある日は別行動だったかな」
「人殴ったり蹴ったりするのが趣味なのかな……?」
質問がどんどん支離滅裂になって行くのが分かった。
「まさか」
「自分を殴りそうだよね」
「それはやるかもね。自虐的なトレーニングとか好きそうだし」
この言葉は香澄のアスリート気質を少し刺激した。
「追い込んだトレーニングは重要だからね」
「そうなんだ。わざわざ苦しい事する意味が理解できないけど」
「自己満足の為の自虐行為はしないよ」
「弱い部ほど雨の日にわざわざ外走るアレ?」
これは香澄の琴線に激しく触れた。
「それは試合で勝つ事よりもやった感を優先させてるからでしょ。体は冷えて固くなるし、怪我や体調を崩す可能性も高くなる。勝つための道筋を何も考えずに、苦しければそれでいいなんて無責任だよ。そういう奴に限って正面から敗因に向き合わずに、気持ちの差で敗けたとか言って逃げるんだよ」
香澄は冷たく言い放った。勝つ努力を放棄して安易な精神論に逃げる姿勢が嫌いだった。
「何となく頑張った感を出す為に無意味な苦行をさせるなんて許せない。信じて練習に汗する人間に対する裏切りだよ」
香澄の思いがこもった言葉だった。
「そりゃ私達だってわざと暑い場所で練習したりはするよ。でもそれは夏の試合に備えて体を慣らしたり、部員各員のスタミナの限界を知るため。苦しくする事そのものが目的じゃない」
二年生の秋に香澄がリーダーシップを取ってから部は急速に強くなった。少しずつでも勝てるようになると勢いが出てくる。勝率とモチベーションの高いチームに精神論の居場所はない。はびこっていた悪習は徐々に消えて行った。
「達成したい目標があるなら努力なんかして当たり前、何の自慢にもならないよ。人に頑張ってる姿をアピールするのは、本当はベストなんか尽くしていないからだよ」
「手厳しいね」
「でも中には他人が努力する姿を見るのが大好きな奴がいて、そういう奴の評価基準は逆で、目標達成よりも苦行の方が大事なんだよ。無意味な練習を長時間やって、これ見よがしの自傷行為で頑張ったフリを演出する事が最優先になる。そういう事にかまけてると全体が腐って負け一方になるんだよ」
「典型的なダメ組織だね」
「決定権を握っている奴が努力ポルノ好きだとそうなるんだよね。自分が原因だっていう自覚が無いから試合に負けると平気で選手に責任転嫁して言うんだよ、気持ちの差で負けたって。で、翌日から早速自傷行為がエスカレートして、次の敗北に向かって全員一丸となって茶番を演じる」
「シニカルだね。意外な一面を見たような気がするよ」
「やっしーだから言うけど、私は他人のやる気を測定できるって思っている奴が我慢ならないの。名前も知らない相手校の生徒のやる気をどうやって測ったのか、責任持って説明して欲しいものね」
「ダメ過ぎるね。で、業を煮やした山田が勝てるようにしたって訳ね」
「私一人で勝てる訳ないじゃない、勝ったのは部と部員だよ。私がやったのは努力の方向性を変えただけ。部員を勝者にするのが部長の役割でしょ。それに私は負けるのが好きじゃないの」
言い切る香澄の横顔は凛々しかった。
「何となく分かったよ」
日向が笑顔で言った。
「山田に人がついてくる理由」
「そお? ナメられてる感満載だけど」
「リーダーシップは周りの人間を成功に導く力って言うけれど、自然にそれが出来るんだね。素晴らしいと思うよ」
「褒め殺し?」
「いやいや、お世辞抜きで」
熱弁を奮って当初の目的はすっかり忘れてしまっていた。日向に褒められたのが嬉しかった。
「それ、本当?」
智草が言った。
「最近やたらグリグリして来るんだよな。意識させようとしてるって言うか」
全くリアリティが無いと思いつつ樹は言った。
「まさか、どう考えても日向くん一本でしょ」
「日向があの態度で煮え切らないからなぁ」
「だからって、その友達の樹くんっていうのは節操なさ過ぎじゃない?」
智草の声が少し苛立っていた。
「日向に見せつけようとしてるのかな?」
樹は思わず庇ってしまった。
「それはあるかもね。ちゃんと私を見ないとどっか行っちゃうよって言っているつもりなのかな」
「全くドキドキさせやがって。日向にはしっかりしてもらわないとな」
この調子なら上手く行きそうだと樹は思ったが、智草が食い付いたのは予想外の場所だった。
「何にどうドキドキしたの?」
智草が真剣な顔で聞いてきた。
「えーーと」
そこまで作り話を考えていなかった。
「やたらどこか行こうって誘ってきたりとか」
「そんな事でドキドキするの? あんなに兄弟みたいなのに」
確かにその通りだと樹も思った。話に無理があり過ぎる。
「あとは……やたら人の顔ジーっと見たり、触ったり」
「そんな事まで。いくら何でもやり過ぎだよね」
智草が不快感を示した。話が違う方向へ進んで行く。
「迷惑しているなら私から言おうか?」
「いや、そうじゃなくて」
「何で?」
「日向がはっきりしないから、そういう行動で真意をはかろうとしている訳だし」
「だからってそういう事するのはどうなの?」
何か妙な場所が癇に障ったようだ。
「それに逆効果だと思うよ。他の子だったら、それで自分の気持ちに気付くっていう展開もあるかもしれないけど、日向くんにそれは効かないと思う」
「何で?」
「自分の直感に従って行動する人には思えない」
「それはよく分かる」
樹も同意する。話が元の路線に戻ってきた。
「そうでしょ。ある日突然自分の気持ちに気付いて好きだって迫る分かりやすいタイプではないと思うよ」
若干ひっかかったが確かにその通りだ。
「じゃあ、どういうタイプ?」
樹は聞いてみた。
「なんて言ったらいいのかな。共感を積み重ねて始めて愛情に変わるタイプ」
「何それ?」
「いきなり燃え上がったりしないって言えばいいのかな」
「そんなのどうすればいいんだ?」
「出来るだけ一緒にいる時間を増やして、他の誰よりも心理的な繋がりを深めるしかないと思うよ」
「それはかなり進んでいるような気がするんだけどな」
「多分まだ一杯まで水が溜まってないんだよ。充分に溜まれば自然に溢れ出すよ」
「面倒くせえ奴。さっさとキメればいいのに」
「深い子なんだよ、きっと。その代わり溜めた水の深さに意味があるから簡単に他の子に行ったりはしないと思うよ」
「そうかなあ」
ソラマチの一件があるので素直には受け入れられなかった。
「充分に溜まらないとならないから、今はまだ意識していないんじゃないかな?」
「ちょっと突っついてやったけど」
「どうだった?」
「いまいち」
「だろうね。そんな状態で他の子の存在をちらつかせたら終わっちゃうよ。しかも相手が樹くんじゃ、友達の幸せを祝福して、自分は引いちゃうんじゃないかな?」
「それでモヤっとしないのかな?」
「するかもしれないけど、するだけだと思うよ。行動は起こさないような気がする」
「めんどくせ。ツボが見えない」
「色々と難しいよね。樹くんのツボは何?」
智草はこれ幸いと聞き出しにかかった。
「正直分からない」
「何かあるとグッと来ちゃうとかない?」
「凄くしょうもない事なら」
「なに、なに?」
「笑顔が可愛かったとか、弱っている時に優しくされたりとか……」
樹は言い難そうに答えた。
「俺って浅いのかな?」
樹の腕に手を置いた。智草にしては珍しい。
「そんな事ないよ。好きって直感に多分間違いはないよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
顔を見ると智草は上機嫌にニコニコしていた。
「確かにそうかもね」
さくらが言った。夜なので気兼ねはいらなかった。二人とも声が漏れないように自分の布団に潜り込んで通話していた。
「うん。俺も気付かなかったけど、改めて言われると確かにそうだと思った。日向は素直に祝福しちゃいそうな気がする」
「本人はモヤモヤでしょうね。これまで積み上げてきた関係がある訳でしょ。単なる友達とはもう言い切れない関係じゃない」
「うーーん、多分。でも追い掛けるかっていうと、それはないと思う」
「面倒な子……」
さくらが樹と同じ意見を言った。
「だろ? さっさと行ってガーっと決めてくりゃいいのに」
「日向君は樹みたいなアニマルじゃないんだよ」
「またそれ?」
「日向君が香澄ちゃんの布団に忍び込む?」
「何か言いたい事でも?」
「それで布団の中で強引にキスしちゃったりする?」
「ちょっと待て、強引にはしてないだろ」
「そお?」
「思い出してみろ」
しばらく会話が止まった。
「ふふ、グイグイだった」
「今朝の続きを思い出してやる」
「ちょっと……」
「感触、味、匂い」
「やめてよ、生々しい!」
「ん、思い出した」
樹の声を聞いて、さくらも二人分の体温がこもった毛布の中の蒸し暑さと、暗闇の中の二人分の呼吸音を思い出した。
「…………私も」
物足りないながらも、一瞬だけすぐ近くに存在を感じたような気がした。
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