第24話 2020年3月8日(日)
「で、山田は来てんの?」
「昨日は体調悪いって言って来なかった。今日は午前中に電話するって言ってた」
樹は家で日向と電話で話していた。
「まぁ、そうだろうな」
「え、俺やっぱり何か怒らせた?」
「ある意味では」
「ええぇ……どうしよう」
「一つ聞きたいんだけどさ」
「何?」
「日向は山田の事をどう思ってんのよ?」
「いや。凄いと思うよ、本当に。一年間見てきて本当にそう思う。まさかこんなに成長スピードが早いとは思わなかった。一年前の状態じゃどうやっても無理だったもの」
「いや、まあそこは分かったけど。それ以外の所は?」
「何の話?」
「分かるだろ?」
「樹までそれ?」
気分を害した口調だった。
「いや、別に噂話どうこうじゃなくて。実際の所それってあり?」
「噂は噂でしかないよ」
「いや、噂じゃなくて日向がどう思っているのかって話」
「釣り合い取れないね。もう少し自分に自信を持てたら良かったんだけど」
「ん?」
「俺じゃ釣り合わなさ過ぎるよ」
「それはありって意味なのか?」
「分からないよ。考えた事ないんだから」
「じゃあ釣り合い云々は無しにして、単純に日向はどうしたい?」
「分からないよ。そもそも自分がどうしたいのかが分からない。俺、何かを自分で積極的に選んだ記憶がないし。流されてるだけなんだよ」
「高校も?」
「別に。お前の偏差値なら狙えるって言われたから受けただけ。特にそこへ行きたい理由があった訳じゃない」
「部活も?」
「それは知ってるだろ。嫌いな事ってのは苦手だから嫌いなんだ。苦手な事は人の何倍も頑張った所で糞下手がかなり下手になれるかどうか程度だよ。成長の無い努力には徒労感しか感じないよ。選べるなら俺だって何をするか悩んだかもしれないけど、そもそも選ぶってのは選択肢があるから出来る事なんだ。樹や山田には選択肢が色々あったかもしれないけど、俺には選択肢なんか無かったんだよ」
「他人の服は着れないってやつか」
さくらから聞いた話を思い出した。
「聞いたんだ、人生は脱げない服みたいな物だって。好き嫌いに関係なく与えられた服を着て死ぬまで踊り続けるしかないって」
「いい事言うね。俺は苦手な物だらけだから努力する事に価値があるとか頑張れば何でも叶うとか言われる事が多くね。努力で服が変わるなら誰も悩まないよ」
「努力ポルノだな。目標に向けて自発的にする努力はアリだと思うけど、他人に要求するのは違うよな」
「良く分かってるじゃん」
「何か嫌なだけだよ。他人に努力を要求する奴の本音は自分がそれ見ていい気分に浸りたいだけだろ。誰だって真剣に欲しい物があれば言われるまでもなく勝手に努力するさ」
「樹らしいね」
「努力の前提はモチベーションじゃないか。最近、欲しい物のためにとんでもない努力をした奴を目の前で見たしな」
日向に伝わるとは思えなかったが樹は言ってみた。
「ところで、もう一個俺らしい事言っていいか?」
「何?」
「今、人生初の選択肢がお前の目の前にあるぞ」
「いや、それは……」
「いいから聞けって、本当だ。どっちを選べなんて言う気はないぞ」
「らしいね」
「只、釣り合いだとか、噂がどうとかで考えるのはやめとけ。他人の事なんか無視して、自分がどうしたいかだけで決めろ。本能と欲求だけでいい」
「アニマルらしいね」
「そうだよ。それで良かった」
「何かあった?」
「それは置いといて、自分のこうしたいっていう欲求に素直に従わないと後悔するぞ」
「やっぱり何かあったんだね。良い方に転んだみたいだから良かったけど」
樹は日向が話をそらそうとしていると分かった。時計を見た。九時半、病院に行く時間だった。
智草は時計を見た。九時半、病院へ行くにはかなり時間があった。午後に面会に行く約束をしていた。改めて今日はどうするか考えた。額のニキビは上から塗って誤魔かすとして、ワンピースで子供っぽく見えないだろうか? 最近、香澄の風貌を羨ましく感じる。本気でメイクすればかなり良い感じに決まるだろう。自分が真似をしても七五三にしか見えない。何をしても滑稽に見えてしまうのではないかと気になった。
「聞いた?」
さくらの声は沈んでいた。今日は日曜日なので面会が多い。あまり長くここにはいられない。
「さっきナースステーションで」
樹も沈んだ声で答えた。明日から面会制限が実施される。だが樹にとって面会制限は実態を表していない。制限されるのは家族の面会であって、それ以外は事実上の禁止だった。
「明日からもう会えなくなるの?」
さくらは樹の肩に顔を埋めてつぶやいた。
「そう言われた」
「どうして今なの……何でもう少しだけ待ってくれないの」
樹は服の肩に染み込んで来る温かい涙を感じた。目の前でさくらが泣いているのに出来る事が何もなかった。一ヶ月前まで樹にとって人生は単純だった。自分を鍛えれば、それで全ての問題が解決すると心の底から信じていた。だが今はもう信じていない。努力や強さだけで問題は解決しない。自分の無力さと弱さを実感していた。どうにもならないと知るとどうしようもなく恐怖が湧いてきた。
午後に玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると約束通り香澄がいた。
「いらっしゃい」
「お邪魔しまーす」
二人とも何事もなかったかのように振る舞った。
「あら香澄ちゃん、いらっしゃい」
日向の母親が廊下に顔を出した。その時になって初めて香澄は今日が日曜日だった事を思い出した。香澄は大半の保護者に知られていた。他の学年の父兄にも知られているくらいなので、同学年の日向の母親も当然に昔から知っていた。とは言え、学校での噂話までは耳に入っていないようだ。
「どうしたの珍しい。もっと来てよ」
「いや、ほぼ毎日来てるけど」
悠斗が余計な事を横から言った。
「あら、そうだったの。同じ高校行くんだものね。日向はボーッとしてるから心配で。香澄ちゃんが一緒なら安心だから宜しくね」
「いえいえ。私の方こそ日向君に教えてもらったお陰で同じ高校へ行く事ができました。一人だったら無理でした」
「ボンクラだけど少しでも役に立てて良かったわ」
「もうその辺でいいかな?」
ボンクラが居心地悪そうに遮った。
「はいはい。どうぞ上がって、上がって」
日向は二階のいつもの部屋へ香澄を案内した。
「さっくらちゃーーん、来たよ」
満面の笑みで智草が303号室に入って来た。
「あれ、どうしたの?」
やけに暗い雰囲気に気付いた。
「明日から面会制限なの」
「制限?」
「面会は家族のうち一人だけ、しかも三十分まで」
樹が引き取った。
「それ以外は?」
「……禁止」
「えっ、直接会えるのは今日が最後?」
智草が何気なく発した言葉に他意はなかったが、さくらと樹の心には突き刺さった。
「そうなの」
泣き腫らした目のさくらが答えた。
「じゃあ、せめて最終日を楽しもうよ」
葉月が言った。それしか出来る事はなかった。
「そうだよね、泣いて無駄にしたらもったいない」
「今日はお菓子持ってきたよ」
智草が鞄を開けると中にはジャンク系のお菓子が詰まっていた。
「ちょっとカーテン引いてもらってもいい?」
食事制限をしている患者もいたので、気を使って見えないようにした。カーテンの影に四人が集まって狭かった。
「さくら?」
さくらの母親がやって来た。
「あ、お母さん」
樹と智草は立ち上がった。
「お久しぶりです」
「樹君、お久しぶりって程でもないでしょ。さくらと仲良くしてくれてありがとうね」
「初めまして。佐藤智草です」
「こちらは初めてね。可愛いお客さんが増えるっていいわね」
「ははは、実は昨日が初めてだったんですけどね」
「千客万来ね。この前は八島君と山田さんも来てくれて。こんなこと最近まで全くなかったのに。樹君のおかげね」
「あの二人も御存知だったんですか?」
「ええ、何回か来てくれていたのを見かけたわ。あなたも同じ学校?」
「私は小学校までの同級生です」
「いいわね〜〜。同級生が集まってペチャクチャするのって楽しいのよね。たいした話をしてる訳でもないのにいつの間にか時間が経っちゃうのよね」
「すみません。今日は日曜日でしたね。しかも面会制限前最後の」
樹が申し訳なさそうに言った。
「いいのよ。私達は明日以降も来られるんだから。しっかり楽しんでね」
そう言ってさくらの母は笑顔で去っていった。友達との他愛のないおしゃべりを楽しませたかったのだろう。これが最後になると知っていたから。
「ところで」
葉月が唐突に言った。
「昨日、樹は優しいのに言わないみたいな事言ってたよね?」
一晩寝たら忘れているだろうという淡い期待は崩れた。
「何をされたの?」
「どういう聞き方だよ? 常に俺が何かしてるみたいじゃないか」
「あながち嘘でもないでしょ?」
さくらがさらりと言った。
「ははは、何もされてないよ」
「でも何かあったんでしょ?」
追及はやまない。
「かなり前だし……」
「ふむふむ」
葉月も聞き出す気満々だった。
「いや、ここではちょっと……」
「あら、そろそろ時間じゃないの?」
突然さくらが昨日のサインを使った。
「おっと?」
「え?」
「時間は早いね。仕方ない、ちゃちゃっと済ませて来るか」
葉月が調子を合わせて渋々を装う。
「そうだな」
ようやく理解した樹も松葉杖を取った。
「じゃあ、ごめんね。ちょっと失礼」
「二人とも早く戻ってきてね」
智草は今日は帰ろうとはせず、手を振って送り出した。樹と葉月が出て行くと早速さくらが聞いた。
「で、何があったの?」
「全然たいした話じゃないし」
「たいした事ないって感じでもなかったけど?」
「ええぇ」
「言っちゃいなよ。って言うか聞いて欲しいって顔してるよ」
「そう見える?」
「とっても」
「ん、実は……」
智草は自分だけの秘密をさくらに打ち明けた。人に話すのは初めてだった。何故そんな気になったのか分からなかったが、確かにさくらの言う通り誰かに聞いて欲しかった。
「あ、あのさ」
日向と香澄が同時に言った。
「あ、どうぞ」
「いやいや、お先にどうぞ」
お互いに気まずかった。意識してしまうと全てがぎこちなかった。
「今朝、樹に言われた」
「え! 何を?」
「今、お前の前には人生初の選択肢があるって」
香澄は回答に拍子抜けした。自分には関係なさそうに思えた。
「で?」
「自分の直感だけが正解だって」
「ふーん」
「他人の事なんか無視して、自分の本能と欲求だけで決めろって」
「水野らしい。動物丸出しだね」
「でしょ」
「で、結局何の話?」
「……」
日向はそれ以上先を言えなかった。自分の気持ちが整理できていなかった。
「どうしたらいいのかが分からない」
「直感で決めるんじゃないの?」
「俺自身がどうしたいのかが分からない」
「そうなんだ。私には良く分からないけど」
香澄は自分に関係のない人生相談だと思って逆に冷静になっていた。
「自分がどうしたいかなんて考えるまでもないでしょ」
「そうなの?」
「私は自分がどうしたいかで悩んだ事なんてないから」
「そうかストレートで分かりやすいんだね」
「ん、まぁ。多分そうだと思う。どうやってそれを実現するかは悩むけどね」
「山田は目標がはっきりしているから、それに向けて一直線に努力できるんだね」
「それはどうだろ」
「きっとそうなんだと思うよ。才能だよ」
「こそばゆいんだけど」
「どうしたら自分がこうしたいって分かるかな」
「さあ、それを手にした時の喜びを想像してみるとか」
「難しいな。初めての事で想像力がついて行かない」
「じゃあ逆に失った時の悲しさを想像するとか」
「それも難しいな。一度も自分の物になった事が無いのに失うとか」
「意味分からないんだけど。何か欲しい物でもある訳?」
「まぁ、そう言えなくもないかな」
「だったらお店に行って実際に現物を手に取ってみたら? それで直感的に欲しいと思うかどうか分かるでしょ」
「うーーん、触るのは難しいな。大問題になりそうだし」
「何で? そんなに貴重な物なの?」
「店で売ってる訳じゃないし」
「埋もれた財宝でも探してるの?」
何の事か分からず段々と面倒になって来た。
「欲しければくれてやるって?」
「もらってどうすんの。自分で取りに行きなさいよ」
「モーロン・ラベ」
「縁起悪いなあ。それ言った後に全滅したんじゃなかったっけ」
「でも、どちらかというとそんな感じかな」
「意味が分からない……」
「そうだよね。俺も意味が分からなくなってきた」
日向の中途半端な試みは不発に終わった。
樹と葉月は少し時間をあけて303号室へ戻った。その後も宴は続き、夕方になると智草は帰って行った。樹は最後なので面会終了時間までいると言ってそのまま残った。
「で、で? 何だったの?」
智草が帰るなり葉月が待ち切れずにさくらに聞いた。さくらは話した。
「樹、やばい奴じゃん。血まみれで人殴ってるとか引くよね」
話を聞いて葉月は面白がっている。
「ドン引きでしょ」
さくらまで傷口に塩を塗った。
「樹がアニマル発揮する対象は女の子だけかと思ったけど、男相手にも野獣になれるんだね」
「表現が違う」
「おまけに巧妙。何も言わないどいて後から『実は』なんて策士だね」
「いや、困ってたから助けてやっただけだって」
「ふ〜〜ん」
さくらが不満そうに言った。かなり不機嫌だ。
「え、何?」
「助けてやっただけ?」
「うん……」
怒りを察知したい樹は慎重に答えた。
「それで毎回エスコートして、刃物持った相手と命がけの喧嘩して、血まみれになりながら守ってあげただけなんだ?」
「それはそうだけど、何か違う」
「たまたま同じ班になっただけの子のためにそこまでしたんだ?」
「旦那、奥様がお怒りでっせ」
葉月が耳打ちした。
「そりゃあ、そこまでされたら思う所も出てくるでしょうね。で、数年ぶりにあったと思ったら、美人、可愛いを連呼しただけ?」
さくらがヒートアップし始めた。
「いや、それは……」
「他の男の子とデートするって聞いたら行くなと言っただけ?」
さらに温度が上がった。
「そこまでは言ってないって」
「二人きりにならないように偶然ぶち壊しに行っただけ?」
湯気が出始めそうだった。
「それは経緯を知ってるだろ」
「病院まで付き合ってくれって強引に誘って、一緒にいてくれるだけでいいんだよって言っただけ?」
「それは嘘だ。そんな事言ってない」
「そう聞こえたんなら一緒だよ!」
沸点を完全に越えた。
「すげぇ誤解だ……」
「まぁ確かに。何を言ったかよりも、どう聞こえたが重要だからねえ」
葉月が一人冷静にコメントしたが、火に油を注いただけだった。
「何これ? ねぇ? 私を試してるの?」
「いやいやいや!」
必死に否定した。
「私、そんなに出来た女じゃないからね?」
「だから言ったじゃん。他の子を特別扱いするのはダメだって」
葉月がまた耳打ちをした。
「何年も前の話なんて今さらどうしようもないだろ…」
「樹は何とも思ってない子の為でも平気で命かけて戦うんだね……」
さくらは涙声になっていた。
「話は聞いたんだろ。刃物振り回すなんて思わなかったんだって」
さくらがじっと樹の顔を見上げた。確かに左眉の上に傷跡が残っている。それを見てさくらの嫉妬がさらに燃え上がった。目から涙がこぼれた。
「私の為にそこまでしてくれた事あった?」
「たまたまだって」
さくらは下を向いたままだったが、涙が止まらなくなっていた。悔しかった。智草が妬ましかったし、そう思う自分が嫌だった。
「さくらちゃん。悔しさは分からなくもないけど、明日から会えなくなるんだよ。いいの? このままで」
葉月がなだめた。
「……よくない」
「だいぶ素直になったね。行ってきな」
葉月がドアの外、廊下の左側を親指で差した。
「ほれ、樹!」
「はいはい」
二人は連れ立って喫煙所跡へ行った。さくらはまだ泣いていた。
「……私、嫌な子だった?」
樹の服の裾を掴んだままさくらが言った。
「ん、まぁ。何て言ったらいいか」
「本当は分かってるよ、下心無く助けたんだって。樹はそうなんだって分かってる」
「うん」
「これは嫉妬だって分かってる。樹が顔に傷を残してまで他の子を守ろうとしたから」
名前を口にしたくなかったのか、さくらは一度も智草とは言わなかった。下を向いたまま鼻をすすって続けた。
「分かってるよ、そんなつもりじゃなかったって。それでも、私以外の誰かの為にそこまでしたって印が顔に刻まれてて……しかもその子が今もそこにいるって事に我慢できなかったの」
「俺はどうすればいいのかな?」
さくらが顔を上げた。
「私は樹と喧嘩するよりも仲良くしたい」
じっと見上げる目が促していた。顔が近づき最後の和解の儀式を行った。
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