第20話 2020年3月4日(水)
「樹く〜〜ん、自分が何したか分かってますか〜〜?」
最近、葉月のこの言い方の頻度が高まっているような気がする。わざと延ばす語尾が嫌味ったらしい。早い時間なので他の見舞客はまだいなかったが、それが不運だった。
「それ浮気認定だよ」
「何もしてないっ」
「下心持った時点でギルティ(有罪)」
「持ってないし。何もいい思いしてないのに何で有罪判決?」
「いい思いしたかどうかの問題じゃないから」
さくらの目の前で浮気者と糾弾されて樹は動揺していた。
「何もしてなくても、彼の視線が他の子に行くと女の子は不愉快になるものなんだよ」
「視線行ってない! 三年ぶりに会っていきなりとかあり得ないだろ。お互いそんな気ないって」
「へーー? それで赤面させるような事を平気で言いまくった上に、登校デートの約束までしてきたんだ?」
さくらの声が冷たくなっていた。樹は昨夜の話をした事を後悔していた。ミーコの件でさくらが不満がっていたので安心させるつもりで同窓会の様子を話したのだが、全く逆効果だった。
「いやいや、小学校の登校班も同じだったし。一緒に登校するのが普通だったというか、今更というか……」
「樹く〜〜ん、その子かなりグイグイ来てるよ。原因は君がガツガツ行ったせいだろうけど」
「来てないし、行ってない!」
「このクズが。とりあえず適当に褒めとけばいいと思ってるでしょ」
「久しぶりに会ってずいぶん変わってたから素直に感想を言っただけだって」
「本当に頭悪いね。他の子に可愛いって言った事がアウトなんだよ」
「事実は事実でしかないだろ。別に思うところはないって」
「分かってないなあ。身の回りの子を美人とか可愛いって言われるのってすっごく不愉快なんだよ」
「何の他意もないのに」
弁解する樹にさくらが不快気に言う。
「自覚ないんだね、天性の浮気者なんじゃない? 駅のトイレとかやめてよ。そんな事したら二度とこの部屋に入れないからね」
樹が暴走するさくらの妄想からの逃げ道を探していると、意外な客が来た。
「こんにちは。水野をちょっと借りてもいいですか?」
「どうした?」
「ちょっと来て」
「何? 俺なにもしてないぞ」
その瞬間に感情を抑えていたダムが決壊した。相当前から我慢していたようだ。とりあえず椅子に座らせて落ち着くのを待つ。早い時間で他の見舞客がまだ来ていなかったのが幸いだった。
「やっしーが言うの」
しばらくして出てきた言葉は意味不明だった。
「美人になったって……帰り道でずっと」
そこまで聞いて何の事が分かった。
「それは俺もそう思うけど、只の客観的な事実だろ?」
さくらの無言の視線が突き刺さるのを感じた。
「その程度の事でらしくない」
「分かってるよ、おかしい事くらい! 自分でも何でこんなに嫌な気分になるのか分かんないよ」
「俺にキレられても……」
「それは嫌だよね」
葉月が理解を示した。
「樹もこの機会に憶えときな。他の子の容姿を褒められるのは猛烈に嫌な事なんだよ」
「……はい、気を付けます」
樹は反省の弁を述べた。事情を知らない香澄は話を続けた。
「ヌボーっとしてて女子に興味なさそうだから知らなかった。やっしーはああいう子がタイプなんだ」
「年頃男子が興味ない訳ないだろ」
樹はまた墓穴を掘った。
「ふうん。興味あるんだ」
さくらが横目で樹を見ながら言った。樹は慌てて付け加えた。
「でも、確かに日向……」
「何!?」
香澄が振り返った。
「そんな喰い付くような話じゃないって。男子の間で毎年やる遊び。クラスの女子で誰が一番だと思うかってやつ」
「何その品評会? 私らは牛か?」
品評会では香澄の名前も出ていたが、樹は黙っておく事にした。
「お前らだって似たような事やってるだろ」
品評会では樹の名前も出ていたが、香澄は黙っておく事にした。
「で?」
「それで日向の好みは分かるだろ」
「それで?」
樹はしばらく思い出してから言った。
「言われてみれば確かにそうだな。丸い雰囲気の子が多かったような気がする」
物理的な丸さも含んでいる事を知っていたが、今日はもう充分に墓穴を掘ったので言うのは控えた。香澄の顔に浮かんだ絶望感は手で掴めそうだった。
「無理だよ……私があんな風になれる訳がない」
「そうだな難易度マックスだな。羽ばたいて空飛べるようになる方がまだ可能性ありそうだ」
香澄の耳には全く入ってなかった。
「無理だよ、カラスに白鳥になれって?」
奇しくも昨日の樹と同じ表現だ。
「滑稽なだけじゃん、私が智草のマネしたって。あ……私、今凄く嫌な奴になってる。智草を誘ったこと本気で後悔してる」
さくらが落ち着かせるように言った。
「落ち着いて。好みに歩み寄る事はできると思うよ。でも自分以外の誰かになろうっていうのは無理があるよ。それはもう本当は存在しない他の誰かだよ。」
「それでも止めようがないの! 違う人間にだって喜んでなる。本当の私なんかどうだっていい。私は智草になりたい」
「分かるよ、私もなれるなら他の誰かになりたいと思う時があるから。でも日向君はそんなに積極的な意味で言ってたの? 彼はちょっと可愛いからってペラペラ軽い事を言う節操の無い最低なクズなの?」
棘のある言い方だった。さくらと葉月が揃って樹をチラっと見た。
「どうだろう? あのキャラからはイメージ沸かないけど分からない」
「その子は脈ありそう?」
「それも分からない。自分からグイグイ行きそうには見えないけど、やっしーの方から来られたらどうするだろう?」
さくらと葉月の無言の視線が再び樹に突き刺さる。香澄は三人が目で行っている会話に気付いていない。葉月が続けた。
「その子に日向君について何か言った事ある?」
「いや、そこまでは」
「じゃあ、もう少し時間稼ぐ?」
「どうやって?」
「相談しちゃいなよ、その子に。日向君がどうしようもなく好きだって」
「え?」
「分かってるでしょ、相談するんだよ。幸い今その子は日向君に関心ないから、何か進展ありそうになったら自分から回避するでしょ。しばらくは時間稼げるよ」
「会ったこともないのに何で関心ないって分かるの? 智草もその気かもしれないじゃん」
「うん、まぁそこは信じて。少なくとも今は大丈夫なはず」
さくらはじっと樹を見ていた。視線が痛かった。
「でも時間稼ぐだけじゃ」
「そりゃそうだよ。引き延ばしている間に色々とアクション起こして自分に視線向けさせないと。こういう時こそ休み中にどこかへ誘って攻めの一手で行きたい所だけど、閉まってる所だらけだしなあ……」
葉月はそう言うと暫く天井を眺めてから続けた。
「入学後の勉強に不安あるから教えてって家に押しかけるってのはどう?」
「家に押しかけた事はないけど、そのパターンなら散々やったから出来なくはないかも」
「そうだよな。俺たちが受験で糞みたいな青春送ってる間に自分一人だけいい思いしてたんだもんな」
樹が以前言われた言葉をそのまま返した。
「結果はちゃんと出したでしょ!」
「お前は全ての受験生に謝れ」
「はいはい、些末な事は置いといて重要な話に戻ろうね」
葉月が脱線を止めた。
「でも、それを一年間やって何の進展もなかった訳だろ。また同じ事を春休み中にやっても意味なくね?」
樹も本題に戻った。
「樹にしてはいい指摘だね。春休み中に勉強教わるだけの関係から一歩前進しないとね」
「どうやって? あいつ家に家族がいるから妙な事できないぞ」
「誰もいない二人っきりの家だったら何をさせるつもりだったの?」
葉月が確認するように聞いた。
「やっぱりトイレ……」
さくらが嫌悪感を隠さずに言った。
「ちげぇ!」
「まぁ最初は好き好きオーラを出して日向君に気付かせるところからでいいんじゃない?」
「既にかなり出てると思うんだけど」
「さくらちゃんの目にはね。私も二人が来た時に気付いたけど、樹は全く気付いていなかったしね」
葉月が樹を見た。
「はい。深く反省します」
樹は潔く反省の弁を述べた。
「あの……私、そんなに分かりやすかった?」
香澄が不安気に聞いた。
「それはもう。日向君と話す時の顔が違ってたから」
「じゃあ皆も気付いてるって事?」
「学校の様子は私達には分からないけど、女子は多分」
「はずっ……」
香澄の顔が耳まで赤くなった。
「バレていないつもりでいた香澄ちゃんもスゴいね。香澄ちゃんを敵に回すって分かっていたから誰も日向君に近づかなかったんじゃない?」
そこで樹が疑問を口にした。
「って事は智草も何となく気付いてる?」
「多分」
「ならば、今からわざわざマーキングしに行く意味なくね?」
「お馬鹿には難しかったか。重みが全然違うんだよ」
「何で?」
「気付いているだけなら選択肢はフリーハンドなんだよ」
「で、相談されると?」
「その子の立場になって考えてみなよ。親友が死ぬ程大好きな男の子がいて、彼の側にいたいがためにあり得ないような無茶までしたんだよ。それを承知で横から取っちゃったら?」
「ギルティ」
「そう、天秤の片側に重りを乗っけるんだよ。手出しするならそれなりの覚悟が必要だよって。その子も日向君の事が大好きなら全面対決かもしれないけど、そういう訳じゃないみたいだから天秤は香澄ちゃんの方に傾くよ」
「ダーティーだなあ。いっつもこんな?」
「女は怖いでしょ、お馬鹿くん」
「さて、と言う訳で君には重大なミッションが出来たよ」
香澄が帰ると葉月が樹に言った。
「え、俺?」
「そう、君」
「何のミッション?」
「たいした事じゃないよ。智草ちゃんの目が日向君に行かない様に適当に友達を続けるだけ。但し、さくらちゃんを怒らせるような事はしちゃダメだよ」
「クリア条件厳しすぎね?」
「じゃあ言ってきなよ、俺には好きな子がいるって。智草ちゃんブレイク! その心の隙間へ日向君がコンコンッ! 最後は香澄ちゃんがゴーンでゲームオーバー!」
「何、その擬音? 玉突きかよ」
「そうだよ。この場合は連鎖の一番端にいる香澄ちゃんが一番弱いポジションだね。香澄ちゃん一人だけが不幸になって残りの皆は幸せ、最大多数の最大幸福って結果になるんだよ」
「私は……」
「さくらちゃんは反対側の端にいるから勝ち確ポジションだよ」
さくらはしばらく考え込んだ。不本意だったが、無理に自分を納得させた。
「樹、私信じてるから」
「え?」
「時間を稼いであげて」
「いや、それは」
「何してもいいって訳じゃないよ。友達になるだけだから勘違いしないでね。何かしたら殺すよ」
「だからそれはないって」
「それから……絶対に好きにならないで。お願い」
「樹く〜〜ん。彼氏に女友達が出来るって不快指数100%なんだよ、只のお友達でもね。肝に命じておきな」
「言い出したの誰だよ」
「さくらちゃんも見えない場所よりは見える場所の方がいいでしょ?」
葉月がさくらの方を向いて聞いた。
「うん」
下を向いたままさくらは肯定した。
「いいね、樹」
葉月は樹に向き直って続けた。
「心しときな。男女の友情なんてこの世には存在しないからね」
「そうなの?」
「私の観察によれば、少なくともどっちか一方は相手の事が好きなんだよ。言わないだけで」
「言えばいいじゃん」
「簡単に言うね。答えがノーだったら友達ですらいられなくなるんだよ?」
「グズグズしている間に眼の前で誰かにさらわれるくらいなら、ワンチャン賭けた方が良くね?」
「はあ〜〜」
葉月は頭を振り、さくらに言った。
「ねえ、本当にこいつでいいの?」
「樹らしいよね」
さくらの声は諦め気味だった。
「私がこれまで見た友達の中で一番多かったのは、男が彼女持ち。意味分かる?」
「いや……」
「じゃあ、樹は他の子に興味湧く?」
「いや」
「そこだよ」
「どこだよ?」
「彼女に夢中になっている間は他の子に異性を感じなくなるんだよ」
「まあそうかもね。で?」
「相手を異性だと意識していなければ気軽に友達になれるんだよ。自分の身の回りを思い出してみな。彼氏彼女のいる子の方が異性の友達が多いでしょ?」
「それは何か違う原因な気が……」
「今はダメでもいつチャンスが来るか分からないから網張ってるんだよ。蜘蛛が獲物待つみたいに」
「キモい。俺達はカマキリかよ」
単純明快な人間関係しか知らない樹はその表現を素直に飲み込めなかった。狩られる獲物という立場も受け入れ難かった。
「無意識にだよ。友達って言うのはチャンスが来た時に一番狙いやすいポジションだから」
「それを言うなら俺と山田はどうなるんだよ。あり得ないぞ?」
「あの娘にとって樹は日向君の附属物でしかないから。何て言うのかな、戦力外と言うか、目に入ってないって言うか。まあゴミ箱に入った空き缶みたいな物って事だよ」
「もう少しマシな表現ないのかよ」
「でも、それもお互いに違う相手に夢中になっていればこそだよ。そうじゃなくなったらどうなるかなんて誰にも分からないよ」
「どう考えてもあり得ないだろ」
「香澄ちゃんにとって今は目に映る世界が日向君とそれ以外なのよ」
さくらが言った。
「俺もなんだけど、さくらとそれ以外」
樹はさくらを見た。さくらは樹を見返しながら言った。
「それ、他でも言ってないよね?」
「何で?」
「樹は自覚なく女の子に期待させるような事を言いそうだから」
「まさか」
「どの口が言う?」
葉月が一言で容赦なく刺した。
「はい……なら山田には勝手にがんばってもらう事にして俺は手を引いてもいいかな?」
「それはダメ!」
さくらが間髪入れずに言った。
「嫌なんだろ? 山田のためにそこまでする義理はないだろ」
さくらはじっと机の一点を見つめていた。
「そうだよ、すっごい嫌。樹の視界を他の子が横切るだけでも嫌、樹がその子を見るのが許せない。樹の近くに他の子が立つのも嫌、樹がその子の匂いを嗅ぐのが許せない。楽しそうに話をされるのも嫌だし、味覚や触覚なんて論外」
「さくらちゃん。分かるけど、それ言わない方がいいよ」
葉月がたしなめたが効き目はなかった。
「嫌な女になってもいい、私がいる限り樹には触らせない」
「だったら、」
出かかった樹の言葉をさくらは遮って言った。
「嫌だけど、先の事も考えなきゃいけないの」
先。誰にでもあるそれが自分達にだけ存在しない不公平を感じずにはいられなかった。
「とにかく、樹にはまだ分からない事なの!」
「何それ?」
「今は私の言う事を信じて。私も樹を信じるから」
樹は釈然としなかったが、さくらの意見が通った。
樹は七時に面会時間が終了すると帰って行った。病室は患者だけだった。
「何なの? どういう神経なの? 久しぶりに会ったばかりの子に可愛いって。しかもそれを私に言うなんて」
さくらはまだ怒っていた。
「クズだねえ」
葉月が同意した。
「私に対する嫌味なの? あっちの方が可愛いって」
「うーーん、多分逆だよ。可愛い子だったけど自分は惹かれてないよって言いたいんだよ」
「何、その意味不明なアピール?」
「付き合い始めたばかりの男なんてそんなモンだって。色ボケしておかしくなってるんだよ」
「なのにそんな事する意味が分からない」
葉月は頭の後ろで腕を組んでベッドに寄りかかった。
「可愛い子でも通りすがりのオジさんと変わらなくなるんだよ、」
「だったら……」
言いかけたさくらを無視して先を続けた。
「世界で一番可愛い子が彼女になったら」
さくらの文句のトーンが変わった。
「言い過ぎだよ……」
「本当だよ。最初の数カ月はそんな感じだよ。すっかり舞い上がって周りの事なんか目に入らなくなるんだよ」
「それはこっちだよ」
葉月が視線を向けると、さくらが毛布に顔をうずめていた。
「いいねえ。初々しくて羨ましいよ。で、そんな感じだから今さら世界で二番目が来たって興味が沸かないないんだよ」
「そうなの?」
「典型だよ。今の樹には女の子は一人しか存在しないんだよ。それ以外は男も女も全部いっしょ」
「本当に?」
さくらが毛布から目だけ出して見ていた。
「ムカつく事にそういう奴って妙な余裕ができるみたいなんだよね。何とも思わなくなったら急に平気で女の子褒めるようになったりとか」
「意味が分からない」
「マウント取って悦に入ってるんだよ。誰かに可愛いって言う時は、その後ろに言葉が隠れてるんだよ。括弧、俺の彼女の方が可愛いけどなーーって」
「ないわ。女の子相手にマウント取って意味あるの?」
「ないでしょ。素直に愛情表現すればいいのに、何故かそういう回りくどい事するんだよ」
「浮気じゃなくても凄く嫌」
「でしょ。彼女自慢するために彼女を不快にしてどうすんのって思うんだけど」
「男って意味分からない」
「基本バカなんだよ、あり得ないくらいに」
「そんな事するよりも私に言ってくれればいいのに。世界で一番……」
最後まで言えずに毛布に顔を埋めると、さくらはベッドの上でバタ足した。赤い耳が毛布の横に見えていた。その様子を見ていた葉月が言った。
「そうだね。ここにも舞い上がってるのが一人いる事を忘れてたわ」
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